2012-06-06

日本人はどう住まうべきか?

都市集中。過疎。自然災害。
高齢化。そして、震災、津波。
21世紀、どこに住み、
どう生きるのが幸せだろう。
本書は
解剖学者・養老孟司氏と、建築家・隈研吾氏の
日経ビジネス オンラインで、2008年9月から12月まで
2012年2月に連載された『「ともだおれ」思想が日本を救う』について
おこなわれた対談に大幅な加筆・修正をして
単行本としてまとめられたものです

自分でつけた、読後の夥しい「付箋」の数に、ちょっと驚いています
これらを「文」でご紹介することは難しいので
つぶやき風」

呟いて(笑)みたいとおもいます
※凡例:養老孟司氏のことば=「(Y)」、隈研吾氏のことばあ=「(K)」


◇◇◇◇◇

(Y)
負ける建築』(岩波書店)という著書。隈さんの考え方が面白いから、本が出ると読むことが多い。商売違いだけれども、似たようなことを考えるじゃないか。そう思うことが多いのである。

(Y)
隈さんの作品を見る機会が多くなった。私はコンクリート打ちっぱなしというのが好きではない。コンクリートだけで作るなら、原発の建物で十分である。ガウディほど曲げろというつもりはないが、もうちょっと、何かあってもいいではないか。

(Y)
私は建築なんて面倒なものは、自分ではやる気はまったくない。私としては、隈さんの言うことを、身体で聞いてくださいね、と言うしかない。建物の中にいれば、まさにそうするしかないではないか。

(K)
建築学会では、いっぱい部会を作って、つまらないと思えることまでこまごまと研究しているんだけど、肝心な津波に関しては研究されていなかった。

(K)
日本は一番、津波のリスクが高い国であるはずなのに、膝元の日本建築学会が津波は予測不可能だから「ない」ことにしていたのであれば、人間の頭の構造、特に理科系の人の頭の構造というのは、僕自身も含めて自分でできることしか考えていないのかもしれません。

(K)
日本の行政システムは1年間で予算を消化しなきゃならないから、今では建築に関わってくるすべてのことが1年単位になっています。その年度の予算を前提にして建物の規模が決まってくるので、国家百年の計で建築を考えている人なんて誰もいないですよ。

(K)
昔の大工さんは、クライアントからニーズを聞いたり、図面を引いたり、といった作業を全部自分でやりましたから、責任感だって当然、強くなる。だから、地震でその家が壊れたら申し訳ないと思う訳です。でも、いまの大工さんは、組み立てだけを請け負っているから、責任なんか感じようがない。

(K)
断片化する時間(と責任)という一番大事なものを見失ってしまった今のシステムの中でしたら、そういう無責任なメンタリティになっても不思議じゃあないですよね。(ものづくりに対する責任感という)この話は、そのまま原子力発電や災害対策の問題に置き換えることができます。

(Y)
自然災害にしても、人災にしても、人間が頭で考えることによって、それらをコントロールすることは、実は相当な範囲まで可能なんですね。ただ、そのコントロールできる範囲が大きくなればなるほど、破綻したときのダメージも巨大になる。

(K)
ブラックユーモアですが、建築の構造計算は基本的に3倍の安全率を見ています。施工段階でヘンな手抜きをするやつもいるだろうと、そのリスクも上乗せされて。建築ってそれほどルーズな世界なんです。自動車などの安全基準に比べて、建築の安全基準というのは飛び抜けて高く設定されている。

(K)
液状化問題というのは、建築と土木という縦割りの世界の境界にあるもの。だから、実は、土木の人も、建築の人も、液状化に関してはどっちも責任を感じていない。

(K)
昔の人は土地を見ていました。だから金持ちは安全なところに住んでいたわけです。現代は、ディベロッパーが根本的な危険性に気付かれないようにして、土地や建物を売っている。買い手に土地をじっくり検討されちゃったりしたら困るから、上物でまやかしを施す。

