2012-12-14

男の生活の愉しみ 知的に生きるヒント。

仕事が好きな、男たち。
仕事が何にもまして優先すると信じている人間。
けれどもそれがすべてではないと思うところが、
世の仕事しかないという「ワーカーホリック」と少し違う。
仕事以外にこんな愉しいことで世の中は満ち満ちているということを教えてくれる、
建築家・宮脇檀さんの「愉しみ」論談。
宮脇檀の建築という創作行為も、ひとりの建築家における人生旅のなかで生まれてきたようにも思えます。それは「旨いもの」を探し歩き、食べ、そして、つくってみることのような試行錯誤の連続のなかから誕生した「味」にも似ています。また、宮脇檀自身の暮らしの中からみえてくる「ふつうの疑問」から、日本の住文化というものの「ありかた」を掘りさげている視点。季節や場所などが変わることにより、誕生した「料理」や生活の「空間」そして「人の営み」など。この本は「男」という視点から描かれた、様々な生活のシーンにおける「平凡」「非凡」さをいかに「愉しみ」へと捉えることのできるようなものにできるのか?という、宮脇檀自身の「こだわり」が描かれた、愉しい本なのです。

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喰い物の味を論じることは、人類が他の動物より進んだ、人が人であるゆえんの部分であると信じている下賎な人間としては、断固として食とその味にこだわり続けたいと思う。

骨董品屋の小僧の修行は何が本物で、どれが偽物か見極める目を養うことにつきる。そのとき、骨董品屋のおやじは決してよいものと偽物の両者を出して比較させるというような訓練をしないのだそうだ。ただひたすらよいもの、本物だけを見させること。次々と良いものだけを見せていると、偽物がでたときに一瞬に偽物!とわかるようになるのだというのだ。

旨いものって基本的に高いから毎日自費で食べるわけにもいかないし、近所にないし、第一どこに旨いものがあるかわからないし......、そこが駄目、面倒くさがって旨いものが喰えるか。人間は努力する葦なのだ。

百聞は一見にしかずというではないか。まずカウンターに座って、料理人が何をするか見ることから始める。

女なら片っ端から-のあの感覚でしかない。求道者はより奥深いものを求めて次に進む。アメリカ人たちはそんな単なるデートを重ねた後の本格的なつきあいのことをステディといいますね。昼休みに会社のそばの定食屋に連日通ってこれをやってみれば、多少それに近いものが発見できるはず。

貴方が馴染みになったその店の、その定番そのものを、今度は違う店に行って注文する方法である。貴方の舌にはもう馴染み店の味がインプットされているのだから、食べ比べてみればその味の違いはすぐ判る。(同じ料理であっても)これだけの違いがあることに気付くと、貴方はこの世界の調理人たちの求道心の豊かさ、道の深さ、またはいい加減さというものが判ってくるようになる。

自分で作る料理の最初は何から始めるかといったら、これは朝飯である。女房が風邪をひいた、入院した、突然いなくなった、何があったにしろ朝の飯が一番の問題。昼はどこからかとればよいし、夜は食べに行けばとりあえずの数日はすむ。けれど朝飯を店屋物ですますというのは難しい。第一、朝出前などしてくれる店なんかあるか。

酒のTPOでいうならば酒に喰いもの、または喰いものに酒合わせるのは当然の礼儀。とにかくそうして選んだビールを飲もうと思ったときにはビールに合うつまみ、日本酒向きの、ウィスキーにはそれなりの肴でないと旨くない-と私は思う。

おたくの台所に入って気がつくことの第一は、台所というのはこんなに汚い場であったのかという印象であるはず。日本の台所は汚い。理由はハッキリしていて、一に女たちが台所は綺麗になんかならないとあきらめていて、かたづけようという意志を放棄していること。二にそう思わざるをえないほど道具が多く、あの狭い台所ではかたづけようがないというわが国特有の事情があること。三番目には日本の食事というのは、食事中に炒めたり、焼いたり、温めてよそったりという行為がいくつもあって、そのためにいろいろ調理中の器具や食器類などをしまっておくより出しておく方がはるかに楽-という面もある、というやつ。

