2012-03-04

SIGHT 2012_winter。


「原発報道を終わらせようとしている」のは、だれ?なのか
編集後記には「私たち」国民ひとりひとり、と。

発売からだいぶ遅れてのエントリーとなってしまいましたが
それだけ
読み応えのある「月刊誌」でありました
なかでも
『この両方を実現している場所が、今、この国には存在する』
という
内田樹さんと高橋源一郎さんの対談がおもしろい

山口県上関町(かみのせきちょう)祝島(いわいしま)

原発反対運動の総論対談が
「原子力産業に依存」してきた我が国の体質を浮き彫りにしているとおもいます


その概要とは.....。


ここの祝島というところは
「2000年以上前、東京がまだ原野でサルもいなかったころから文化」
があり
「近い将来、人口がゼロになる」
にもかかわらず
「民主主義の原形みたいなもの」
があってそれは
「地元に原発が作られるってことはありとあらゆる「カード」を出される」
そのカードとは、いわゆる
「お金」「雇用」
というもの
しかし、それにあまり見向きしない
「ヴィジョン」
を、この島民はもっている
だから
「お金を持ってこられても「別にいらない」って、言えるしだからこそ反対運動が30年間」
にもわたり継続的に続いていて
「現実的な政治勢力としても、有効」
になっているというのです
それは
「10億6000万円を供託」
したという歴史的現実が証明しているところでもあります
「金で動かないところ」の人間的「個性」がそこに存在しているというわけです

「原発の立地条件って、貧しいところを狙い撃ちするわけ」
でそれに対して祝島の人々は
「歴史がある、文化がある、こっちのほうが豊かなんだというプライドがある」
という心持ちの豊かさの違いが30年ものあいだ
反対運動を維持できた
という
根本の根っこのような部分になっている、のだと思うのです

「なんで、原発反対なの?原発がなかったら日本人は食えないんだよ!」
と脅されて、いったん
「クーラーとか液晶テレビとかある生活ができた人間は、もう二度とブラウン管に戻れない」
そして
「扇風機に戻れない」
だから
「原発がいるの!」
という論理であり
また
「生活水準を一回上げたら落とせない、エネルギー消費も一回上げたら絶対落とせない」
日本のエネルギー政策の根本的「思い込み」であり
「貧しくなることは絶望的」
という観念みたいなものが我が国には存在している、ということなのです

「議論をイエスかノーかにすると、強制的にその人は一色の画でしかなくなるのが、ヤバイ」

「脱原発でも100人100通りあればいい」
ということ
「自由で寛容な空間のほうが重要」

「そういうことが言いにくくなってなっているのが、一番の問題」
であると
「祝島のこと」をひいて現・ニッポンの社会構造を客観的にみています

「焼畑農業的資本主義」は開発しつくされ、なんの資源もなくなっています
そしてこれからの社会は工業から「農業」の時代へと変わっていくべきである

「末期資本論」的考察で締めくくられています


(目次)

総力特集
原発報道を終わらせようとしているのは誰だ

なぜ「当事者」以外は誰も、原発被害に対して適切な手を打たないのか、打てないのか
桜井勝延
(南相馬市長)

なぜ国は、福島を事実上見捨てているのか
山田真
(小児科医/八王子中央診療所理事長)

なぜ行政は、放射線量を測ってデータ化しないのか
山内知也
(神戸大学大学院 海事科学研究科教授)

政府・東電はなぜ、事故の原因を「地震ではなく津波」と限定するのか
田中三彦
(翻訳家/サイエンスライター)

なぜ、日本では正しいリスク管理が機能しないのか
藤原帰一
(国際政治学者/東京大学法学部・同大学院法学政治学研究科教授)

放射能は測らない、報道はしない、現実は知らせない―
行政と東電とメディアはなぜこれだけのことが起きてもかわらないのか
古賀茂明
(元経済産業省大臣官房付)

なぜ、日本のメディアは「こんな事態を経ても」正しい報道ができないのか
上杉隆
(ジャーナリスト/自由報道協会代表)

総論対談
「原発を作らせない」「沈む日本で楽しく生きる」
この両方を実現している場所が、今、この国には存在する
内田 樹  ✕  高橋源一郎
(哲学者/神戸女学院大学名誉教授/武道家・凱風館館長) ✕ (文芸評論家/作家/明治学院大学教授)
(参考)

株式会社ロッキング・オン SIGHT