前著『変わる家族、変わる食卓』
が
現代社会の家族がかかえる日常の生活を浮き彫りとしたのに対し
本書は
家族にとって「特別なイベント(お正月、クリスマス)」の
「食卓」と「家族の関わり合い」
を
示した本となっています
元日のあさ、ひとりで「菓子パン」を食べる子供
大学受験の息子に「サンタクロース」を信じさせる親
そして
バラバラの「恣意」をリベラルな「自由」であると錯覚している「ノリ」重視の家族
の
すがたが克明に描写されています
その内容は
1960年以降生まれを対象とした「食DRIVE」調査を年一度、計6回行なっている
著者の岩村暢子(いわむらのぶこ)さん
が
「1999年末から翌年」と「2004年末から翌年」に110世帯と62人の主婦への
日記・写真などを記録してもらいそれを、回収・調査したものを
「7グループ」に分類して集団インタビューし発言録として纏められています
そのなかで
が
「1999年末から翌年」と「2004年末から翌年」に110世帯と62人の主婦への
日記・写真などを記録してもらいそれを、回収・調査したものを
「7グループ」に分類して集団インタビューし発言録として纏められています
そのなかで
『現代の家族は、起きてくる時間もバラバラ、寝る時間もバラバラ
食事のときに、食べるモノも食べる時間もバラバラ
休日にしたいことも、する時間もバラバラ、行きたいところもバラバラだ
それは、子供たちがわがままを言うせいだけではない
親自身が「私中心」で、自分の気分や好み、都合、ペースが尊重されるのは
当たり前のことだと考えるようになっている』
ことと
『「現実を見ない母」であり「事実と異なることを平然と語る母」であり
「言うことがすぐに変わる母」である
そして
「現実に自分が行なっていることとは、かけ離れた考えや展望を語る母」でもあろう
そんな母親は、目の前にいる子供の現実をきちんと見つめているのだろうか
・・・
そこにいる子供にとって非常に残酷で恐ろしいことではないだろうか
真っ当に受け止める子供ほど辛く感じるに違いない
そしてなによりも、そこにいる子供たちは、現実をどのように認識していったらよいか
わからなくなり、自らの立ち位置や判断基準も見失ってしまいそうな気がする
そんな子供たちが、やり場のない怒りや言葉にならないイライラを募らせ
ある日堪え切れなくなって、家の中で暴力をふるったり自分を見失うようなことが
あったとしても、私たちはそれを「不可解なこと」とはいえないと思う
この「普通の家族」の、「普通の主婦」たちの調査データを詳細に読めば読むほど
私はそんな胸騒ぎがしてくるのである』
と考察しています
核家族が急速に進んだなかでの「家族の関わり合い」は、現代社会の縮図としても
おもえるような「スガタ」「カタチ」へと変わってきているようです
また
松原隆一郎氏の解説を少し紹介させていただき
「普通の家族」がいかに「怖い」のかを改めて考えてみたいとおもいます
『怖い本である。不快とすら、言う人がいる。どうしてこんなことを書くのか、と憤る人もいる
なぜか
多くの人がそう思いたくない自画像が、ここには書かれているからだ』
そして
『選択の自由、個性の表現をイデオロギーとして信じてきた親からすれば
「躾け」れば「嫌われる」
行事の「いわれ」を説明すれば「疎んじ」られる
と考えるのはもっともではある
嫌いだという野菜を食べさせないのは「選択の自由」を尊重したからであり
無理に食卓を囲ませないのは子供の自由意志を優先したからである
目の前にある人とのリアルなつながりを「ノイズ」と感じ
携帯が媒介する楽しいつながりだけを選択する子供に対して親たちは
かろうじて夢や思い出に繋がりを託すようになって
陽炎(かげろう)のような家族が現れたのである
・・・
家人のノイズすらやり過ごせなくなるならば、今後、他人がノイズそのものとみなされる
社会が出来上がると予測される
ノイズと付き合うすべを覚えるのが「大人になる」ことならば
ささいなノイズにも耐えられない子供たちが親として社会に溢れることになるだろう
あなたはこの現実を怖いと感じますか、普通と感じますか』
(目次)
プロローグ
普通の家族を知りたい
サンタに手紙を書く18歳の男の子/「夢」のない子って怖い/殺伐とした元旦の食卓
「フツウの家族の実態調査」について
第一章
してもらえる「お客様」でいたい
上げ膳据え膳してもらうお正月/「女って辛い」主婦の本音/伝わらない御節/いまどきの嫁の気遣い
お年玉を貰う親たち/テレビに門松、ポプリのお屠蘇/お正月なんて「やめたい」
第二章
好き嫌いで変える
キッチンもトイレもクリスマス/クリスマス料理は舞台装置/やりたいことだけ「伝承」/雑煮の味も「私の好み」
「決まってること」は苦手/自分ペースで「一緒」に/無理しない、頑張らない/反転する「私」
第三章
子供中心、私中心
子供を「喜ばせたい」親たち/「子供」はツール/「お子様」は主役/子供に媚び売る親たち/「子育て優先」の実態
第四章
うるさい親にはなりたくない
「見せて」伝える伝統/語らない親たち/みんなと同じにしてあげたい
「好きにさせる」お手伝い/思い出作りしたい親たち
第五章
一緒にいられない家族たち
