2012-12-19

新・建築入門-思想と歴史。


二十世紀末、混沌とした建築世界の状況を
過去の建築様式、建築家・哲学者など思想から
二十一世紀以降へと継承されようとしている「動き・流れ」を考察する
1994年11月20日初版、隈研吾さんの本です。


二十世紀末の建築の混乱の背後にあるのは建築という
ひとつの制度自体を否定し、解体しようとする、
抗しがたい時代のムーヴメントである。
建築そのものがひとつ決定的な危機をむかえ、
その危機がこのかつて誰もみたことがないような建築様式上の
混乱を生んでいるわけである。
◇◇◇◇◇
構築は外部を必要とし、外部を欲する。外部は自然と名づけられ、自然は構築にとって永遠の他者である。構築はこの他者を強く欲し、この他者との対比を求め続ける。構築の結果として当然のこと外部は失われていくわけだが、外部の喪失は構築にとって致命的であり、あらゆる構築は外部の喪失によって挫折する。すなわち自らの拡張によって構築は挫折する。これこそが構築をめぐる最大のパラドクスであった。

自然を建築的に表現することによって、構築の本質を隠蔽しようと試みたのは、古代ギリシャ人だけではない。そして時代が構築的であればあるほど、あたかもそれに対する代償、あるいは贖罪のように自然というテーマがその時代の表面へと浮上する。

(構築する主体は)構築の外部に立って、外側から、あたかも創造主のようにして構築を眺める主体と、構築の内部に立って、内側から構築を眺める主体の二つに、主体は分裂したのである。分裂は深刻な危機感を建築家に与えた。外部の構築性が必ずしも内部の構築性に結びつかないという現実が、建築家に危機感を与えたのである。外観において、ひとつの統一的な秩序を有する建築が、しばしきわめて非構築な内部、すなわち迷路状の内部空間を内包することに、彼らは危機感を覚えたのである。これは「創造主としての建築家」という特権的な地位をおびやかすに充分であった。

ローマ人において特筆すべきは、彼らがその建築的手法を、都市にまで延長していった点である。軸線の重視は、ローマの建築を特徴づける方法のひとつだが、軸線という手法は建築というフレームを逸脱し、都市にまで拡張された。

アルベルティを「壁の建築家」と呼ぶならば、ミケランジェロは「彫刻の建築家」であった。彫刻の建築家とは、建築物の中に彫刻を置くという意味でもないし、建築の壁面を彫刻で飾るという意味でもない。建築自身を、彫刻の延長、彫刻の拡張として捉えるという意味である。そして彼は実際にも自分のことを決して建築家とは称さなかった。

外部と構築物の関係性の逆転という現象を、認識論的に解説したものが、カントの哲学に他ならない。すなわち構築物に対する外部の優位性と、カントが唱えた意志と物自体の切断とは、同義である。構築せんとする意志、認識せんとする意志は、物自体との運命的な切断をカントによって言いわたされた。

構築の外部こそが、十九世紀という時代の最大のテーマであり、かつ最大の関心事であった。建築のみならず、すべての領域で外部が問題とされ、行動と知は、ひたすら外部へと向かった。外部とはまず自然の事であった。自然へ帰り、自然に服従することが、テーマとして設定された。ただし、このような牧歌的なテーマ設定の限界は、ただちに露呈された。なぜなら、「自然へ帰る」とは、自然というカモフラージュを駆使しながら、構築をさらに拡張していく事に他ならなかったからである。構築がその外部に対して優位にたち、外部を侵略するという構図は、少しも変わることがなかったのである。

フーリエはなぜ失敗したのか。フーリエの限界はすなわちヘーゲルの限界でもあった。すなわち彼らはともに外部の存在を無視した。求心的、階層的な秩序を内部に生成することにのみ、彼らの関心は向かった。彼らは、内部のみで完結する。完全な構築物をきずくことを目的としたのである。

モダニズムの入口はマルキシズムであり、出口はフッサールであり実存主義であった。マルキシズムから、すなわち社会のための建築というテーゼからモダニズムはスタートしたが、ミースはこのテーゼを完全に反転させることに成功した。すなわち社会という問題を完全に排除した建築様式として、モダニズムは完成され、世界へと拡散していったのである。