この混乱の原因は、これらのほとんどが安いまたは可愛い!という動機で発作的にデパートの特売等で購入されたもの、または結婚式等の引き出物等のもらいもので構成され、決して一貫した美学の下に計画的に購入されたものでないことにある。

男が探し求める最初の道具は何か。男にとっては当然ナイフである。日本の板前は、自分の専用包丁にさらしを巻き、懐に忍ばせて旅に出る。ヨーロッパのシェフたちは、専用のトランクに包丁一式を入れて次なる職場に向かう。とにかく切れる包丁というものは調理人を調理に専念させる強さを持っているのだから、素人の私たちにも快感のいくらかを分けてはくれるし、何よりも切れることによって、料理の味がよくなり、それより何よりも料理って楽しいもんと我らに感じさせてくれるということがすばらしい。

普通はエプロンが男が厨房に立つときのシンボルのようになっているはずだが、これを女房のお古のアップリケか何かしたやつなど着けないでいただきたい。これくらいみっともないものはない。ここでもプロ用のを着用して欲しいのだ。たとえそれが義務であってもそれを楽しいものにしてしまうには、こんな何らかの演出がかなりきくことを実感として居るものとして、皆さんにお勧めしているだけのこと。

かの魯山人が自ら数々の食器を生み出したのは、自分の皿の上に置いてみたいという欲求もさることながら、食器によって旨いものはより旨くなると信じていたからだ(ここで間違えてはならない。まずい喰い物でも美しい食器に盛れば旨く喰えるなどといいうことは決してないこと、料理の下手な女にどんな立派なシステムキッチンを与えても、決して急に料理の名人にならないと同様)。

室内で靴を脱ぐ文化圏と、脱がない文化圏は昔からハッキリ分かれていて、それは時代が変わってもあまり変わらない。両者の差はその住居が床を張る高床式か、地面に直接床を作ってしまう土間式かの違いによると学者は説く。さらに、高床は高温多湿のアジア・モンスーン地帯や熱帯地方で、地面の湿気から逃れ、また床下に風を通すことによって暑さをしのぐための必然であり、そのせっかく作った生活空間としての床に汚れた下足で上がらないのは理の当然であるという。

日本で、スリッパというのがかくも一般的になったのは、もちろん1945年8月15日以降つまり終戦の日からのことであった。アメリカ型の生活、住宅というものを知らない日本人は、まずアメリカの漫画「ブロンディ」でアメリカ型の生活とその家とを知る。電気冷蔵庫があるダイニングキッチンとか、夫婦が一緒に寝ているダブルベッドとか、家族が語り合うリビングルームなどというものを驚きとともに学んだ。少し遅れてアメリカのテレビドラマ「パパは何でも知っている」などで、その家のなかの具体的な生活も少しずつ知るようになった

そうした家の形はアメリカ型の生活に憧れる一般の日本人によって急速に拡大していった。『古事記』の時代から基本的にはほとんど変わっていなかったような日本の家にとって、それはまさに革命的な変化で、その急速な摂取の過程でいろいろな誤謬や誤解があったのは仕方ない。そんな誤解の一つに、スリッパに関するものとしてカーペットがある。

今の日本人が死に絶え、新しいタイプの、靴のまま入るかまたは再び裸足で歩くことを好む日本人が現れるまで、スリッパという怪は存在し続けるらしい。

人間尺という、人間の寸法を一つの基準(重さ、高さ、長さ など)、尺度としてモノを決定するシステムである。これが寸法の基準になった。尺度というものの地域性が強いことのほかに、人体を寸法の基準とする歴史の方がメートル法などよりもずっと長かったことに由来する、ことなどはまさにその例である。

へその高さはもっと決定的な重要な寸法を決定する基準になっている。

ソファの急速な普及は80年代に入ってからなのだから、たとえ普及しているとしても、どう使われているか。ソファに関しては値段でお買いになる方が多いという。つまり客が座るんだから安いのでいいよということらしい。だから日本の住宅におけるお父さんたちの座り方の大部分は、ソファの前の床に座布団敷いて座り込み、それにもたれてテレビ見ているという形。ほんとうは酒飲んで酔っぱらいひっくり返りながらテレビを見るためにあるのだが。

