2012-05-29

新・都市論TOKYO。

成熟期の都市には、どんな都市計画がふさわしいのか
そもそも成熟期の都市に都市計画がいるのか、いらないのか
集英社新書WEBコラムで2006.02~2007.09まで
連載されたものに加筆修正を加えて纏められた新書本です
建築家・隈研吾氏による、場所の各「序論」と
ジャーナリスト・清野由美さんとの「マチアルキテクト的」な「対話」は
ライヴに「場のもつ空間」がよくつたわってくる構成となっています
本書では「都市(あるいは日本のマチ)」のつくられかたの背景とその実際
そしてそこに暮らす(あるいは「つくる」)人々へ「スポットライト」があてられている
楽しくも辛辣(笑)に分析されている本であるとおもいます

バブル経済を経て、いま私たちの「棲む」都市にはどのようなことが起こっているのか
隈研吾さんと清野由美さんの対話からいくつかの「キーワード」を見出すことができます

都市の巨大化
開発の実現に必要な資金獲得の手法も激変させる。プロジェクトを小口の証券に分割して「投資家を募る方法」をはじめとして、「資金調達のテクノロジー」は、一九八〇年代以降、飛躍的に発達した。実はプロジェクトの巨大化とは、「調達テクノロジーの進化」の産物に他ならない。都市建設の資金は、個人の財力、一民間企業の財力を超えて、「複数の主体から調達」しなければならなくなったのだ。資金調達システムの変化は当然、「クライアントとデザイナーの関係」をもドラスティック(過度)に変化させた。一人のクライアントが建築家のデザインを評価して、彼に設計を依頼するという古典的関係性は過去のものとなった。パトロン(たとえば王侯貴族)が芸術家としての建築家に仕事を依頼するという「古典的、牧歌的な関係性」は、現代のビッグプロジェクトにおいては成立しない。「顔の見えない複数の投資家」から集金するために必要とされるのは、創造性のある芸術家ではなく、すでにブランドとしてエスタブリッシュ(社会的な権威をもっている階層)れた建築家である。投資家は芸術作品に対しては投資しないが、「ブランドに対して」ならば、それが多少割高とは知っていても、安心して投資する。かくして、世界の大プロジェクトは、「少数のブランド建築家」に独占されることとなる。投資家がブランドに対して期待するのは、、その建築の建つ場所、そこに伝わる文化に対するクリエイティブなレスポンス(創造的な反応)ではなく、ブランドが確立してきた「お約束」通りのスタイルの、「機械的な反復」である。ディベロッパー(開発業者)は、彼らに「スケッチ代を払って名前を借りよう」とする。なにしろブランド建築家のラフなスケッチに基づいて、建築会社の設計部や大手の設計会社が実現可能なものに「リライト(組立て直す)する」というやり方が、今や大プロジェクトでは定番である。

時代を映す鏡・大都市
バブル期をもしのぐ巨大な再開発がいたるところで行われ、「雨後の筍」よろしく超高層ビルが出現した二一世紀の東京。その眺めが映すものは何か、それをさぐってみたら、グローバリズム(地球上を「一つの共同体」とみなして世界の一体化をすすめる思想。自由貿易・市場主義経済の拡大などがこれにあたる)という「顔の見えない投資システム」だった。投資は「リターン(期待される収益)」を目論む。リターンを得るためになにより優先されるのは「リスク管理」の手法だ。こうして今、私たちの目の前に、きわめて「洗練されたリスク管理の賜物としての都市」が登場している。リスク管理の行き届いた街は、きれいで華やかで安全だ。そのすべてを否定するのではない。ただ、二一世紀の「ブランドニュー(できたての新しい)な街」を歩き続ける中で浮かび上がった、ある決定的な「違和感」はぬぐえない。きれいで華やかで安全で、さらに効率的であることは、それだけで「都市の魅力」につながるものではない、ということだ。歴史をみれば分かる通り、都市とは、先端のテクノロジーに、名もなき人々が「生活を紡ぐ時間」が重ね合わさった時に、「長き寿命」を得ることになる。リスク管理最優先の再開発が続く東京は、実は「もっとも有効なリスク管理」を根本のところで見逃しているのではないか。もっとも有効なリスク管理。それは、歴史の「継続性」と「クリエイティビティ(創造性)」にほかならない。
本書帯より。現在の都市(計画)の姿をよく表現している。


(目次)

都市開発の手法を概観する
オーバーオール型/再開発型/規制型/規制型の限界/テーマパーク型/テーマパークの逆流/ブランド建築家の誕生/逆向きの都市計画/草の根のスローな都市計画

第一回・汐留
悲しい「白鳥の歌」が響き渡る二一世紀の大開発
Introduction by 隈研吾
再開発とは、成熟化社会に与えられたつらい宿題である/必要とされていない時代にこそ出現する、悲しき大規模再開発/リスクマネージメントとしての現代都市計画
Dialogue on Shiodome Site by 隈研吾×清野由美
一本の羊羹という「解」しか出現しない理由/日本でしかありえないヌーヴェル×ジャーディ/リスク管理力偏重がプロデュース力を殺していく/新橋ガード下の脇に出現した「イタリア」/ロジャースとフォスターの違いが分からない/個人商店が経済と文化を動かすヨーロッパ/汐留は壮大なお勉強の場なんです

第二回・丸の内
東京の超一等地に三菱の「余裕」がどこまで肉薄するか
Introduction by 隈研吾
街はもはや「働く」機能だけでは成立しない/仲通りの仕掛けによって成功した丸の内
Dialogue on Marunouchi Site by 隈研吾×清野由美
歩くと美しいが、俯瞰すると愕然とするその景観/歴史的な建物を残すと超高層が出現するマジック/個々のデザインは発展途上でも、歴史的な建物を残す動きが前進中

第三回・六本木ヒルズ
森稔の執念が結実した東京の蜃気楼
Introduction by 隈研吾
貸しビル業の限界を強行突破した森ビル/港区を再開発する、という大きな困難
Dialogue on RopponginHills Site by 隈研吾×清野由美
「天才」が発想した円環構造の街/超高層森タワーの太さは前代未聞/道路という都市インフラまで関与した森ビルの積極性/主役は六本木ヒルズから東京ミッドタウンへ?

第四回・代官山
凶暴な熊に荒らされる運命のユートピア
Introduction by 隈研吾
「余裕」と「余裕」が重なって実現したヒルサイドテラス/プロジェクトを「開く」と空間は「閉じる」矛盾/成熟社会を二分する「熊」の存在/ヒルサイドテラスの魅力が代官山に困難を呼ぶ
Dialogue on Daikanyama Site by 隈研吾×清野由美
若き建築家の卵たちが夢見る代官山/「見識」「教養」「土地」「お金」が揃った代官山の奇跡/「お坊ちゃまくん」たちのヒルサイドテラス/本当の“カッコいい”は裏通りに/面白い都市とは「村化」した場所にこそある

第五回・町田
「郊外」かと思っていたら「都市」だったという逆説
Introduction by 隈研吾
「夢」色の絵の具で塗りつぶされる郊外/絵の具の塗り残しから顔を出す、生なリアリティ/斜めに交差するリアリティとフィクション
Dialogue on Machida Site by 隈研吾×清野由美
「金妻」というフィクションの舞台としての町田/ファミリーの現実的なねぐらとしての町田/そして徐々に素顔が現れてくる/町田が体現する意表を突く逆説/都市計画という無力なフィクション

対話篇・そして北京
Dialogue : And Beijing , another dimension of Tokyo

あとがき