(Y)
阪神大震災のときに『日本の活断層』という本を、800部だったかな、追加で印刷したらあっという間に売れてしまった。それで気が付いたのは、活断層の位置を建築関係者や役所関係者がそれまで把握していなかったということでした。本を買ってくれたのは、ほとんどゼネコンでしたからね。

(Y)
そもそも地形が急なところは、ある程度の土砂崩壊はしょうがないんです。でも、何メートル間隔おきにでも天然林を残すことができれば、ここまで被害(2011年台風12号による和歌山と奈良でおこった山崩れ)は拡大しなかったのかもしれない。「だましだまし」ができなかったんですね。

(Y)
戦後の日本は既得権益エリアを作って産業を新興させ、資本主義国家のインフラを整えてきました。そのまま残っていた半世紀前の古いシステムが内部崩壊してしまったのが原発事故ですね。そうしたシステムの切り替えどきというのは結構、難しいんです。

(K)
ゼネコンだって、ディベロッパーと一体になっていますし、政治家にとっては建設業界はいまだに大きな支持地盤ですから。業界全体が必死に回転し続けないとダメなので、悲惨です。

(K)
基本的には日本全国どこでも建設業と政治家がグルになって、建設が永遠に続いていくようにしなきゃならないので、その回転の歯車の一つとして、コンサルタントという地面に大きな絵を描く人たちが登場します。

(K)
コンサルが行政に呼ばれて役場の人たちと一緒に絵を作るんです。行政とコンサルと政治家というのは、一つの「アミーゴ」になっていますから。

(Y)
戦後の日本に限りませんが、都市開発に「大局観」というものが欠けているのは、20世紀の考え方の特徴なのかもしれません。エネルギー問題にしても、俯瞰して見ることが、あまりにもおざなりにされていたのが20世紀です。

(K)
建築の基本はやっぱり人間同士の信頼関係なんです。特にコンクリートが主流になった20世紀の建築というのは、基本的には信用で成り立ている危ない世界です。

(Y)
なぜ日本の都市建築では木をもっとつかわないのでしょう。

(K)
関東大震災太平洋戦争トラウマが(それ以降のわが国で)不燃化こそが都市計画の中心だと言うようになって、木造は作りにくいような法律になりました。

(Y)
20世紀の終わりに流行になった高層マンションだって、相当、不自然ですよ。ある高さを超えると、逆に効率が悪くなるだろうね。

(Y)
震災復興にしても、都市計画にしても、僕が考える一番の問題は「人口圧力設計」なんだよね。人口が増えてきたときに、どう住むのが合理的かという問題になる。それで高層ビルがエネルギー上、不利かというと、必ずしもそうはいえないんじゃないかとは思います。

(Y)
人間が集中するということは、ある点では有利ですよね。その意味で郊外型の住宅は人が移動するにも、モノを運んでもらうにも、明らかに輸送コストがかかります。その計算を、これからきちんとやらなきゃいけない時代なんじゃないかな。

(Y)
震災復興でも、地域計画でも、これから先を見るときは、都市に集中させるのか、郊外に広げていくのか、どっちがいいのかは、結構、きちんと考えなきゃいけないんじゃないかって思います。

(K)
都市計画という言葉を誰かが上から振りかざすときは、注意しなければなりませんね。被災地ではそれこそ都市計画が毎日のように議論されているだろうけれど、養老先生のように懐疑を持った人でなければ、本当はそういうことに関わってはいけないんです。

(Y)
市街化調整区域にある僕の家は、隣に家がないんです。(法務局で調べると)道路もないんです。既得権(で建っているん)ですね。もともとおばあちゃんが一人で住んでいた小屋のあったところです。

(K)
法規制のパラドクスは、法規制の外側が一番守られていることなんです。結局、一般解なんか求めずに、例外を探していけばいいんです。本当はすべて例外なんですね。

(Y)
建築ってロケーションが大事でしょう。それなのに今では建築の話って場所と切り離されて語られがちですよね。被災地復興の議論もそうだし、日本全国の都市計画についても、場所との関連が無視されているでしょう。

