2012-11-23

ベーシック・ハウス考。

「ベーシック(basic)」ということばには『基本、根本』という意味があります。
もともとは
コンピュータ・プログラミング言語のことで
コンピューター動作を指示するための「人工言語」のことを指していいました。
ここで考えようとしているものは「すまい」のこと。
「住む(あるいは「暮らし」)」
という人間生活の「基本的営み」を守り、格納する「ハコ」、のあるべきスガタとは?
建築家たちによる
「ベーシックハウス考」

本誌で展開されています。
1995年3月15日
戦後「50年」という節目にあたり、
OM研究所(現・自然エネルギー研究所)から発行された「SOLAR CAT 20」。

◇◇◇◇◇
これからの住宅に求められるベーシックな条件とは何でしょうか?
着膨れした今の住宅の中にさらに「何が必要」かを探すよりも
いっそ引き算をして「何が不要」かを考えてみる必要がありそうです。
秋山東一:原点といわれたとき、具体的な住宅ではなくて、
もっと抽象的なものだろうと思いました。「住宅は住む機械」。
石田信男:働く場所と休む場所が渾然として、
間仕切りがなく、いつも誰かがワイワイいるという
住体験が脳裏から消えない。
奥村昭雄:50年代の住宅は無駄な要素がなくて、
本当にギリギリでできている。
今でもそういうティピカル(典型的)な住宅を
機会があればやりたいと思っている。
武山倫:何年か経って使い勝手が変わっても、
新しい価値を持てる住まい。
それがベーシック・ハウス。
永田昌民:増沢洵さんの自邸、吉村順三先生の御蔵山の家に
みる最小限の住宅の考え方、レーモンドのベーシック・
ハウスにみるディテール。当時彼らがどう
処理したかということが、すごく後を引いている。
野沢正光:広瀬鎌二、増沢洵、清家清らの
当時の住宅はみんなどこかで工業化、
オープン化を考えている。
長谷川敬:数百年、あまり変わらずにきた日本の家の原型。
働くスペースと休むスペースが二つ明快にあって、
誰でも単純に使える家。そこに気持ちが引かれる。
丸谷博男:生産の場が失われた後の家のあり方が
これからどうなっていくのか、
この点に問題意識を持っている。

小玉祐一郎:「必要にして十分」であること。空間的にも
時間的にもそうであるためには、ほとんど無限の
豊かさを許容する簡潔さでなければならない。
村松篤:それぞれの場に適応している住宅は、
長くその地域の人に受け入れられ、
行き続けていけるのではないか。「民家」のような。