食事用椅子はそれほど大きくなくてよいと思われているらしいが、ここに食卓というのは食事専用の卓子(テーブル)で、食卓の椅子は食事にしか使わないかという点を考えなくてはならない。

デンマークの「Yチェア」のような、この手の食事用椅子は単なる食事用椅子ではなく、読書用、仕事用にも使えるからとにかく自分用に一脚買ってしまうことをお勧め。

日本のお父さんは家に自分の場所を持っていない。昼間会社に逃げたお父さんたちは、その代償として家を女房に明け渡し、結果として家を丸ごと女のものにしてしまった。そして家に居場所がなくなってしまったのである。

冬になる。木枯らしが冷たくなり始める。こういう季節の夕方になると、コートの襟を立て足早に歩く我らの頭に浮かぶのは、湯気がパーッと上がっている鍋のことばかり。

欧米人だってシチューや鍋を囲むことはしているがもうひとつ決定的な違いがある。箸である。同じ鍋から直接食物を取って喰うのは、箸で食事する民族だけのようだ。多分、ヨーロッパ系の文化が基本的に狩猟民族のそれであり、東南アジア系は農耕民族であるという差があったのだと思う。動物を殺し、割いて食べるために刃物が必要だった狩猟・牧畜の文化と植物を手やその代用である箸でつまむ文化との違いだろう。そしてまた、近ごろの若者がちゃんとした箸の持ち方ができなくなっていることは、やがてこの嬉しい習慣である鍋の文化もすたれていくことを意味しているのであろうか。

私はホテルに泊ると、どんなに疲れていても酔っていても、必ずその部屋の実測をし(建築の世界以外の方には、わかりにくいことだけれど、「実測」というのは物差しを使って部分の寸法をすべて測り、それを図面化することをいう)、五十分の一という縮尺で平面図を書く習慣を持っている人間。-ホテルの経営者の哲学、理念、経営方針からホテルそのものの質、内容、設計者、施工者のレベルまでがわかってしまうのである。場合によってはそのホテルが建っている国の文化的背景から歴史、経済状況までわかってしまうのが実測という作業の副産物。となれば面白くてやめられない。

ベッドメイキングのあの「ベッドのカバー」。外してあると夜の時間になったことになってそれ以降は異性を連れ込んではならないとか、最近はその模様や色をカーテンっと揃えるのが多いとか、一々外してクローゼットに仕舞いこむ手間を省くためにカバー兼用上布団というケースが目立ち始めたことをご存知だったか。

子供に紙を一枚渡して、家の周りの地図を描いてごらんといってみる。ちゃんとした地図、地図らしい地図を描ける子などまあいない。いや、子供たちだけではない。外国に行って、行きたい場所への道がわからなくなって、現地の人を捕まえて手持ちの地図で、どうやって行けばよいかと聞いて、一発で答えが返ってきた記憶のある人はいまい。ほとんどの現地の人はまずこれがどこ辺りの地図か判断するのに時間が掛かり、今いる場所が確認できず、結局アッチじゃない?とどこか適当に指差されておしまいになるのが落ち。これは縮尺とか図面化ということに無縁な人には、当然起きる現象。

地域のイメージがわかっていれば地図は描けるかというと、その地域像が狂っていて、なかなか正確に描けないという実態もある。現在の私たちは、宇宙船から見た球形の青い地球という映像で何度も地球が丸いことを確認している。そのはずなのに土井隆雄さんが宇宙船の外で活動しているその上部にある巨大な球形の地球の映像を見ると、改めて新鮮に思えてしまう。先にイメージがあって、それが地図として形になることがこれらの事例からわかっていただけるだろう。

日本の場合、七世紀ごろ日本中を伝道して歩いた僧、行基が描いたと伝えられる行基図とその日本全図のイメージがしばらく民間で継承される。正確な日本地図といえば1800年から始まって21年かかって伊能忠敬とその弟子たちが完成させた「大日本海與地全図」である。私は海外に行く場合は大抵その町の地図を、資料を基にして描いてみる。理解と感激が三倍くらいになるからだ。