(K)
20世紀の建築のテーマは、都市化の名の下で建物と土地を切り離して儲けましょう、ということでしたから。

(K)
(中国「四合院」というショップハウスは)間口の広さに応じて課税されたため、税金を安くしようと狭い間口で建てたとか。ただ、税金だけで町並みは決まらないから、人間に染み付いた空間感覚とか、精神性のようなものもあるでしょう。

(Y)
エドワード・ホールという人が『かくれた次元』という本を書きましたが、あの本は文化によって空間の間隔がどのぐらい違うかについて、まともに議論したものの一つですよね。

(K)
石油を僕の言葉で翻訳すると「アメリカ型郊外住宅」というものになるんです。要するに、石油で走る車で郊外と都市を行ったり来たりできるというシステムです。

(K)
日本では阪神大震災によって住宅ローンで買った家がつぶれたとき、アメリカではサブプライム・ローンが破綻したときに、20世紀に終止符が打たれたんです。

(Y)
僕はいわゆる郊外のニュータウンというのは、見るだけで嫌いなの。歩いていても、自分がどこにいるか分からなくなる。昔は人力で開発してきた土地だから、道は地形に合せて這っていて、家もそれに合せて建っている。

(Y)
戦前、鎌倉はどこもクネクネした街だったんですよ。そんな街を一番変えちゃったのが、海岸道路ですよ。

(K)
日本にいいリゾートができないとか何とか言うけれど、それは高度成長のときに道路を海際に通しちゃった時点でもうダメなんですよ。

(K)
不動産屋的な、最大床面積を確保しよう、という考えだったら、とりあえずまっすぐの道路と碁盤の目になります。それが本当に困ったところなんです。

(K)
鎌倉に限らず、都市の中心部も周辺の文化的な土地も、お屋敷がつぶれた後は、どこも細分化して、しょぼいマンションになります。もったいないな、というありがちな情緒的な言葉で片付けるのではなく、どうしたら相続税に対抗したまちづくりができるかを、考えなくちゃいけない。

(Y)
都市にバカでかいものを作るんだったら、集約の効果が出るような計画を練る。都市に人口が集中すると、地方では土地が空いてきますから、今度は過疎地をどう利用するかを考える。

(K)
省庁の壁を取り除くという大仕事を上からやってくれる、大きなビジョンのある政治家が日本には長いこと不在なんです。というか、日本にお上のコントロールが機能していた時代は、今も昔もないんですけど。

(Y)
同じビジネスをやる人間でも、サラリーマンがビジネスをやるのと、そうじゃない人がビジネスをやるのと、メンタリティがものすごく違いますね。

(K)
現場に単一ルールを押し付けるやり方はバカげていますよね。

(Y)
スーパーやコンビニと同じ発想ですね。

(Y)
(いまのゼネコンの現場所長は、計算機を叩くだけの)ハンバーガーショップの店長さんたちと同じだ。

(Y)
お客もつくり手も、両方ともサラリーマンということだね。変に均質化している
サラリーマンだと藤森照信さんの家は住めないですね。値段じゃあないですよ。


(K)
施主って最初は建築家のアイディアに「ああ、いいですね」と言ってくれるんです。あるときを境に人間関係ががらりと変わる。建築とはリスクの大きい買い物でしょ。要は、その巨大なリスクの全貌を分かって、それでもやるかどうか、です。

(Y)
建物を建てることは医者を選ぶことと実は同じなんですよ。

(K)
本当に向こうが「ともだおれ」する気持ちになって信頼してくれれば、こっちだって悪いことはできないです。建築家だってデザインだけできればいいわけじゃなくて、「ともだおれ」関係に相手を持っていけるかどうかなんです。それが実はお互いにとって大事なんですね。そうしないと実際にはいい建築なんかできません。

