2010-10-03

ケッショウノイロ

高崎正治氏の「結晶のいろ」

いまなお「光輝く」存在である

個人的にはおもっている

学校を卒業して
すぐの頃
建築各誌をにぎわせていた「建築」だ
高崎正治氏は
大学を卒業後
渡欧先

ピータクック氏
に師事する

この
影響が
のちの
高崎氏が携わる「ものづくり」

影響を与えたのかもしれない(あくまで私感です)
ぼくは
建築誌「新建築」のあの表紙に浮かぶ
「オブジェ」

「ヌルッ」とした感触というか
「空気」

「一目」
あじわってみたいと
「表参道」の裏道

彷徨ったものだ
そのころは「デジカメ」もなく
スチール写真

何枚も撮った記憶がある
都会の喧騒にヒッソリと身を潜める
「イキモノ」

ようなその
「スガタ」

いまも何処か「脳裏」のカタスミで生き続けているのかもしれない...


(追伸)
このときのぼくの気持ちに
近似した描写が
『建築所感017<結晶のいろ>』

かかれている


(参考)