米寿を迎えられた水木しげる氏
この文庫本は1995年6月15日初版発行
で
単行本としては
1991年10月に発行されているものだ
1922年
鳥取県境港市に
誕生された
水木しげる氏は太平洋戦争に
出征されている
この本
は
その体験をもとに
描かれている
「あとがき」
に
かかれている「氏の言葉」を
少しご紹介したい
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(あとがき) あの場所をそうまでにして・・・・・・
この「総員玉砕せよ!」という物語は、九十パーセントは事実です。
ただ、参謀が流弾にあたって死ぬことになっていますが、あれは事実ではなく、
参謀はテキトウな時に上手に逃げます。
物語では全員死にますが、実際は八十人近く生き残ります。
だいたい同じ島で「オレたちあとで死ぬから、お前たち先に死ね」
といわれても、なかなか死ねるものではありません。
「玉砕」というのは、どこでもそうですが、必ず生き残りがいます。
(中略)
この物語では最後に全員死ぬことになっているが、ぼくは最後に一人の兵隊が逃げて
次の地点で守る連隊長に報告することにしようと思った。だが、
長くなるので全員玉砕にしたが、
事実は
となりの地区を守っていた混成三連隊の連隊長は、
この玉砕事件について
こういった。
「あの場所をなぜ、そうまでにして守らねばならなかったのか」
ぼくはそれを耳にしたとき
「フハッ」と
空しい嘆息みたいな言葉が
出るだけだった。
あの場所をそうまでにして..........、なんと空しい言葉だろう。
死人(戦死者)に口はない。
ぼくは戦記物をかくと わけのわからない怒り
が
こみ上げてきて仕方がない。
多分
戦死者の霊が
そうさせるのではないかと思う。
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ことし65年目をむかえる
「広島原爆投下の日」
高齢化の進む「被爆者の方々」も
年々その数が減ってきていることなど
が
報じられている
戦争をしても皆が「傷を追い」だれも得をするものなどいない
まして
「人間が人間」の命を奪い合う
悲惨な争い(戦争)は
どんな理由があっても
絶対おこしてはならない
このことを「戦争を知らない」僕らが学び
次の世代に語り継いでいくことが
大切なのではないだろうか
(追記)
広島といえば
「広島平和記念資料館および平和記念公園」
が有名だが
その
アーバンデザイン(都市設計)
を
手掛けた
建築家・丹下健三氏
の
記事にも興味深いものがある
(追記)
広島といえば
「広島平和記念資料館および平和記念公園」
が有名だが
その
アーバンデザイン(都市設計)
を
手掛けた
建築家・丹下健三氏
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