47都道府県別に
「都道府県名」
「取り上げた藩」
「どことどこがつながっていたか」(現在の市町村名で表記)
「藩の紹介」
「廃藩置県の顛末」
「藩の位置図」
「藩屋敷のあった場所」
が解説されている
「教育」
に傾注してきたところである
萩藩(長州藩)
は
他国への「遊学奨励策」が
活発であったようだ
とくに
「他藩遊学」がさかんで
「適塾」(大坂・緒方洪庵)
「咸宜園」(大分・豊前)
「成徳書院」(千葉・佐倉藩)
など
全国の藩校・私塾へととびたっていった
あの
吉田松陰(先生)も
21歳のとき長崎などで遊学生活を送っていた
そのほか
福原清助 複数名(九州各地へ)
明倫館より13名(長崎へ)
高杉晋作ら24名(江戸へ)
そして
他藩遊学により萩藩へ「文学・武術・西欧の兵学・航海学」
などが
導入されるようになっていった
そんななか
萩藩から各藩への「贈答品」として
「萩ガラス」
が
重宝されていたようだ
なかでも
「科学技術の先駆者」であり「マルチ人間」でもあった
中嶋治平という人物により
長崎に遊学した経験をいかし
「藩直轄のガラス製造事業」
が
はじまり現在もその製法を活かした「萩ガラス」がつくられている
ちなみに
萩藩下屋敷は
旧防衛庁(現・東京ミッドタウン一帯)
あたりの「36,000坪」の土地に構えていたようだ
(参考)
「藩と県」
~日本各地の意外なつながり~
草思社 刊