(Y)
知っていますか?粒子線治療が高くなっちゃった理由は大型コンピューターなんですよ。中曽根康弘が政治的なバーターで医療機械はアメリカから買わなきゃならないようにしちゃった。そのおかげでバカ高くつく。日本製だったら安いに決まっているのに。

(Y)
日本のものづくりが強いというのは、現場が強いということだったんですよね。ものづくりのメリットをどう活かすか。若い人にどうやって暗黙のうちにたたき込むか。僕が考えているのは、体の使い方なんですよ。

(Y)
意識というものが、あることは拾うけど、あることは拾わないようになってきている。しかも現代生活をしているとどんどん鈍くなっちゃうんです。

(Y)
「土木・建築関係の人は、何でこんなに舗装するんだよ」と、いつも僕は文句を言っています。着るものもいっぱいあれば、靴だって何十足も買えるような時代。泥だらけの地面を歩けばいい。俺だって洗濯ぐらいできるよ、と言うんだけど、分かってくれない。

(Y)
何とか審議会とか講演会なんかで、建物や町並みを語るときに、あらかじめ口封じで「一つだけ具体的な提案を...」と言って「......バリアオンリーの建築と言えばいい」と。

(K)
汐留にあるような大きなビルを建てた場合、サラリーマン的な考え方では、すべてのテナントからきちんと家賃をとらなきゃいけない。最低賃金×平米数で月々上がる利益をサラリーマンは必死に計算します。そうやって計算を積み上げる.....家賃が高くなって.....長期的に商売が出来るところが少なくなって.....ショールームやアンテナショップがほとんどに。この場に根付いて長く商売するのではなく、何年か後には撤退.....それでは楽しく歩ける街ができるわけがないですよね。

(K)
サラリーマンにとって大事なのは、街の楽しさではなくて「何でここだけ家賃を取ってないんだ」と上司に言われないようにすること。

(Y)
東京の再開発された街は基本的に全部、鉄筋でしょ。木はないし、土はないし。申し訳程度に木を植えているけど、あんなものは木がかわいそうだよ。虐待だね。動物愛護ってあるけど、植物愛護ってないのかな。

(K)
東京の緑化率は皇居があるから底上げされているわけで、大阪に比べて緑の割合が高いといっても、実感は薄いですけどね。

(Y)
現代の村こそ車がないと生き延びていけないようになっちゃたでしょう。農村に嫁が来ないという問題があるでしょう。それはその土地の価値を如実に現していると思います。

(K)
学生時代にアフリカのサハラ砂漠の周りの集落調査を通じて、現代の都市の問題を考えました。といっても難しいことでじゃなくて、人間はどんな空間でも、どんなふうにでも住めるんだな、っていう当たり前のことを勉強したわけです。

(Y)
僕が藤森照信さんから聞いた話で一番面白かったのは、モンゴルのパオですね。あんなところでどうやってプライバシーを守るんだと聞いたら、モンゴルではパオの中が公共空間なんです、と。プライバシーは外にある。

(K)
プライバシーを守るために家を作るんじゃなくて、家は公共空間なんです。20世紀はプライバシーを考えすぎて、家というものが貧しくなりましたね。家こそがパブリックスペースだったということは、僕にとって大発見でした。

(K)
プライベートという思いがさらに進むと「私有」になる。自分の一生の財産であり、人生の目標だと思い込むと、ペンキのヒビ1本も許さなくなるでしょう。

(K)
20世紀の最初に、住宅ローンで家さえ手に入れば幸せな一生を約束する、という上手なウソをアメリカが発明したのですが、そのアメリカ製の幻想が日本で1番うまく効いちゃったわけですね。

(Y)
杉の植林と同じだよね。植えるときは5年で大きくなるのはいいじゃないかと思う。でも、50年後に花粉でみんなが苦しむというのは、まったく分からなかったわけだよね。

(K)
都市というのは基本的に、賃貸という形を採用することで、家族形態の変化やライフスタイルの変化などに応じて、フラフラと移動しながら住むようにできているんです。

