2011-11-20

境界


九州路を歩いて、ああ、こんながあったな、と読んでみました
『境界』


内と外のあいだ あいまいな空間


副題
「世界を変える日本の空間操作術」

なんだか、小難しい本だな(笑)、と敬遠していたのですが

手にとって見ると

高井 潔(たかい きよし)氏の美しい写真に「ハッ」とさせられました


各地の住宅建築を見て回って

心の何処か

感じ取っていたもの、「それ」が表現されているかに思ったからです

監修の建築家・隈研吾(くま けんご)氏は

「実際のところ、今やっと近代建築というものがはじまったのではないかと、

僕は感じている。

近代建築とは、境界を自由にコントロールできる建築のことであり、

境界をコントロールするということは、人と人、人と物、人と自然の関係を

繊細にコントロールし、調整することのできる建築である。」



いま、住風景を変えようとするその「運動と取組」がはじめられようとしています



(目次)

日本的な「関係性の建築」の時代へ(隈研吾)

第1章  内と外の曖昧な境界
窓(Mado)
蔀戸(Shitomido)
格子(Koshi)
犬矢来(Inuyarai)
垣根(Kakine)
塀(Hei)
門(Mon)
玄関(Genkan)
土間・三和土(Doma/Tataki)
通り庭(Tori-niwa)
縁側(Engawa)
軒(Noki)
壁(Kabe)
屋根(Yane)
欄間(Ranma)
鞘の間(Sayanoma)
はとば(Hatoba)

第2章  柔らかな境界
暖簾(Noren)
簾(Sudare)
襖(Fusuma)
障子(Shoji)
屏風・衝立(Byobu/Tsuitate)

第3章  聖と俗、ハレとケの境界
床(Toko)
神棚(Kamidana)
枝折戸(Shiorido)
躙口(Nijiriguchi)
茶室(Chashitsu)
沓脱石(Kutsunugi-ishi)
飛び石(露地)(Tobi-ishi)
御手洗(Mitarashi)
手水(Chozu)
鳥居(Torii)
注連縄(Shimenawa)
階段(Kaidan)
白砂壇(Byakusadan)

第4章  「見立て」の境界
関守石(Sekimori-ishi)
みせ(Mise)
石碑(Sekihi)

第5章  風景の中の境界
橋(Hashi)
坪庭(Tsuboniwa)
借景(Syakkei)

第6章  現代の境界
根津美術館 都市と森とを接続する装置
House N 「境界」にまつわる断章
KAIT 工房 「省略することについて考えてみる」

指定文化財・史跡一覧


英文対訳付き
2010年3月14日 初版本です

(参考)

『境界』 淡交社

(追記)

『境界』という本に収録されている隈研吾氏のいくつかの「言」を
抜粋させていただき、残しておきたいとおもいます

必ずやのちの「指標」となることを信じて。



~ 日本的な「関係性の建築」の時代へ ~

◆工業化ということ◆
20世紀とは工業化の時代だったが、工業化したから透明なガラスの建築にしなければ
いけないわけではない
壁を多用した工業化だって充分に可能であったわけだし
装飾にしても、決して工業化と対立するものではない
今日の洗練された工業技術をもってすれば
工業化によって、より安く、より美しく装飾を作ることなんていうことは、なんでもない話なのである
工業化イコール、境界のない透明な建築というわけにはいかないのである
従来の地縁、血縁にしばられた閉じた社会は、20世紀の到来によって徹底的に破壊された
しかし
だからといって完全に社会の中の境界が破壊されてしまったわけではない
むしろ社会の中には、工業化や情報化によって
決して取り去ることのできない境界が存在していることに、われわれは今、気づきつつある
境界は
消滅しつつあるわけではなく、ただ様々に形を変えているだけであり
われわれがひとりではなく
社会的存在であるということと、世の中から境界がなくならないということは
ほとんど同義といってもいい
人間という社会的存在がいる限り、境界はなくならないのである
20世紀の近代建築はあまりにも乱暴であった
境界がなくなる社会を勝手に仮定して、壁を否定し、装飾をすべて否定してしまったからである
そんな乱暴な建築の中に
そもそもこんなやわな人間がすめるわけがない

◆ 「和」を発想源に再デザインされた境界 ◆
20世紀を代表する3人の巨匠
フランスのル・コルビュジエ(1887-1965)
ドイツのミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)
アメリカのフランク・ロイド・ライト(1867-1959)

近代建築の歴史を作ったといわれている
その中で最も境界に意識的であったのは、3人の中で最も年長のフランク・ロイド・ライトであった
重たく厚い壁を壊し、内部との境界を壊そうと最初に試みたのはライトである
プレーリースタイル(草原様式)と呼ばれる
大きな屋根と、大きな開口部をもつ透明な建築によって
ライトは20世紀初頭の建築界に衝撃を与えた
ミース・ファン・デル・ローエは、ユニバーサル・スペース
ル・コルビュジエは、近代建築の5原則

