2012-05-25

都市住宅クロニクル Ⅱ

私には
言葉で語るべき考察や主張なんてないと言いきったほうが
「建築の描写」に近づけるのかもしれない

植田実(うえだまこと)氏は巻末「あとがき」でこう書いています
40年間「編集者」として
『出会った建築家や研究者、建築を使っている住んでいる人』
から学んだ「クロニクル(年代記)」は
こうした人々のものであるといいます

その編集者生活のなかで
「いちばん厳しかった取材・撮影」と「取材先でいちばん優しかった人」
のことを『私的別荘論』で次のように書いています

◇◇◇
冬の気配が忍び寄る夜明け前、敷地の入口付近から、まだ眠っているこの別荘の暗い姿を木木の間に見ながら、写真家の小山孝さんと私は寒さに震えながら待機していた。数日前に編集デスクと一緒に下見にお邪魔した時の吉村先生のお話では、この家はまだ未完成だし、しばらくは雑誌などに発表するつもりはないということだった。しかし一足先に帰京したデスクは、今度の軽井沢特集にどうしてもほしいから外観写真一枚だけでいい、撮らせてもらってこいと帰りぎわに言い残していった。先生に前もって許可をいただく時間もなく、居残り二人組は朝駆け体制に入っていたのである。どのくらい地面にしゃがみこんでいたのかわからないが、何よりも無茶なお願いをまずしなければならないと思うと、とにかく長く辛い、しかしたとえようもなく明けゆく森が美しい時間だった。結局、近くの宿屋かどこかまで歩いて電話を借りて先生をタタキ起こした(?)。ふだんだってまともに口を利きづらい高名な建築家をいきなり起こして、不意討ちの撮影願いをしたわけである。外観を一枚だけ、そのためには雨戸だけでも開けていただきたいのです、と。足だけでなく、口も震えていた。編集者のくせに頼みごとが大の苦手な私は、先生の短い受け応えの声が聴こえてくる電話口で、肉体も魂も半ば消えかけていた。まもなく二階の雨戸を開け放って、そこに現れた先生は、とくに微笑むわけでもなく、といって怒りの表情もさらになく、じつに静かにしばらくはそのままで撮影準備の様子を見下ろしておられた。この瞬間の光景はけっして忘れることはないだろう。***軽井沢一帯は、この吉村先生の別荘取材の数年前にもかなり見てまわったことがある。同じ雑誌でアントニン・レーモンドの特集をまとめるに際して、一九三三、四年ごろに集中して建てられたレーモンド設計の別荘群を見てまわったのを手始めとして、中軽井沢や南原の「大学村」に、戦前戦後、多くの建築家たちが手がけた別荘まで片端から訪ねた。立原道造の本なんかを抱いて追分に滞在した学生のころとはまるで違う軽井沢の全体が見えてきた。***これら別荘のつつましさについて、当時、軽井沢で長く別荘生活をしていた人に訊いて納得したことがある。別荘では仮住まいの生活がそれなりの作法だったという。家もそうだが、食べ物についても東京から贅沢な食材を持ち込んだりはしない。缶詰のような、主として応急的食品を地元の店で購う習慣だった。***こうした生活作法を非日常と呼ぶとき、その方向性は明快だ。自然に親しむことと、贅沢な食事や華やかな接待を断ち、質素な私的生活を享受することとは、表裏一体であったにちがいない。いいかえれば別荘生活とは長期滞在を前提として成り立っていた。***このころ一度だけあるエライ人の別荘をひとりで数日借りたことがある。毎日同じ時刻に同じ鳥たちがあ同じ梢を次々に渡りながら通り過ぎていくのに気がつき、自然が正確な時計であることをはじめて体感した。こうした時間の中にひとりいることが、自分の能力をどれほど変えることかをはじめて知った。私は能力が開発されたと誤解した。この調子なら残りは東京に戻って、持って帰った仕事は東京ではものの見事に中断し、その後は今日までそれっきりだ。***(建築家の)高橋靗一さんは「制限条件の少ない別荘のほうが、そのぶん難しいんです」「ジャンルわけの中で建築のつくり方の難易度を問うなんて、まったく違う。別荘で傑作をつくれる人は余程腕のいい人です」
「都市住宅」1968年11月号付録ポスター
◇◇◇