(K)
日本はエレベーターのメンテナンス価格がものすごく高いんです。(だから)エレベーターはたったの1ヶ所で、その脇にダーッと長い廊下があって住戸が並ぶスタイル、日本では基本になっちゃった。あれは、世界ではすごく異常な配置計画なんですよ。

(Y)
そういえば、香港だと丸いビルが多いですね。アジアの他の都市の集合住宅の方が、環境がはるかにいいですね。

(Y)
実験室を設計したときだって、空間をあらかじめどう割り付けるかが、もう分からないんです。どう組み立てて、どういう動線にしたら楽になるのかというのは一切分からないし、面倒くさい。

(K)
めちゃくちゃな動線でも、別に人間が適応すればいいだけです。

(Y)
近代的な建築物って、形はとてもきれいなのに、すごく嫌な動線だな、というパターンもありますね。建築が人間の行動を制約するというか。

(K)
若い時の設計って、サドンデスで失敗するんですよ。頭の中ですごく詰めていって、理想の空間を思い描いて現場に臨むんだけど。経験を積んでくるとサドンデスにはなりません。とにかく最後まで「デス」しないで、「だましだまし」生き延びる道を探っていけるようになるわけです。それは適応力を磨くことに他ならない。

(Y)
僕は患者さんのサドンデスが嫌だから、解剖をやっていたんですよね。解剖って自分が主導するんじゃなくて、相手に合せてやっていくものだから。

(Y)
人間には適応力があると思っているから、東京の高層化についても、実は全然心配なんかしていないんだよね。勝手にすればいいと思っています。ただ、じゃあ、エネルギーが切れたらどうするんだよ、という心配はしている。

(Y)
エネルギー問題をきちんと考えてみれば、都市の作り方も当然変わってきますよね。僕から見ればラオスとかブータンとかは世界最先進国だね。石油を一切使っていない、もしくは最底辺と言われる自給自足の国が先頭になる。

(Y)
年に1回の米作りで人々が暮らしているんですから、どこが最貧国なんですか。論じる人の常識が、断然、都会の常識に過ぎないということですね。それは世界銀行の常識かもしれませんが、それで世界を測られたらたまらないですよ。

(Y)
ラオスは、まったくダメージを受けない国の一つです。しかも完全に持続可能な生活をしています。「これから世界はスタグフレーションの時代に突入します」ということは、僕も言いたくないんだけど。

(K)
石油がピークアウトすれば、住み方、食べ方など、いろいろなことが否応なしに変わるんだろうなと思いますね。

(Y)
隈さんは車に乗れなくなったり、ビルを建てられなくなっったりする時代に、個人的に耐えられますか。

(K)
全然、大丈夫です。僕はエコ型、平気です。

(Y)
家は「だましだまし」使っていかなきゃいけなくなるから、あちこち改修する必要が出てきますよ。元のやり方に戻っていきますよ。そうなると、プレハブってえらく不便じゃないのかね、手入れがしにくくて。

(Y)
藤森照信さんに聞いたんだけど、プレハブ住宅って40%が宣伝費なんだってね。それって、ダイコンを1本100円で買うと、生産者に10円で、90円は全部中間に回るというのと同じような話ですよ。

(Y)
流通業は、コンビニも、宅配便も、オイルショックを脱した後にできた商売なんです。次にオイルショックのような国際的な経済危機が訪れたら、それらがどうなるか分からないですね。

(Y)
地震という自然要因だけで大変なのに、エネルギー問題をどうするかについてまで考えると、頭が痛くなります。

(Y)
最終的には、人の生きる世界が二極分化していく可能性があるなと思っています。田舎で自給自足し、地産地消型で生きていく世界と、都市でできるだけ物流を効率化して生きていく世界の二つです。

