岩波書店発行の月刊誌「世界」11月号が
現在のエネルギーのこと、をよく纏め伝えられています
特集「再生可能エネルギー ~普及への条件~」
約80ページの特集が組まれています
前文には、福島原発事故から7ヶ月が経過するも、その状態は依然収束しておらず
「大気中」
「海上」へ
放射能の放出が続いていることを伝えています
大量の放射能が降り注いだ周辺地域への居住が不可能になり
「食べ物」「飲料水」も口にできなくなり
「学校や公園」では遊べない
という現実
そこに住む人たちの暮らしを一変してしまったこの事故は、一体
「どう捉える」べきことなのか
私たちはいままで
「近代産業社会を成り立たせるため、中央集権的・巨大発電所の建設」
が
国策としてすすめられ
1970年代以降には、日本国中に次々と造られていきました
「大きなエネルギー」を得るための代償として「巨きなとりかえしのつかない損害」
を被ってしまった、と言わざるを得ない結果が今回の事故としてあります
そして
「原発から離脱していくということは、単なるエネルギー問題」ではなくて
(エネルギーに関する)「規制」「技術」「社会」「権力」のあり方から
「個人・家族の生き方(暮らし方)も問い直す」ことになっていくことであると結んでいます
立教大学の内山節(うちやまたかし)教授は
「(原子力というものの)わからなさ」
を
問題にしています
近代産業は「大きな破壊=発展」という「くくり」で合理化してきた
しかし今回の事故はあの「ヒロシマ・ナガサキの原爆投下」や「米ソ・フランス・中国の核実験」
そして「チェルノブイリ原発事故」と世界の放射能濃度を高めた、ということから
別の問題(「生命世界の許容限度を超えるであろう」)として顕在化してくる
ということが少しずつわかってきた
では
なぜこのような「現実」を抱え込むような「社会の構造」となってしまったのか
「その問に答えを出さないかぎり」
エネルギー問題の本質的な解決にはなっていかいない、ということなのです
また
再生可能エネルギーを導入するにあたり
「夢のエネルギーでは必ずしもないこと」
「エネルギー問題の解決を専門家に委ねること」
に留意しなければならないといいます
そして
現代社会とエネルギー問題について
「近代以前の日本のエネルギー(木質系燃料=薪)は共同体(集落林)のもの」
であったのに対し
「現在は個人や個々人の企業などが(個別的利便性を高めるよう)消費するもの」
へと変化してきていることを挙げています
その課題(方途)として
「個人と共同の関係の再確立」
「この関係を主体とする社会づくり」
そして
「それらを結ぶエネルギーの生産と管理、利用のローカルな体制を創造する」
ことを考えることが必要であるといいます
「電力」でいうと現在のような都市部の経済発展のため地方が被害を被るしくみではなく
「地域電力」「コミュニティ電力」「共同体電力」
といったようなものをつくっていくことであるとし
「地域やコミュニティに基盤をおきながらも、いかに広くネットワークを組むか」
が課題だ、と結んでいます
わたしたち町の工務店も、建築でやれることをまずやる
というところから
「小さなエネルギー」で自然室温にちかい暮らしができる
「すまい」と「暮らしかた」をつくっていこうとしています
この考え方に「2011グッドデザイン賞」をいただき
その授与のコメントに
『自然エネルギーを
積極的に取り入れたパッシブ・デザインの
プロトタイプ提案としてだけでなく
それを広くユーザーに周知・提供するネットワークの提案である点にも注目したい』
とあります
この「世界」11月号は、先に紹介したもののほか
(再生可能エネルギー利用の)最先端をいっている
ドイツと我が国における
「再生可能エネルギー発電量の推移」と「エネルギー消費の推移」
や
「エネルギー関連政策の比較」
「再生可能エネルギー」をしるためのQ&A
作家・森まゆみさんの短期集中連載「震災・記憶を記録する」
現在の地方政治を浮き彫りにする
「劇場化し暴走する地方政治」
国連本部政務官・川端清隆氏の「福島とジュバ(南スーダン首都)」
など
今後エネルギーを考えていく上での「テキスト」になりうるもの
となっているとおもいます
興味のあるかたは是非、手にとって見てください
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