また、建築家との「関わりあい」はいかにするのか、ということを
『建築は終わらない』で次のように書いています

◇◇◇
プロセスにおいて建築を見る。ということは、多くの人々にとって建築の受けとめ方を変えるよいきっかけになると思う。建築を使ったり住んだりすると考えて賞めたり批判したりするのは、建築を完成品として見なすことによってはじめて成り立つからだ。プロセス、これには二段階ある。第一には、建築のいわゆる竣工までのプロセス、第二には、竣工時点から重なるように、その建築の使用や生活が始まり、建築が消滅するまでのプロセス。これが建築の全体像である。ほら、「完成品」である部分なんて、じつはどこにもない。***映画なんかでも作品そのものにもまして、それがどのようにつくられるかがいまは大きな関心の対象になっている。そこに関わるさまざまな専門家たち、あるいは最先端の技術などを知り、仮想的に作り手のひとりになることで映画はさらにおもしろくなる。というより映画作品そのものの質に変化が生じる。作品の作り手と受け手の区別が曖昧になり、しかし、それは乗り越えやすい境界となるのではなく、構想力や発想、それを映像に仕上げていく技術がさらに大きく見えてくる。それは映画が娯楽から芸術に、というか、より複雑な享受に近づくことだと思う。建築も同じである。いやそういう局面がより顕著だ。だがそれは、たとえば住宅の設計を建築家に依頼するひとが、自分なりに考えた間取りをスケッチしたり、好みの建築材料や設備機器を指定したりして建築家への注文とする、そういう関わり方ではない。むしろこのような関与は、建築をプロセスとしてみることからますます遠ざかる結果になる。建築家を、間取りと構造方式を整合し雨が漏らない収まりを考える技術者とみなすにとどまり、建築家の一種特有な思考の核心にふれることなく「完成品」を手に入れて終わり、ということになりかねないからだ。建築家の思考において最高の見ものは、いわゆる間取りが建築化する(平面をただ立断面に起こすことではない)瞬間であり、さらにはその計画概念が実体化していくスリリングな過程である。そこでは「建築家」と設計業者との決定的な差が生じる。よく造形意欲ばかりが先行して建築を自分の「作品」にしてしまう建築家と、依頼者の意を汲んで裏方に徹する建築家と、という二項対立的な見方がされるがそれは違う。もっとも非建築的な設計者はまさに形だけにこだわる。あるいはふつうという口実のもとにまったく建築を考えない。建築家の名に値する者は、ふつうをどのように建築化するかに腐心しているのであり、形や空間をいかに内なる隘路へと誘導するかを考え続けている。だから分けるとすれば、優れた建築家とそうでない建築家との二群である。ただし、前者はマイノリティ(少数派)である。
植田氏が建築を視察・一巡している間、ひとり考えごとする建築家
◇◇◇


(目次)