私が中古マンションを買おうという客に向かって助言することは「夜見に行きなさい、窓から黄色い明かりが洩れているマンションは、お金持ちが住んでいるから安心だけれども、全部青い蛍光灯の光が洩れているようなマンションは、規模も小さく住宅以外の小さな事務所なんかが入っていて、夜中まで人が出入りしてセキュリティが心配。そういうマンションからまずスラム化するんですよネ」と。

家を設計するという商売をしていると、日本人がやたら明るい家、明るい家と明るい家ばかり欲しがり、窓はたくさん開けてくれ、それも床までいっぱいの掃き出し窓で、できたらガラスばりの欄間もつけてくれというのに少しばかりうんざりする。日本人は、日、月を組み合わせた「明」るいという文字を、太陽や月が明るいとか、照明が明るいとかという照度が高い状態をさすときに使う。そしてそれ以外に、明るい性格とか明るい家庭などという人間関係の状態も同じ字で示す。英語だったら光線の明るいは「light」で、気持ちの明るい人間は「bright」。対して日本人は同じ漢字を使っている。照明をつけて部屋が明るくなるという感覚と、明るくすると人間関係も自動的に明るくなる......とつい短絡してしまうのではないかと思うのだが(宮脇学説の骨子)。
◇◇◇◇◇
(本書同様、「大きな字」で書いてみました...笑)


(目次)
第一章 旨いものを喰う
旨いものを食べよう
旨いものを食べたがること
食べる修行
食の先輩たちを見習う
旨い店を探す方法
『ミシュラン』というガイドブック
ニューヨークのガイド『ザガト』
食の修行
割烹の薦め
カウンター万歳
見て覚えること
ステディの店を持つ
同じものを喰い歩く
食べて歩いてわかる基本
作ってみること
どこに何があるか
基本を修める
まずは生命のだし
朝飯から始める
粥なら簡単
味噌汁に迫る
和洋朝定食卒業
酒の肴を作る
酒に肴を合わせる
炒飯もレパートリーに
第二章 生活の中で考える
家の道具を考える
台所は何故汚い?
女好みのグッズが溢れて
男は包丁
研ぐのも楽し
最小限の鍋
プロ用の道具を使う
食器もまた多い
よい食器を使う
選んで使う楽しみ
家の足元を考える
なぜ玄関にスリッパ立てがあるのか
脱ぐ文化・脱がない文化
脱ぎたい日本人
カーペットをなぜ敷く?
スリッパの誕生
寸法の話
世界共通の瓶の太さ
坪か平方メートルか
人体という物差し
人間工学は自衛隊から?
日本人のための日本人の寸法
手も足も短い日本人
平均寸法を測ってみる
立ち居振る舞いも決める寸法
大きければよいわけではない
小さければ笑いもの
椅子を選ぶ
何故チェアマン?
ソファに座ってます?
日本の家に椅子が入ったとき
食卓椅子は多目的
お父さんの椅子
王者のアームチェア
名作を買う
イームズとコルビュジェ
大型座布団・マレンコ
第三章 旅で学ぶ
鍋の地域差
日本の鍋-北海道・東北
日本の鍋-関東・東京
日本の鍋-中部・関西
日本の鍋-中国・九州・沖縄
世界の鍋
鍋に箸の文化
ホテルで学ぶ
ホテルでの記憶
客室で質を見抜く
入口ドアはどう開く
スチールドアは何のため
浴室はユニットだけではない
浴室豪華化はどこまで
ベッドはどこに置いてある
無駄なベッドメイキング
家具を観察する
ミニバー
寝付かれぬ夜のために
旅あちこち
貴方は地図が描けるか
間違いだらけのイメージマップ
古地図の面白さ
コレクションの薦め
貴方もコレクターになれる
コレクション様々
香港、黄色い灯・青い灯
金持ちは白熱灯?
黄色人種の蛍光灯
明るい光・明るい家庭


(参考)