「構造者の格律」
という特集が組まれている
「築くことの初源・歴史・公理」
という公開座談会での
藤森教授のショートレクチャーに
興味をもった
以下そのレクチャーの抜粋をご紹介する
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究極の建築材料は何かと考えていて、昔、建築家の石山修武に
「究極の建築材料ってなんだろう」
と
尋ねてみたのです
彼は「鉄」と言うだろうと思っていましたが
そのとき「木だと思う」と言ったんです
それでビックリしました
(中略)
もちろん僕も木だと思っていました
なぜ木を究極の建築材料だと思うかというと
まず、人間の手で持つことができて
簡単な道具で加工ができるからです
また森で育ち、土に還っていく
という循環性もある
それで
究極の材料は木だと思っていました
(中略)
木、石、鉄は全部自分にふさわしい構造を生み出す
わけです
石だったらアーチ
木だったらトラス
ですね
(中略)
構造というものは
われわれの意識的な知力と理性が生み出し
その知力とか理性の力が
われわれの日常的な感覚とか身体性を裏切って
驚きや感動を与えるものではないか
ですから
構造というのは
建築の中で最後に成立した
あるいは人間の脳のなかで最も高度な部分を使っている
領域ではないかと考えています
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いままで
建築物や工作物(とりわけ「橋梁」や「鉄道橋・駅舎上屋」等)
など
その「形態」と「重力」に反発するような「構造美」
を
目にしたときの
あの
「気持ち」
は
このようなことなのではないか
と
藤森教授の「レクチャー」と掲載されている「写真」を見ながら
思ったのである
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究極の建築材料は何かと考えていて、昔、建築家の石山修武に
「究極の建築材料ってなんだろう」
と
尋ねてみたのです
彼は「鉄」と言うだろうと思っていましたが
そのとき「木だと思う」と言ったんです
それでビックリしました
(中略)
もちろん僕も木だと思っていました
なぜ木を究極の建築材料だと思うかというと
まず、人間の手で持つことができて
簡単な道具で加工ができるからです
また森で育ち、土に還っていく
という循環性もある
それで
究極の材料は木だと思っていました
(中略)
木、石、鉄は全部自分にふさわしい構造を生み出す
わけです
石だったらアーチ
木だったらトラス
ですね
(中略)
構造というものは
われわれの意識的な知力と理性が生み出し
その知力とか理性の力が
われわれの日常的な感覚とか身体性を裏切って
驚きや感動を与えるものではないか
ですから
構造というのは
建築の中で最後に成立した
あるいは人間の脳のなかで最も高度な部分を使っている
領域ではないかと考えています
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いままで
建築物や工作物(とりわけ「橋梁」や「鉄道橋・駅舎上屋」等)
など
その「形態」と「重力」に反発するような「構造美」
を
目にしたときの
あの
「気持ち」
は
このようなことなのではないか
と
藤森教授の「レクチャー」と掲載されている「写真」を見ながら
思ったのである