戦後の東京で
私たちが毎日のようにレーモンドから聞かされたのは、
自然(ナチュラル)、単純(シンプル)、直截(ダイレクト)、
正直(オネスト)、経済(エコノミー)」の
五つの原則(プリンシプル)でした。
アントニン・レーモンド(1888-1976)は、1919年大晦日にF・L・ライトとともに、帝国ホテル建設のために日本を初めて訪れました。以来、太平洋戦争をはさむ10年間を除き1973年に離日するまで日本に約400の建築を残しました。戦前の作品では東京女子大、聖心女子大、軽井沢の聖ホール教会が、今も残り有名です(1995年2月現在)。作品のうち戦前50、戦中15、戦後50くらいが住宅、
その九割が木造です。特に戦後の住宅は、アメリカ現代住宅の開放的な平面と日本的構造を加えた「レーモンド・スタイル」と言われる型をつくり上げています。戦後10年間の物と技術が不足した時代に、最小限の材料と、日本古来の大工技術を巧みに生かし、当時、あこがれのアメリカンライフスタイルを日本人に示しました。レーモンドは戦後、日米の関係が怪しくなり始めた頃、蓄積を作品集にまとめ、出版してから日本を去りました。そもそも前世紀の装飾と様式世界に愛想をつかした彼は、新たな近代建築の世界をアメリカに求め、ライトのタリアセンで開眼します。そして日本で見た伊勢神宮や民家の自然性、単純性を求め、当初のライト流や表現派を超え、時にはコルビュジェ風の近代を取り入れ、次第に自らの姿勢をつくり上げていったのです。日本の住宅は、自然をいつくしみ、故に「日本の住宅は、自然の形の進化に似ている」「建築家は気象の厳しさに対抗し家をつくり、また一方、あらゆる生活の形をはっきりうちだすこころの巧妙さを表現したりする」「日本の気象の烈しさは格別である。強い風、ひどい雨、寒さ、焼けつく太陽、地震、台風、それらは物の脆さを人々に教える。それはまた、人間の精神の不変の偉大さをも悟らせ、天に感謝させる」と。レーモンドにとって、自然や風土と一体となった日本の民家は、欧米の忘れていたものであり、だから庭先と直結すること、柱が構成する平面、広く開放された畳の続く部屋の「単純性」とともに近代住宅に取り込むべき要素としていったのだと思います。レーモンドの木造住宅に共通していたのは、大地との接触感、深く陰を落とす軒、たて板張り、鉄板屋根、室内に露出した丸太構造、合板張りで生地の壁仕上げ、引違いの襖と障子などでした。この日本的特徴が、靴ばきのアメリカ流生活を示す平面構成の中に納まっていたことが、最大の魅力であったと思います。(それらを)発表する機会を失って、世に現れたのは『建築』誌の1962年4月号の「レーモンド木造建築集」でした。「大変ローコストとであると言われているが、おそらく、そのこと自体が目的ではなく、むしろ一定の量と質を確保することを前提に追求された様々な工夫の結果」と芸大の黒川哲郎氏が(レーモンドの設計活動を)見事に指摘しています。平屋の維持、開放感、造りつけ家具、均衡ある平面、床下埋込暖房機と給湯をもつ、最低限の生活基準の維持。これをレーモンドは「経済性」と呼び、時には誤解されて「安ければ良いという意味ではない」と憤慨さえしたことがあるほどでした。木造住宅では構造を「正直」に外部に表現する場合は少ないのですが、内部では、丸太小屋とか、丸太むき出しの梁として構造を表現し、室内空間に動きを与えてきました。建て替え計画が公開コンペになった、古いレーモンド別邸「夏の家」(1933)も、現在ペイネ美術館として移築されて、現存しています。その原案はコルビュジェのエラツリス邸(1930)で、実施発表を見たコルが非難を作品集第二巻に発表したいわくつきの家です。木造住宅に珍しくスロープで吹き抜けをを二階へ。居間からプールに飛び込める仕掛け、屋根を鉄板葺きで仕上げる奇想天外。当時の前川、吉村らの夏の仕事場であり、丸太小屋別荘の規範にもなりました。構造が空間になった戦前の木造住宅です。レーモンドの木造住宅にはいくつかの特筆すべき内容が、ひそんでいることに気が付きます。スタイルという点で見逃せないのは、構造であれば仕組み、立体的見方あればプロポーションのつくり方、平面的構成というならばモデュールや空間の寸法の生み出し方です。さらに「空間は細部にあり、詳細こそ建築」の考え方によると、細部に宿る知恵をつきとめなければなりません。「単純性」は細部にも宿り、1973年に発行された『レーモンド詳細図集』は、アメリカ戦時建築家たちのテキストになり、日本建築の世界的注目への足がかりになったのです(三沢浩:アントニン・レーモンドの木造住宅の魅力より)。
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(目次)

特集
「ベーシック・ハウス」を考える

[座談会]
私にとってのベーシック・ハウス
秋山東一・石田信男・奥村昭雄・武山倫・永田昌民・野沢正光・長谷川敬・丸谷博男
[アンケート]
「あなたにとってのベーシック・ハウスとは?」
秋山東一/石田信男/大石治孝/奥村昭雄/小玉祐一郎/清水透/武山倫/田代純/永田昌民/
野沢正光/野々瀬徹/長谷川敬/丸谷博男/村松篤/矢賀部雅子/安田滋
アントニン・レーモンドの木造住宅の魅力
三沢浩
聴竹居の今日的意味-「科学」の個性的な展開
藤岡洋保
工業化の夢と質実な精神-イームズハウスにふれて
野沢正光

[連載]
新連載 太陽からの造形
一坪自然菜園をつくろう
OM SOLAR COLLECTION
日本技術風土記
地球の学校
暮らしを変えた道具たち
適応の自然誌
飛騨の車田
さとうつねお
ハーブの香りを菜園に。西洋の漢方を育てて身も心もリフレッシュ。
徳野雅仁
OMソーラー最新技術の展示館[住宅・都市整備公団関西学研都市展示館]

藤枝の桐箪笥
八木洋行
地震 その① ジグソーパズルの地震学
田中三彦
20世紀資本主義を支配した楽器
柏木博
自前のレインコートは多機能すぐれもの
文/大谷剛 写真/栗林慧
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~人の居住を前提としない「モダンデザイン」と居住のための「ケーススタディハウス」~