(K)
(都会と田舎の二つの世界をバランスさせる)そのバランスの支点をどこに置くかが、肝心なところですね。

(Y)
今の人に考えさせると、俺はこっちの側にする、とすぐ結論を言ってしまいます。でも、両方を適当に行ったり来たりでいいんじゃないですか。

(Y)
都会に住んでいる人でも、1年のうちに、あるまとまった時間を田舎で過ごす、とか。日本なんか小さい国だから、そういう実験には非常に向いているはずなんです。なのに、日本が地球温暖化対策のリーダーシップを取るとか、政府はバカなこと言っていてさ。

(Y)
モデル国家になるというならまだ分かる気がするけれども。炭酸ガスを減らしましょう、なんて日本が音頭を取る必要はないんですよ。だって日本が出しているんじゃないんだから。どうしてそんな当たり前なことを、この国では言えないのかね。

(Y)
炭酸ガスを減らせと言っている一方で、石油を配るのは国際貢献。どっちが本当なんだ。俺が子供ならそういう質問をする。大人だから聞かないけど。

(K)
日本の地方の商店街で空洞化していると言われているところが、再び脚光を浴びる時代が来るかもしれない、と少し期待しています。

(K)
「日本の都市」といっても、結局は都市計画までもがアメリカの奴隷になって、アメリカ流のことをやらされていた。建築の法律も、今のものはあアメリカ流の都市を誘導するようにできています。そこを変えていくことから始めれば、決して単なる空想ドラマではないですよ。

(Y)
ロストチャイルド家のばあさんが日本に着たときに、「茅葺き屋根は大好きなんだけど、あれはお金が掛かってしょうがないわね」と言うから、そんなの安いものでしょ(といったら)「いや、私は茅葺屋根の家を40軒持っているから」という話で。つまり、ロストチャイルドは村一つを維持しているの。そのぐらいのことを、日本でも誰か個人がやらないかな。

(Y)
街歩きの楽しさって、ごちゃごちゃとした路地にちょっと入ってみたり、用事をすませた店の隣をついでに見たり、といったことでしょ。でも、今の東京のビル街って、そういう気持ちがまったく湧いてこない。

(K)
上手に負けていかないと、最終的にいいものはできない、ということなんです。単なる建築の技術ではなくて、人間観察みたいなものが相当必要な職業です。

(K)
都市建築を設計するには、自分が経験した苦痛も含めて、身体感覚が絶対的に大事なんだと思います。例えば超高層ビルでも、足元はすごく重要ですよ。

(K)
(CADやCGなどが与える影響の)最大の問題は、建築をデザインするときに、CADの手順を頭が踏襲してしまうという点ですね。設計をする人間の頭が、CADを真似してしまうんです。手を使って作る立体模型はすごくプリミティブで幼稚な方法ですが、CADとなると手ではなく頭が先になって、コンピューターの考え方を真似しようとするんです。

(Y)
耐震強度偽装の話がでたときに、木造の方は構造計算ができる人間が実はいないという話を僕も聞きました。

(K)
そうなんです。ものすごく複雑な計算になります。それで計算はあきらめて、経験上では壊れないはずだよ、という、ある意味おおらかな世界です。

(Y)
人間の体というのがそもそもわからないものなんですよ。高い所からポーンと飛び降りたり、重いものを持ったりするときには、関節に力がかかるでしょう。瞬間的にかかる力ってものすごく大きいんですけれども、どうして耐えられるのかが分かっていない。

(Y)
生物の構造は建物とよく似ているんです。要するに最小限の材料で、最大の強度を出す、ということ。橋を作るときも、最小限の材料で最大の強度を出さないといけませんから。

(K)
黒川紀章さんは、生物が持つカーブのラインを真似したとか作品で言っておられますが、実はそれってすごく不合理で、コストアップになったりする。それよりも、予算が合わないとか、法規制の壁があるとか、現実的なことをいろいろ考えていくうちに、最適解に近づいていくやり方の方が、生物の実際に近い。それこそがオーガニックプロセスなんです。

(K)
重要なのはスケール感です。スケールが人間の身体に与えてくれる情報量というのは本当にすごい。(ローマよりギリシャの建築が優れているのは)体感計算が行き届いて、めちゃめちゃ繊細な補整がしてありますからね。

