2012-04-13

今和次郎「日本の民家」再訪

瀝青会による
今和次郎が辿った「日本の民家」を
再訪探訪する、記録の書です
中谷礼仁氏は今和次郎の『日本の民家』に描かれた民家を
90年を経た現在、どのようになっているのか
瀝青会
というひとつのグループのなかで
それらについて
フィールドワークしながら実地調査していきます

まえがきと本文のなかで、そのことについてふれています

『「民家」は二つの意味をもっている。ひとつは茅葺きに代表される伝統的な住まいである
もうひとつはニュースでもよく用いられる、普通の住まい一般に対しての名称である。
なんの変哲もない、無名の住まいたちである。
今和次郎の「民家」はそのいずれをも含んでいた。
文化財には指定されないが、連綿と続いてきた庶民の家が活写されていた。
彼によって生活の知恵が、そして生きることの実相が
さりげなく描かれていたのが「日本の民家」であった。
しかし無名の住まいを選ぶ基準はない。
そのような匿名的な住まいを彼はいったいどのように
選び出したのだろうか。
そして採集された家々はいま、どうなっているのだろうか。』


『「日本の民家」の再訪作業が始まった。
しかし日本を旅することはいまや海外に飛ぶよりコストがかかる。
この運動はそういうわけで、当方の頭のなかの
「やりたいことフォルダ」
に作業を始める二年ばかり、ずっとしまったままになっていたのだった。
それが始まったということは、その企画が
「フォルダ」
から取り出され、幾つかの経験や、幾人かの人々の検討を経て
ようやく、
陽にあたることが許されたということでもあった』

※瀝青会:
柳田國男佐藤功一による民家調査組織「白茅会(はくぼうかい)」に誘われた
今和次郎は、その後全国をめぐって「日本の民家」(1922)を残しました。
さまざまな分野の専門家、学生からなる瀝青会は、この小さな本に収められた
全民家再訪の旗のもと、二〇〇六年に結成されます。
「瀝青」とはアスファルトのこと。
白い芽は消え、今(こん)が歩いた道はアスファルトに変わりましたが、
全国には多くの変わらないモノの姿がありました。
(本書・帯より。)


約400ページほどにわたる本書は、今和次郎が残した「日本の民家」とともに
後世にまた受け継がれていくであろう
「現代版・日本の民家」
なのであります。

(目次)

はじめに

第一章
林檎のなる土地へ 東北
山形県飽海郡遊佐町吹浦、岩手県柴波郡矢巾町、青森県北津軽郡板柳町

第二章
論考・民家における非田園的なるもの_今和次郎『日本の民家』再訪によせて

第三章
瀝青会結成前夜 今和次郎の残した見聞野帖のことなど

第四章
都市の水面 内郷村
神奈川県相模原市緑区寸沢嵐

第五章
郊外町の痕跡 甲州街道
甲州街道(東京都渋谷区初台―世田谷区大原)、東京都新宿区大久保

第六章
民家の範疇 四国・山村篇
徳島県三好市西祖谷山村

第七章
瀝青会、海へ 四国・漁村篇
徳島県海部郡美波町、愛媛県松山市素鵞、高知県南国市大そね甲、高知県幡多郡上川口

第八章
生存の徴としての民家 伊豆大島
東京都大島町

第九章
小屋の発見 広島から出雲の間で
広島県三次市小文町、島根県出雲市

第十章
「Bの家」の行方 秩父浦山
埼玉県秩父市浦山

第十一章
ワイルド・イースト 千葉上総へ
千葉県勝浦市、千葉県長生郡長生村

第十二章
災害と住む 太平洋沿いに
静岡県牧之原市地頭方、愛知県蒲郡市竹谷町

第十三章
理想の民家はどこにある? 東京近郊にて
群馬県渋川市赤城町宮田、茨城県常陸太田市新宿町、埼玉県さいたま市浦和区

第十四章
浜辺のブリコラージュ 越後の舟小屋
新潟県糸魚川市

第十五章
雪に埋もれる山村の家・その後 関川
新潟県妙高市

第十六章
八瀬の高殿 京都
京都府京都市左京区

第十七章
クド造りをたずねて 九州佐賀
佐賀県杵島郡白石町、佐賀県佐賀市川副町大字大託間


無名の民家を基準とした
日本の居住空間・景観の変容分析

写真構成

初出一覧

謝辞

再訪データ

略歴