麦茶、牛乳のお屠蘇/バラバラが嬉しいお正月/子供の数だけツリーとケーキ/喪中より受験
みんなが触れ合う日/ハレの日だけ「家族一緒」
第六章
ノリで繋がる家族
「楽しい」ことがいちばん大事/現金摑み取りで燃える/盛り上がれば「一緒」/子供を躾けない理由/偽装する家族
第七章
普通の家族がいちばん怖い
エピローグ
現実を見ない親たち
単行本あとがき
文庫本あとがき
解説
松原隆一郎
(参考)
『普通の家族がいちばん怖い』のは「私」のせい?食卓崩壊が告げる現代家族のカタチ
普通の家族がいちばんこわい~崩壊するお正月、暴走するクリスマス~
食事のときに、食べるモノも食べる時間もバラバラ
休日にしたいことも、する時間もバラバラ、行きたいところもバラバラだ
それは、子供たちがわがままを言うせいだけではない
親自身が「私中心」で、自分の気分や好み、都合、ペースが尊重されるのは
当たり前のことだと考えるようになっている』
ことと
『「現実を見ない母」であり「事実と異なることを平然と語る母」であり
「言うことがすぐに変わる母」である
そして
「現実に自分が行なっていることとは、かけ離れた考えや展望を語る母」でもあろう
そんな母親は、目の前にいる子供の現実をきちんと見つめているのだろうか
・・・
そこにいる子供にとって非常に残酷で恐ろしいことではないだろうか
真っ当に受け止める子供ほど辛く感じるに違いない
そしてなによりも、そこにいる子供たちは、現実をどのように認識していったらよいか
わからなくなり、自らの立ち位置や判断基準も見失ってしまいそうな気がする
そんな子供たちが、やり場のない怒りや言葉にならないイライラを募らせ
ある日堪え切れなくなって、家の中で暴力をふるったり自分を見失うようなことが
あったとしても、私たちはそれを「不可解なこと」とはいえないと思う
この「普通の家族」の、「普通の主婦」たちの調査データを詳細に読めば読むほど
私はそんな胸騒ぎがしてくるのである』
と考察しています
核家族が急速に進んだなかでの「家族の関わり合い」は、現代社会の縮図としても
おもえるような「スガタ」「カタチ」へと変わってきているようです
また
松原隆一郎氏の解説を少し紹介させていただき
「普通の家族」がいかに「怖い」のかを改めて考えてみたいとおもいます
『怖い本である。不快とすら、言う人がいる。どうしてこんなことを書くのか、と憤る人もいる
なぜか
多くの人がそう思いたくない自画像が、ここには書かれているからだ』
そして
『選択の自由、個性の表現をイデオロギーとして信じてきた親からすれば
「躾け」れば「嫌われる」
行事の「いわれ」を説明すれば「疎んじ」られる
と考えるのはもっともではある
嫌いだという野菜を食べさせないのは「選択の自由」を尊重したからであり
無理に食卓を囲ませないのは子供の自由意志を優先したからである
目の前にある人とのリアルなつながりを「ノイズ」と感じ
携帯が媒介する楽しいつながりだけを選択する子供に対して親たちは
かろうじて夢や思い出に繋がりを託すようになって
陽炎(かげろう)のような家族が現れたのである
・・・
家人のノイズすらやり過ごせなくなるならば、今後、他人がノイズそのものとみなされる
社会が出来上がると予測される
ノイズと付き合うすべを覚えるのが「大人になる」ことならば
ささいなノイズにも耐えられない子供たちが親として社会に溢れることになるだろう
あなたはこの現実を怖いと感じますか、普通と感じますか』
(目次)
プロローグ
普通の家族を知りたい
サンタに手紙を書く18歳の男の子/「夢」のない子って怖い/殺伐とした元旦の食卓
「フツウの家族の実態調査」について
第一章
してもらえる「お客様」でいたい
上げ膳据え膳してもらうお正月/「女って辛い」主婦の本音/伝わらない御節/いまどきの嫁の気遣い
お年玉を貰う親たち/テレビに門松、ポプリのお屠蘇/お正月なんて「やめたい」
第二章
好き嫌いで変える
キッチンもトイレもクリスマス/クリスマス料理は舞台装置/やりたいことだけ「伝承」/雑煮の味も「私の好み」
「決まってること」は苦手/自分ペースで「一緒」に/無理しない、頑張らない/反転する「私」
第三章
子供中心、私中心
子供を「喜ばせたい」親たち/「子供」はツール/「お子様」は主役/子供に媚び売る親たち/「子育て優先」の実態
第四章
うるさい親にはなりたくない
「見せて」伝える伝統/語らない親たち/みんなと同じにしてあげたい
「好きにさせる」お手伝い/思い出作りしたい親たち
第五章
一緒にいられない家族たち
麦茶、牛乳のお屠蘇/バラバラが嬉しいお正月/子供の数だけツリーとケーキ/喪中より受験
みんなが触れ合う日/ハレの日だけ「家族一緒」
第六章
ノリで繋がる家族
「楽しい」ことがいちばん大事/現金摑み取りで燃える/盛り上がれば「一緒」/子供を躾けない理由/偽装する家族
第七章
普通の家族がいちばん怖い
エピローグ
現実を見ない親たち
単行本あとがき
文庫本あとがき
解説
松原隆一郎
(参考)
『普通の家族がいちばん怖い』のは「私」のせい?食卓崩壊が告げる現代家族のカタチ
普通の家族がいちばんこわい~崩壊するお正月、暴走するクリスマス~