(K)
(マンションのショールームで見る建物と部屋からの眺望を確認できるCGは)まったく、インチキですよ。実際の体感と、コンピューターの映像は違いますから。映像というのは、人間の実際の感覚とはまったく違うものだと思っておいた方がいいです。

(K)
売るためのテクニックが異様に洗練されているのが日本ですから。特にマンションって、値段と記号が全部セットになっているマトリクスがあって、そこから住む人がポンポンポンと選ぶだけの仕組みでしょう。自分の経済力、家族構成、余命を入力するとマトリクスが点灯するだけのさみしい世界。

(K)
経済観念ってすごく大事なもので、結局、デザインセンスというのは、経済観念そのものなんです。お金をいくら使うかという問題はすべてエネルギー消費とも関連していますし。

(K)
人工地盤で喜ぶのは建築家とゼネコンだけです。だから上に行こうとする策は破綻するんですよね。そこで地下ですよ。水の流れは表層ではすごい力になりますが、水中や水底というのは、津波のときでもそれほどではないんです。地面の上の町は、ある程度壊れてもしょうがない。ただし命だけは地下シェルターで救いましょう。これが僕の考えた「だましだまし」の知恵の一つです。

(Y)
それを聞いて思い出したんですが、海岸にも虫は棲んでいるんですね。津波のときにその虫たちはどうなったかというと、ちゃんと元気なんですよ。考えてみると、潜っているんですね。水中とか、地面の中とかね。

(Y)
(土木屋などは)「だましだまし」じゃなくて、絶対を求めたがるんですね。原発がらみで怖いと思っているのは、専門家や技術者がどんどん減っていくこと。原子力発電って、全部やめることになっても30年くらいは撤退のメンテナンスが必要ですから。それだって、「だましだまし」やっていく必要がある。

(Y)
冷静に考えると、結局、石油以上にいいのはないんですよ。だからこそ、人は何でこんなにエネルギーを使うのか、その問題を考えるべきです。(その問題を解決するための僕流の答えは)それは人間の意識ですよ。

(Y)
冷暖房を例にとると、普通、人は寒いから暖かくして、暑いから冷やすんだと考えるわけ(機能論)。でも、本当はそうじゃないんです。人が冷暖房を使う理由をよく詰めて考えると、気温一定という秩序を意識が要求しているからなんですよ。要するに、人は暑くても寒くてもエネルギーを使っている。それは気温を一定にしたいから。そういう秩序を求めている。

(Y)
その秩序を20世紀にどうやって手に入れたかというと、石油という分子をバラバラにして、無秩序を増やしたからです。都会で暮らしている人間は、頭で秩序を作り、秩序を要求しますが、それには必ず無秩序が伴うことを自覚した方がいい。そのために自分たちが要求しているのは秩序であり、秩序はそんなに望ましいものなのか、ということを考えてもらわなきゃいけない。

(K)
高齢化社会をネガティブに捉える意識については、若い人間を社会の中心と考える20世紀アメリカ型の社会システムが、日本にも組み入れられてしまったからです。端的な例が住宅ローンで、若い人間に住宅ローンを組ませて、ずっと働かせ続けて、使い捨てにするような社会システムは、まさにしく20世紀アメリカの発明でした。

(Y)
隈さんの『新・ムラ東京論』で、下北沢や高円寺を取り上げていますね。あれ、どうみてもプロが設計した場所じゃない。都市においても、コミュニティとは、そうやって自然発生的に生まれるんだと思いますよ。

(K)
ル・コルビュジエが、インドのチャンディーガル州の州都となる新都市を作りましたが、その脇にスラムができて、そっちのほうが面白い。ブラジルの首都として計画的に作られたブラジリアだって、脇にできたスラムのほうがカッコいい。

(Y)
日本は、短期の手続き主義に陥っちゃったんですよね。非常に安定していて、システムもいい。ただ、手続き主義だけでやっていくと道は見えるけれど、最終的にどこにいくのかが分からなくなる。じゃあ、オレたちは、いったいどこに行くんだよ、という。日本人はまさしく、そんな道を歩いている気がします。