Ⅰ 「瞬間」の永遠の相
❏家を住み継ぐかたち❏
❏風を感じる家❏
伊東豊雄自邸「シルバーハット」
❏漂流収納❏
高橋公子の研究と実践
❏旅する者のイメージ❏
鈴木恂の住宅群
❏建築時評❏
ポンピドーセンター「前衛芸術の日本」展/オルセー美術館/再建されたバルセロナ・パビリオン/プレチニック再評価をめぐって/篠原一男「東京工業大学百年記念館」/安藤忠雄「下町唐座」
❏街のアーキテクチュア探検❏
北川原温「RISE」/石井和紘「ジャイロルーフ」/横浜市建築局+坂倉建築研究所「横浜人形の家」/高松伸「キリンプラザ大阪」/曽根幸一「パルテノン多摩」/早川邦彦「コンフォート・ステーション」/仙田満「相模川ふれあい科学館」/ワークショップ「SAYA」/鈴木恂+フィリップ・スタルク「リストランテ・マニン」/磯崎新「ハラミュージアムアーク」/中筋修「スパイヤービル」
❏山本理顕全作品解説❏
❏固有な文体の饗宴❏
『ジャパン・ハウス』
❏新・和風住宅の光の間❏
❏早稲田大学所沢キャンパス❏
池原義郎の手法
❏快楽住宅❏
安藤忠雄「城戸崎邸」
❏光自在の家❏
❏いまどきの住宅❏
飯田善彦「VILLA CORTE」/難波和彦「野地邸」/三浦周治「布井邸」/野田俊太郎「リゲティ’S BOX」/妹島和世「PLATFORM 1」/坂茂「M邸」/杉浦伝宗「NAP-HOUSE」/竹原義二「塗屋造の家」/平倉直子「鎌倉山のアトリエ」/山本理顕「若槻邸」
❏「中之島2001」の全体像❏
❏都市空間のなかのやきもの❏

Ⅱ 住居からの街
❏「トンネル」から「コスモス」へ❏
横河健の住宅
❏リラクゼーションへの解❏
❏屋根裏部屋からの旅❏
立原道造のミクロコスモス
❏若林広幸の「場所」❏
❏エキスパートに聞く❏
吉村順三・広瀬鎌二
生活と一緒になった住宅/木造の先にあるヴィジョン
❏くまもとアートポリス❏
❏現代建築の風景❏
原広司「ヤマトインターナショナル」/渡辺誠「青山製図専門学校一号館」/谷口吉生「葛西臨海水族園」/北山孝二郎+ピーター・アイゼンマン「コイズミライティングシアター/イズム」/六角鬼丈「東京武道館」/伊東豊雄「中目黒Tビル」
❏まだ体験されていない自然の家❏
長谷川逸子「湘南台文化センター」
❏箱のなかの風景❏
横河健「箱根VILLA」「DECO」
❏室伏次郎の仕事プレイバック❏
❏「新建築」月評❏
❏典型への収斂、典型からの回避❏
前川國男自邸
❏プロトタイプという親和作用❏
ファンズワース邸
❏「場所」の発掘❏
安藤忠雄の建築を体験することへの誘い


Ⅲ 訪問までの歳月
❏建築家水まわり構想❏
❏中心の置き方❏
伊丹潤の建築
❏その人、その建築❏
ダニエル・リベスキンド
❏「出発」と「到着」の造形❏
関西国際空港
❏私的別荘論❏
❏二十年後の「ドーモ・アラベスカ」❏
❏よみがえるヴィープリの図書館❏
❏日本の現代住宅設計に何が見えるか❏
私的領域と公的領域の錯綜
❏取材報告「パークコート杉並宮前」❏
❏「単位」と「建築」のあいだ❏
山下和正論


Ⅳ 一瞬の家の十年
❏声をかけてくる街❏
たしかに住んでいる/目印のつけ方/建物VS植物のコンペティション/買ってくださいの景色/テンポラリー・アーキテクチュア
❏建築家の三十代を問う❏
❏その人、その建築❏
シーラカンス/藤江和子
❏ヴォーリズの東京を歩く❏
❏建築は終わらない❏
安藤忠雄の「プロセス」
❏二十一世紀住居図鑑❏
鈴木博之「EXCES」/千葉学「江東の家」/渡辺真理+木下庸子「NT」
❏モボ、モガたちの家づくり❏
❏住居がデザインされてきた時代❏
❏思い出の戦後建築❏
消えたものの目録
❏住まいのような小さな美術館❏
❏懐かしい異次元の入り口❏


あとがき

建築家索引 設計者別建築索引


(参考)