2011-08-12

ジシンザッカン

1996年12月から1999年8月に岩波書店から刊行された
「新版寺田寅彦全集(全30巻)」を底本とした文庫オリジナルの本です

関東大震災
 大正12年(1923年)9月1日(土)11時58分32秒
神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を
震源として発生したマグニチュード7.9の大正関東地震による地震災害
惨状が描かれている
寺田寅彦から小宮豊隆宛へおくられた
「絵はがき」
10葉掲載(カラー)されています

寺田寅彦は
1878年(明治11)東京に生まれ、父は高知県の士族出身
五高在校中に、夏目漱石に学ばれた「物理学者」「随筆家」です

1903年東京大学物理学科を卒業
東大助教授を経て、教授へ
地震研究所、航空研究所、理化学研究所などへも籍をおき
「科学者の視点から、日常周辺の現象をとらえた独特の随筆」

数多く残されています
そして
1935年(昭和10)逝去されています


本書のなかにふくまれる随筆の
「天災と国防」
というなかに
つぎのようなくだりがあります

『 昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積して
その教えに頼ることが甚だ忠実であった
過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し
時の試練に堪えたような建築様式のみ墨守して来た
それだからそうした経験に従って造られたものは
関東震災でも多くは助かっているのである
大震災後横浜から鎌倉へかけて被害の状況を見学に行ったとき
彼の地方の丘陵の麓(ふもと)を縫う古い村家が
存外平気で残っているのに、田圃の中に発展した新開地の
新式家屋がひどくめちゃめちゃに破壊されているのを見た時に
つくづくそういうことを考えされたのであった
・・・
やはり文明の力を買い被って自然を侮り過ぎた結果から
そういうことになったのではないかと想像される
新聞の報ずるところによると幸いに当局でもこの点に注意して
この際各種建築被害の比較的研究を徹底的に遂行することに
なったらしいから、今回の苦い経験が無駄になるような事は
万に一つもあるまいと思うが
しかし
これは決して当局者だけに任すべき問題ではなく
国民全体が日常銘々に深く留意すべきことであろう
とおもわれる
・・・
国家の安全を脅かす敵国に対する国防策は
現に政府当局の間で熱心に研究されているであろうが
ほとんど同じように一国の運命に影響する可能性の豊富な
大天災
に対する国防策は
政府のどこで誰が研究し如何なる施設を準備しているか
甚だ心元ない有様でである
想うに
日本のような特殊な天然の敵を四面に控えた国では
陸軍海軍の外にもう一つ科学的国防の常備軍を設け
日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが
当然ではないかと思われる
・・・
人類が進歩するに従って愛国心も大和魂もやはり進化すべき
ではないかと思う
砲煙弾雨の中に神妙を賭して敵の陣営に突撃するのも
たしかに貴い日本魂であるが
〇国や△国よりも強い
天然の強敵に対して平生から国民一致協力して
適当な科学的対策を講ずるもの
また
現代に相応しい大和魂の進化の一相として
期待して然るべきことではないか
と思われる
天災の起った時に始めて大急ぎでそうした愛国心を発揮するのも
結構であるが
昆虫や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の
愛国心の発露には
もう少しちがった
もう少し合理的な
様式があって然るべきではないかと思う次第である』

これはいまから108年前の
1903年(昭和9)「経済往来」に書かれたもの(随筆)です

さあ
100年前に寺田寅彦が警鐘したものは
現在の
日本(の政府や御用学者)と比べて、どうなっていると思いますか

寺田寅彦が「過去の経験を大切に保存し蓄積して...その教えに頼る」
といったそのことから

どう学び
どう動き
どう変化

していかなくてはならないか

本書は私たちに「最後の警鐘」として、現在の「立ち位置」を教えてくれています

(目次)


断水の日
事変の記憶
石油ランプ
地震雑感
流言蜚語(ひご)
時事雑感
津波と人間
天災と国防
災難雑考



地震の予報はできるか
大正十二年九月一日の地震について
地震に伴う光の現象


震災日記より
小宮豊隆宛書簡(大正十二年九月 ― 十二月)
無題


註解 細川光浩

解説 千葉俊二