2012-08-23

あそびのすすめ

「弘前ねぶた」1975
吉阪隆正自身によるスケッチ
学生のころ書店店頭で手に入れたものです
1985年8月29日初版 吉阪隆正集 第16巻 現在は「絶版(高額古書)」のようです
全17巻のうちこの一冊だけが手元にあります

全17巻の構成は次のようなものです
(☆は当時「既刊」発行されていたもの)
■生活論■
人間と住居
☆第01巻 住居の発見
第02巻 住生活の観察
第03巻 住居の意味
第04巻 住居の形態
■造形論■
環境と造形
第05巻 環境と造形◎
第06巻 世界の建築◎
第07巻 建築の発想◎
☆第08巻 ル・コルビュジエと私◎
☆第09巻 建築家の人生と役割
■集住論■
集住とすがた
☆第10巻 集まって住む
☆第11巻 不連続統一体を
第12巻 地域のデザイン
☆第13巻 有形学へ
■游行論■
行動と思索
第14巻 山岳・雪氷・建築
☆第15巻 原子境から文明境へ
☆第16巻 あそびのすすめ
☆第17巻 大学・交流・平和

3,300円もするこの「上製本」の価値がわからなかった「ボク」は、惜しげなく(笑)も赤線を入れている。バカだな(笑)。その赤線がうってあるところをかいつまんで読み進めていくと(笑)、こんな「クダリ」の一文に出会いました。
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江戸時代には、今の環状線(山手線)の中の、しかも三分の一ぐらいの下町に100万という人口が入っていたのです。しかし風鈴の鳴るだけの風はあったのです。間口九尺(≒2,720)から二間半(≒2,275)が町人に許された幅でした。だから宅地は短冊状に細長くなります。九尺二間の割長屋でも、十分な路地庭がありました。今やっているミニ開発はすっかりその知恵を忘れてしまったので、大名のような敷地のとり方をしているのです。
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都市における住宅地の「敷地・形状(のつくられかた)」についてふれられているモノですが、単に土地の「カタチ」を考えるだけの話と捉えてはいけない、とおもいます。そう、「風鈴のなるだけの風」がそこに通っていた(あるいは「吹いて」いた)ということ。それはその土地につくられる「建築(この場合、住宅のようです)」もそういう「環境」のことを読み込んだ「モノ」が考えられていたということになります。しかも、いまの首都東京より「高密」な状態によってつくられていたということ......なのです。この論をそのまま、現在あるものすべてを「更地」にして江戸時代のような街づくりに.....というのは、あまりにも非現実的なハナシであります。しかし、「新たにつくる場合」、「空き家」や「古い街並み」などの「保存・再生(リノベーション)」などを手がけるときに「建築」あるいは「敷地」のなかで「できること」はないのか?ということを考えるうえで、たいへん参考になる内容であると思います。本書を著した建築家・吉阪隆正氏は、「登山家・探検家」として、多くの山や地方を訪ね歩きました。そしてそこで体験したことを、より「風土」とか「土着」性といったものを強く表現するために建築として「カタチ(空間)」にしてきた人です。その異彩放つ「建築と風貌」は建築文化の片隅に永きにわたり置かれたままでした。しかしいま、まさにその思想と実践を学び直し今日われわれが直面する「エネルギー(あるいはその「暮らし」)」などの山積する課題へと挑戦していくことが、私たちのシゴトであると強くおもうのです。


(目次)

Ⅰ あそびのすすめ
あそびのすすめ
好きなものはやらずにはいられない―生きるか死ぬか生命力を賭けて
人生は賭けの連続
日記から
生活・発見

Ⅱ 地球の歩きテク
第四者の目から自分らを見なおそう
小さくなった富士山
東西往復雑記
二つの新大陸を訪ねて
地球の対極点
ヴァロリスに訪ねて―ピカソと私
スリナガルのハウスボート
建築・探検・廃墟
旅・人・形姿

Ⅲ 宇為火タチノオハナシ
宇為火タチノオハナシ

Ⅳ 美を賛えること
醜を憎むことと美を賛えることと
天災・人災―自然を尊ぶことが災害をなくす
都会における山
私の自然観
自然環境保全のために
国道には並木を!
真理・信仰・倫理
仕事が楽しい世界
新しいカッコよさ
「独断と偏見」の独断と偏見
「天上天下唯我独尊」だ
文明・建築・工業化
権力の誇示と近代化路線と庶民

Ⅴ かんそうなめくじの文明批判
日本万国博に期待する
素通りした万博見学記
続“かんそう・なめくじ”の言―月は西から東に向かう
「かんそうなめくじ」五本目の脚

解説・後記
解説 天狗の遺贈品―「遊びの事典」 山口昌伴
後記                高間譲治


(参考)

勁草書房 吉阪隆正集

三つの「あそび」観
吉阪(隆正)にとって「あそび」とはいったい何であったのか。生涯深くかかわった山岳、探検、旅行を通じて培われてきた彼の「あそび」観は本巻において大きく三つの流れに分けられている。まず、「好きなものはやらずにはいられない」というように「娯楽」はもちろんであるが、「仕事」や「研究」も含めて、すべてやりたいことは成功をめざして一生懸命遂行しようとする、いわば生活態度そのものともいえる「必死のあそび」である。つぎに「歩きテクト(アーキテクトと掛けた)」にみられるように、人間や人間集団の定位とこれを取り巻く環境との多様な、複雑な関係の全体を知りたいとして、果てしなく旅を続けるという「放浪のあそび」である。そして最後は「かんそうなめくじ(彼の分身ともいえる)」に代表されるように、時代、世相を俎上に載せる「知のあそび」である。この「知のあそび」には様々な引き出しがあり、彼の時おりの問題意識に応じて、文明批判、評論から説法まで多岐に及んでいる。吉阪の世界に踏み込む鍵としてこれらの「あそび」を手がかりとすることは、直接に彼の活動の源泉に触れる試みにつながる。