2012-07-23

【続】ドイツ流街づくり読本。日本とドイツの都市は何故違うのか

「何が違うのか」
「何故違うのか」
「何をすべきか」
を検証し、提案する、前著『ドイツ流街づくり読本』を補完する続編です
本書の「はじめに」で著者水島信氏がこのように記しています
『単体の建築物の設計を行う場合でも、街区形成を考慮するドイツの建築家とそうではない日本の建築家との相違点。日本では一つの敷地に独立した建物を高い質で造形する能力を所有する建築家は多く存在する。しかし、逆にいえばその建物の独自性を強調することには長けているが、その敷地周辺の街区との建物との協調性を重んじるというデザインには重点が置かれていない。建物だけの写真では造形のすばらしさが伝わってくるが、現場の街並みの中でその建物を観察すると印象が全く異なるという体験は日本では度々である。デザインには周囲の調和を考えながら、しかも独自性を表現するという、又裂きのような難しい課題があり、したがって比較的おとなしいデザインの建物を設計することを課せられているドイツの建築家の立場とは大きな違いがある。その建築家の置かれた立場の違いは、一つの建物が街並みで自己主張するのか、規制の街並みに融合するのかの違いを生み、それが日本とドイツの都市が何故違うのか、原因の一つになっていると説明できる。そうであれば「日本とドイツの都市が何故違うのか」の原因を把握でき、それを解決する方法が見つかれば必然的に「何が違うか」その違いが減少するであろう。(中略)具体的には、まず都市の将来的ビジョンを明確に示さない用途地域制を土地利用(計画)図に発展させるべきである。何故なら、その下で街づくりに最大の効力を発する「Bプラン(地区詳細計画図)」が有効に機能するからである。それと同時に、各省ごとに縦割りされた都市計画事業の権限を、予算の権限も含めて一括して自治体に移行すべきである。でなければ、この制度は機能しない。何故なら、街の建設指針はその必要性を身近に感じる人たちが作成するべきであるからである。ただ、これにはそれに先駆けて解決しなければならない種々の条件がある。縦横に分断された都市政策やその政策の類型の煩雑さを「B-プラン」手法で簡潔にしたい。』
この考え方により、前著『ドイツ流街づくり読本』をより「実践的」に日本の現状の街づくりへの改善提案として纏められているのが本書・続編の『続・ドイツ流........日本とドイツの都市は何故違うのか』なのです。

(目次)

はじめに

第一章
何が違うのか
都市の纏まり
都市の定義
市街地の拡散と過密
多様性と混沌
日本とドイツの都市計画
理論と実務
土地利用
用途地域制
開発許可制度の二重性
土木主導の都市計画
隣の芝生
住民参加と専門性
街づくりの基本

第二章
何故違うのか
公共の利益と個人の権利
用途地域制の矛盾
土地利用と用途地域
田園都市の呪文
亡霊の都市計画道路
渋滞と道路網
市街地と公園
古い街並みと新しい街区
港町の新旧の街並み
古い構造の新しい街
甦った都市空間:歩行者優先路

第三章
何をすべきか
街づくりと美しい街並み
建築士から建築家への過程
確認制から許可制と許可における裁量範囲
地方自治と住民参加
土地利用基本計画とマスタープラン
交通沈静化の利点
桜と樫

第四章
建設指針計画の薦め
選択科目から必須科目へ
都市計画区域
用途地域図から土地利用図へ
都市施設
市街化開発事業と開発許可制度
地区計画から建設指針計画へ

おわりに

参考文献/参考資料/図版出典

住宅地における交通沈静化の実例
ミュンヘン、ライム地区
(左上より)遮音壁、遮音壁詳細、区域内の住宅街(以前は「抜け道」の道路であった)。
(右上より)区域に接する幹線道路、(遮音)壁裏の公園、敷地内進入路を歩行路にかえ、車交通を遮断。
住環境の改善が図られる
(同書、挿画)

(参考)

【続】ドイツ流街づくり読本 日本とドイツの都市は何故違うのか

ニューヨーク街区(マンハッタン Wikipedia)

ベルリンのメルセデス地区街区(ブレーメン Wikipedia)

ミュンヘンのリヒャルドシュトラウス道路(ミュンヘン Wikipedia)

パリのアンドレ・シトロエン公園(駅 Wikipedia)

アミアンのサン・ピエール公園(Ameba)

パリのポンピドーセンター Wikipedia

京都のタイムズ(建築マップ)

コペンハーゲンのニューハウン(Wikipedia)

ベルリンのポツダム広場(Wikipedia)

ミュンヘンのオールド・タウン

ローテンブルグ(ローテンブルク・オプ・デア・タウバー Wikipedia)

ミュンヘンのライム地区

平塚市(平塚市都市計画)


(追記)

建築家・池邊陽(いけべきよし)氏が五十年以上も前に指摘した
「住宅と都市デザインの関係性」が考えられていない日本の不可思議さについて
述べられたご本人の「コトバ」を最後に記しておきます

『日本の「古い街」の美しさ、「自然」の美しさについては、誰もが大きな親しみを持っている。ところが、今後の都市の「基調」をつくるはずのアパートといえば住宅問題の解決案として、古い都市の美しさとは「別」としか感ぜられていない。そしてその関心の無さを表すように、現在建てられているアパートは、一部を除いて実に「みにくい姿」となっている』

概念的で啓蒙的な文章ばかりで、実務的手法・方法論などの考え方が
明確に伝わってこない、などという批判もあるが
池邊陽が伝えようとしたことは
日本の住宅が美しくならないと、都市(まち)は美しくならないということ
お金をかけて「ツルピカ」にするのではなくて
質の高い「住宅」に住み、質のたかい「環境」のなかで暮らすということ
そこにすむ「人」が
「風景」や「街」に美しさを感じるようになれば、「街」の集合体「都市」も美しくなっていくということ
そこには「生活の実像」にともなった「美しさ」が重要になってくる
その地域・まちにもともとあった「街の構造(しくみ)」を関連付けて考えることが
「美しい日本の都市」をつくっていくことになるのではないか
そのひとつの取組みとしてあるのが「住宅」であり、その場所に「住む」という意味を考えることに
なるのだろうとおもいます