彼(ミース)は本気でユニヴァーサル・スペースなど、信じてはいなかった。自分のデザインした建築の中を、人々が勝手に可動間仕切りで仕切ったり、模様変えをすることなど、絶対に許さなかった。事実、彼はどんな小さな可動間仕切りに到るまで自分自身でデザインし、そしてその位置までも、自分で決定した。シーグラムビルにいたっては、天井照明がまばらにともっている状態をいやがり、全館の照明を単一のスイッチで操作することまで提案している。

建築とは構築以外のものでは決してありえない。ミースはそのような確信を持っていたに違いない。この確信の導くままに、モダニズム以降の建築は、保守化の途をころげおちていった。ポストモダニズムの建築とは、その保守化のひとつの到達点であった。

もはや世界は物質の過剰に悩んでおり、しかも物質とは本来的にきわめて不自由なものであり、人間に今必要なのは物質的なものをさらに構築することではなく、非物質的な構築である、という批判である。ヴァーチャルリアリティーはそのような議論であり、様々な新しい宗教もまたそのような、非物質的構築を目的としている。そしてなによりもまず、映像やゲームの前を離れない子供達の姿は、物質性への批判を、最も露骨な形で体現している。

いかにすれば、構築の本質的な批判というものが可能であるのか。それは建築という本来的に構築的である制度の内側においても可能であるのか。そして、構築にかわる建築の方法論というものが、はたして可能であるのか。われわれは今、この問いの前に立たされている。いつかはこの問いが、目の前に立ちはだかるであろうということを、すべての建築家は予想していたはずである。一本の柱が太古の原野に立てられて以来、この問いへの解答は長い間保留され続けてきた。あらわれては消えるというプロセスを繰り返しながらも、問いはますます巨大化し、切迫していったのである。もはや、問いはわれわれを押しつぶすところまで来ている。
◇◇◇◇◇



(目次)
まえがき
第一章
建築の危機
1 すべてが建築である/2 脱構築=脱建築
第二章
建築とは何か
1 物質/2 シェルター/3 空間
第三章
構 築
1 洞窟/2 垂直/3 構造
第四章
構築と拡張
1 多柱室/2 比例/3 台座/4 ルーフ/5 視覚補生
第五章
構築と自然
1 生贄/2 植物/3 身体
第六章
構築と主体
1 家型原型説/2 外部対内部/3 光による統合
第七章
主観対客観
1 主観的救出/2 ローマという統合/3 ゴシックという主観
第八章
建築の解体
1 透視図法/2 書き割りとテクノロジー/3 絶対的な主観
第九章
普遍の終焉
1 普遍対逸脱/2 新古典主義/3 幾何学と自然/4 自然と崇高
第十章
建築のモダニズム
1 自然の逆転/2 社会の発見/3 理想都市とマルクス/4 構築の否定とミース/5 構築を超えて

(参考)
ハンス・ホライン Wikipedia
フランク・O・ゲーリー Wikipedia
ウィトルウィウス Wikipedia
フランク・ロイド・ライト Wikipedia
ル・コルビュジエ Wikipedia
ジークフリート・ギーディオン Wikipedia
パンテオン(ローマ) Wikipedia
ミース・ファン・デル・ローエ Wikipedia
マッキム・ミード・アンド・ホワイト kotobank
フィリッポ・ブルネレスキ Wikipedia
ルドルフ・ウィトコワ
ミケランジェロ・ブオナローティ Wikipedia
ルネ・デカルト Wikipedia
ジュリオ・ロマーノ Wikipedia
ジョバンニ(ジャン)・ロレンツォ・ベルニーニ Wikipedia
マルク・アントワーヌ・ロージェ(教会建築の意味:建築試論)
ジャック・ジェルマン・スフロ(パリ5区)
幻視家 ヴィジオネール
イマヌエル・カント Wikipedia
アーツ・アンド・クラフツ Wikipedia
アンドリュー・ジャクソン・ダウニング Wikipedia
ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル Wikipedia
ロバート・オーウェン Wikipedia
カール・ハインリッヒ・マルクス Wikipedia
ペーター・ベーレンス Wikipedia
フィリップ・ジョンソン Wikipedia
マルクス主義(マルキシズム) Wikipedia
エルムント・フッサール Wikipedia
実存主義 Wikipedia
ユニヴァーサル・スペース Wikipedia

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taka_raba_ko ポストモダン 建築巡礼 1975-95
taka_raba_ko 10宅論~10種類の日本人が住む10種類の住宅