2012-09-18

初版 古寺巡礼+和辻哲郎。

若き和辻哲郎の「熱き幻の初版」が復刻しています
1918年5月に奈良を旅行した和辻哲郎の「印象記」として描かれた「古寺巡礼(初版)」であったようです。1923年に発生した関東大震災で紙型を焼失し、翌1924年に「新版」として発行されたものの、自身で描いた内容に逡巡もありました。しかし、当時の社会情勢が和辻哲郎がおもう改訂への意思とはべつにそのままとなり、戦後になって初めて「改訂版(初版から45個所を訂正)」として出版することになりました。
和辻哲郎が旅行記のなかで、「時間(とき)を経た美しさ」について感想を記述している部分が多々あります。その部分を抜粋し、和辻哲郎が自身にとって「多くの研究の動機を含んでいる」と考えたように、ここに記しておこうと思います。

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朝南禅寺のなかを抜けて、若王寺のF氏の所に行った。空が美しく晴れて楓の若葉が鮮やかに輝いているなかに、まるで緑に浸ったようになって、F氏の茶がかった家が隠れていた。電車の通りから十町と離れていない所に、こういう閑静な隠れ場所があるという事は、昔からの京都の特徴で、文学などにもその影響が著しく認められると思う。

京都から奈良へ来る汽車は、随分穢なくて、ガタガタゆれて、不愉快なものだが、沿線の景色はそれを償うて余りがある。桃山から宇治あたりの、竹藪や茶畑や柿の木の多い、あの緩やかな斜面は、いかにも平和ないい気分を持っている。

ひるから薬師寺へ行った。道がだんだん郊外の淋しい所へはいって行くと、石の多いでこぼこ道の左右に破れかかった築泥(ついじ)が続いている。その上から盛んな若葉がのぞいているのなどを見ると、一層廃都らしいこころもちがする。―壁を多く使った切妻風の家の建て方も、僕には同じ情趣を呼び起す。しかしこの辺の切妻は、平の勾配が、僕の幼い頃見慣れていたものよりも、よほど古風ないい味を持っているように思われる。

べら棒に大きな岩が道傍の崖からハミ出ている所をダラダラとのぼって行くと、急に前が開けて、水田にもなるらしい麦畑のある平地へ出た。村がある、森がある、小山がある。こんな山の上にあるだろうとは予期しない、いかにも長閑(のどか)な農村の光景だった。浄瑠璃寺はこの村の一隅に、この村の寺らしく納まっていた。これも予想外だった。しかし何とも云えぬ平和ないい心持だった。

山の上に、下界と切り離されたようになって、一つの長閑な村がある。そこに自然と抱き合って、優しい小さな塔とお堂とがある。心を潤すような透きとおった可愛らしさが、凡ての物の上に一面に漂っている。それは近代人の心にはあまりに淡きに過ぎ平凡に過ぎる光景だが、しかも我々の心の底の或者を動かすのだ。

湯殿の前の庭に立って東の方を眺めると、若葉の茂った果樹の間から、三笠山一帯の山々や高台の上に点々と散在している寺塔の屋根が、いかにものどかに、半ば色づいた麦畑の海に浮かんで見える。その麦のなかを小さい汽車がノロノロと馳けてゆくのも、僕には淡い哀愁を起こさせるに充分であった。またしても幼い時の心持が蘇って来る。庭の砂の、かすかに代赭(たいしゃ)をまじえた灰白の色も、それを踏む足の心持も、総てなつかしい。滑らかな言葉で愛想よく語る尼僧の優しい姿にも、今日初めて逢ったとは思えぬ親しさがある。

尼君の血色は稀に見るほど美しかった。お附きの尼僧の話では、朝は四時に起きて、本堂へ出て看経(かんきん)する。「若いお子さんたちは身支度をして本堂へ歩いて来るまでがまるで夢中で」ある。冬などはすっかりお勤めが済んだ頃にやっと表が明るくなる。その代り夜は早い。―あの血色はその賜(たまもの)であろう。

もしゴシック建築に北国の森林のあとがあるとすれば、我々の仏寺にも松や檜の森林のあとがあるとは云えないだろうか。あの屋根には松や檜の垂れ下がった枝の感じはないか。堂全体には枝の繁った松や檜の老樹を思わせるものはないか。東洋の木造建築がそういう根源を持っていることは、文化の相違を風土の相違にまで還元する上にも、興味の多いことである。

小さい裏門をはいると、そこに講堂がある。埃まみれの扉が壊れかかっている。古びた池の向こうには金堂の背面が廃屋のような姿を見せている。まわりの広場は雑草の繁るにまかせてあって、いかにも荒廃した古寺らしい気分を味(あじわ)わせる。時は丁度(ちょうど)初夏の黄昏(たそがれ)が近づいたところであった。僕が知らず知らずに淡い牧歌的な心持(こころもち)に浸って、参詣人名簿に見出した知人の名を所にふさわない珍しいものと感じたのも、無理はないであろう。

