この塔は、金閣寺を建てた足利義満と戦って応仁の乱で戦死した
大内義弘の霊を弔うために
地元をまもっていた
26代大内盛見が建てたものだそうだ
(お墓のようなものらしい)
※大内盛見の本当のお墓は福岡県粕屋町の泉蔵寺に所在する
以下は「瑠璃光寺五重塔」のデータだ
創建:1442年(嘉吉2年)
創建:1442年(嘉吉2年)
塔の高さ:31.2m ※「中心柱」は五層目まで達する
国宝:全国9基のうちの1基(10番目に古いもの)
デザイン:「一層」から「五層」までの屋根の低減は70%
特色:勾欄が「二層目」にのみ存在
建築様式:大部分が「和様」(「勾欄」の隅柱のみ「唐様(禅宗様)」)
天井:「一層」のみ(「二層」から「五層」まで吹抜け)
などの特徴がある
くわしくは瑠璃光寺の案内所で
販売している
「国宝 瑠璃光寺 五重塔の見方」
を
参照されたい
あの
司馬遼太郎の文学碑もある
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(碑文より)
長州は
いい塔をもっていると
惚れぼれする
おもいであった
長州人の優しさというものは
大内文化を知らねば
わからないような気もする