(K)
災害復興に必要なのは、大きな土木事業ではなくて、サラリーマンのサバティカルです。

(Y)
システムというものは、外側に機械みたいにドンとあるわけじゃないんだから。都市労働のように同じことをしているから頭が固くなっちゃって、考え方が硬直しちゃう。

(Y)
一つの視点に慣れちゃって、別の解決方法が見えなくなるんですね。だから、「参勤交代」なんですよ。制度化しろ、と僕のような人間が声を大にして言わなくても、複数の生活拠点を持つことは、世界中、文化によっては当たり前ですよ。ドイツ、フランス、イギリス、それとロシアとか。ロシアの「ダーチャ」と呼ばれる別荘は庶民のものですしね。

(K)
世界の中でも、日本人は異常に一つの場所に張り付いている人たちですよ。こんなに休みを取らないで、同じところにいる人たちって、いないです。いまだに、私はたくさん休みます、という人って、会社の中では変人扱いですからね。

(Y)
根本は、なぜ「脱走」が必要か、ということ。日本人が固定された一つの住居観にとらわれている限り、面白い住み方はできないし、震災復興もおぼつかないということ。じゃあ、面白い住み方はどうやったら見つけられるんですか、と聞かれたら、僕は「参勤交代です」と一言で答えますよ。

(K)
日本人はそもそも異物が好きではない。としたならば、思い切って「外」に飛び出して、「外」の人たちと対話してみたい。闘ってみたい。そう考えたら、突然目の前が開けた気分になった。

(K)
しかし、忘れてはならないことが一つある。現場主義の大前提は夢が存在することである。大きな夢があるからこそ、現場という複雑でやっかいなものに立ち向かい、それと折り合いをつけていく勇気と活力とが与えられるのである。災害の後に、新しい人生を始めたい、新しい時代を切り開きたい、という夢があるからこそ、ロヨラザビエルのように「だましだまし」で強く生きる気力が身体の底から立ち上がるのである。

◇◇◇◇◇



(目次)

まえがき
養老孟司

第1章
「だましだまし」の知恵
津波はノーマークだった建築業界
死語になった「国家百年の計」
ルーズだからこそ安全基準は高くなる
買い手に土地を検討されたら困る
原発問題も土地問題も戦争のツケ

第2章
原理主義に行かない勇気
コンクリートは「詐欺」に似ている
コンビニ型建築をひねり出したコルビュジエ
ファッションで買われていく高層マンション
簡単には解けない「システム問題」
アジアの都市は自然発生的
アメリカの真っ白な郊外と真っ黒な石油
「見えない建築」は偽善的

第3章
「ともだおれ」の思想
ベネチアの運河に手すりをつける?
マンションに見るサラリーマン化の極北
「ともだおれ」を覚悟できるか
骨ぐらいは折ってみたほうがよろしい
都市復興の具体は女性に委ねるべし
人間はどこだって住める

第4章
適応力と笑いのワザ
家の「私有」から病いが始まる
販売者はマンションに住みたがらない
人間が家に適応すればいい
「リスクなんて読めないです」が本音
「最貧国」が世界の最先端になる
アメリカの奴隷ではない都市づくり

第5章
経済観念という合理性
バーチャルな都市の異常な増殖
ボスが引いたつまらない線の重み
上手に負けるといいものができる
人間の頭がコンピューターを真似してしまう
モデルルームのCGはインチキ
デザインセンスとは経済観念のことだ

第6章
参勤交代のスヽメ
地上ではなく地下をみよう
「強度」と「絶対」が道を誤らせる
限界集落的な生き方も認めよう
スラムのほうが断然面白い
災害復興にユートピア幻想は効かない
教育とは向かない人にあきらめてもらうこと
参勤交代のスヽメ
日本人はどう住まうべきか?

あとがき
隈研吾




(参考)