提案・宣言したのである
ライトは2人に先行し、全くもって独創的であったが、この独創にも実はヒントがあったのである
そのヒントとは、驚くべきことに、なんと日本の伝統建築だったのである
1893年以降の彼は
突如として普通のアメリカの建築家ではなくなった
1893年シカゴで開催されたコロンブスのアメリカ大陸発見400年を記念する万国博覧会
世界コロンビア博覧会
平等院鳳凰堂を模した日本館は、大屋が作る大きな影の中の、壁のない透明な建築
大きな屋根の下に、開かれた空間が広がる日本館は
庭園と建築とが一体となり、ギリシャ・ローマ風の重たい建築とは決定的に異なる新しい時代の
到来を予感させたのである
この建築との出会いによって、ライトは突如として別人になった
ライトが好んだこの屋根とスクリーンとを、20世紀の建築家や建築史家は
ライトの後進性とみなした
ライトはその片足を19世紀につっこんでいて、それゆえに屋根やスクリーンから
抜け出せなかったのだと彼らは批判したのである
しかし
当のライトはそんなケチな了見で屋根やスクリーンを用いたわけではない
世界から境界がなくなるわけではないことを、彼ほど理解していた建築家はいない
壁のような乱暴で重たい境界ではなく、格子や障子のような、やわらかな境界
あるいは地面に置かれたひとつの石ころによってほのめかされるような繊細な境界で
世界が再構成されるであろうことが、ライトにははっきりと見えていたのである

◆ 近代建築家がインスパイアされた和の諸要素 ◆
彼はシカゴの日本館から
安藤広重の浮世絵
岡倉天心の『茶の本
から学んだのである。広重、天心、茶室。
それらがライトに示したものは、ひとつの文明の成熟であった
19世紀、ドイツを代表する建築家、ゴットフリー・ゼンパー(1803-1879)は
「空」の建築論により、形態的建築観にかわる空間的建築観を提唱し空間の流動性、透明性

テーマとする近代建築運動がはじまったとされる
しかし
ライトは、(この)ゼンパーの理論の影響を受けたというより、天心の『茶の本』から直接的に
空間的な建築表現を獲得したのである
ライトが
シカゴの日本館との出会い
広重との出会い

同じように
「 その(茶の本)中に私(ライト)は次の文を見つけた
物の全体は4つの壁と屋根にあるのではなく、生活する空間に存在するのである!
私は船の帆が下りるように座り込んだ
いったい、なぜ ―キリストよりも500年も前の― 老子なのであろう
これからどうすればよいのだろう
ここからどこに行けばよいのだろう
本を切り刻んでしまうことはできなかった
つまり、それを隠すことができないことはわかっていた
このいまいましいものが世に出るべきであること知っていたのだ 」
であったとライト自身が記して(1954年オクラホマ大学のレクチャーより)いる
茶室の基本原理ともいえる空間的建築観が、直接的に彼の建築を生み出し
彼が創始した近代建築の引き金となったことを、晩年のライトはあまりにも正直に告白して
いるのである

◆ 文化円熟期としての「近代」の再来 ◆
衝撃を緩和して、社会を再編成するという目的のために、この国は極めて独創的な文化を
はぐくんできたのである。その文化の中心にあったのが、境界という概念であり
境界をたくみにデザインすることによって、破壊を修復することに、安らかな
生活を取り戻すことに、この国の能力は発揮されたのである
その産物が広重であり、天心であり、茶室であった
それらが一貫してめざした状態が、一言でいえば近代という状態だったのである
言い方を変えれば、近代とはすなわち境界技術の洗練の別名なのである
今日、われわれはそれを痛感している
新しい種類の新しい性能を持った、様々な境界が生まれつつあり、それらの新しい境界が
文明の成熟を美しくいろどるのである
それゆえに今
日本建築が輝くのである
日本建築は境界の技術の宝庫であり、イケイケの終わった時代を生き抜くための知恵が
日本建築の中に満載されている
様々なスクリーン〔たとえばルーバー(格子)や暖簾や、様々な中間領域(縁側・廊下・庇)〕

環境と建築をつなぐ装置として再び注目されている
地球環境問題に関心が集まり、サスティナブル(持続可能)なデザインが注目される今
これらの建築装置は、サスティナブルデザインの先例としても注目を浴びているのである
ドイツの前衛建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)は
1933年に日本に訪れて、桂離宮の竹垣の前で、突如として泣き崩れた
近代建築のエースと目されていたタウトが、なぜこの古くさい境界の前で泣き崩れなければ
ならないのか
タウトは日本を訪れる前、鉄に熱狂し、ガラスに熱狂し、それらの新しいテクノロジーをテーマに
建築を作った。新しい技術への熱狂において、彼の右にでる建築家はいない
しかし
激しい熱狂があったからこそ、彼は、その直後決定的に醒めざるをえなかったのである
関係という
微妙な世界へと、踏み込まざるをえなかったのである
タウトは
桂離宮の竹の縁側に、その庭と建築との微妙な融合の中に、関係性の文化、境界の文化
を発見したのである
そして竹垣の前で泣き崩れざるをえなかった
当時の日本人は、その涙の意味するところが、わからなかった
すべての新しいテクノロジーというものに
われわれはすでに飽き飽きしているのである
もちろん
これからも様々なテクノロジーが品を変え形を変えて出現し、人々はその新しいテクノロジーに
対してたびたび熱狂するかもしれない
しかし
それがどうしたというのだろうか
そのような熱狂を超越した境地にわれわれは達しつつある
大切なのは、テクノロジーへの熱狂ではなく、そのテクノロジーを使い倒すことであり
そのテクノロジーを退屈に感じることであり、そのテクノロジーの暴力から、世界を
ねばり強く修復することである
その優雅な退屈が日本建築を生み出したわけであり、その退屈が、様々な境界技術を
生み、そして育ててきたのである
退屈を恐れてはいけない
退屈こそ豊かさの母であり、豊かな建築の母に他ならないのである