麦の黄ばみかけている野中の一本道の突当(つきあた)りに当麻寺が見える。その景致(けいち)はいかにも牧歌的で、人を千年の昔の情緒に引き入れて行かずにはいない。茂った樹の間に立っている天平の塔を眺めながら、ぼんやりと心を放して置くと、濃い靄のような伝奇的な気分が、いつの間にかそれを包んでしまう。

大仏殿の屋根は空と同じ蒼い色で、ただこころもち錆がある。それが朧ろに、空に融け入るように、ふうわりと浮かんでいる。

(法輪寺へまわる)途中ののどかな農村の様子や、蓴菜(じゅんさい)の花の咲いた池や、小山の多いやさしい景色や、ずいぶん僕には気に入った。法輪寺の古塔、眼の大きい仏像、なども美しいと思った。荒廃した境内の風情も面白かった。鐘楼には納屋がわりに藁が積んであり、本堂のうしろの木蔭にはむしろを敷いて機(はた)が出してあった。
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(内容目次)

アジャンター壁画の模写/希との関係宗教画としての意味/波斯使臣の画
哀愁のこころ
南禅寺の夜
若王子の家/博物館、西域の壁画/西域の仏頭/アジャンター壁画について/健陀羅仏頭と広隆寺弥勒

東西風呂のこと/京都より奈良へ/ホテルの食堂

シコラ/廃都の道/新薬師寺/鹿野苑の幻想

浄瑠璃寺への道/浄瑠璃寺/戒壇院/戒壇院四天王/三月堂本尊

疲労

奈良博物館

聖林寺十一面観音
十一
数多き観音像/観音崇拝
十二
写実/百済観音
十三
天平の彫刻家/良弁/問答師/大安寺の作家/唐招提寺の作家/法隆寺の作家
十四
『日本霊異記』
十五
伎楽面/仮面の効果/伎楽の演奏/大仏開眼供養の伎楽、舞台/大仏殿前の観衆/舞台上の所作/伎楽の扮装/林邑楽の所作/伎楽の新作、日本化/林邑楽の変遷/秘伝相承の弊/伎楽面と婆羅門神話/呉楽、西域楽、仮面の伝統/猿楽、田楽/能狂言と伎楽/伎楽と劇、波斯・印度の劇/婆羅門文化と風文化/印度劇と劇/支那との交渉/印度劇の変化
十六
法隆寺天蓋の鳳凰と天人/維摩像/鋼板押出仏
十七
カラ風呂/光明后施浴の伝説/蒸風呂の伝統
十八
法華寺より古京を望む/尼僧
十九
法華寺十一面観音/光明后と彫刻家問答師/彫刻家の位置/光明后の面影
二十
天平の女
二十一
天平の僧尼
二十二
尼君
二十三
西の京
二十四
金堂内部/千手観音
二十五
講堂
二十六
唐僧鑑真
二十七
鑑真将来品目録
二十八
奈良朝と平安朝初期
二十九
薬師寺/講堂薬師三尊
三十
金堂薬師如来/金堂脇侍
三十一
薬師製作年代/天武帝/天武時代飛鳥の文化/薬師の作者
三十二
薬師寺東塔/東院堂聖観音
三十三
奈良京の現状/聖観音の作者/玄裝三蔵/グブタ朝の藝術/西城人の協働/聖観音の作者
三十四
薬師寺に就て/神を人間の姿に
三十五
S氏の話
三十六
博物館特別展覧
三十七
法華寺弥陀三尊/中尊と左右の相違/光明后枕仏説
三十八
西大寺の十二天/薬師寺吉祥天女/印度の吉祥天女/天平の吉祥天女
三十九
「信貴山縁起」/当麻の山/中将姫伝説/当麻曼荼羅/浄土の幻想
四十
久米寺、岡寺/藤原京跡/三輪山/丹波市
四十一
東大寺南大門/当初の東大寺伽藍/三月堂/N君の話
四十二
法隆寺/中門内の印象/エンタシス/の影響/五重塔の運動
四十三
金堂壁画/金堂壁画とアジャンター壁画/印度風の減退/日本人の痕跡/大壁小壁
四十四
金堂壇上/橘夫人の厨子/綱封蔵
四十五
夢殿/夢殿秘仏/秘仏の作者
四十六
伝法堂/中宮寺/中宮寺観音/日本的特質
四十七
中宮寺以後

挿画目次
(新薬師寺本堂/三月堂本尊/三月堂脇侍/聖林寺十一面観音/百済観音/伎楽面/法華寺十一面観音/唐招提寺金堂/薬師寺金堂本尊/薬師寺東塔/薬師寺東院堂聖観音/法華寺弥陀三尊/薬師寺吉祥天女/三月堂/法隆寺金堂・五重塔・中門/同金堂壁画弥陀浄土図/同右脇侍勢至菩薩/同右脇侍右腕/橘夫人念持仏/同厨子台座絵/夢殿/伝法堂/夢殿観音/中宮寺観音)

解説 『初版 古寺巡礼』の魅力  衣笠正晃


(参考)