どこにいても気配として感じられる「家」が
身の丈に合った普段着の住宅ということになるのでしょう
できれば
そんな住宅を
ていねいに作り続けていきたいとおもいます
(中村好文)
建築家・中村好文さんが建築学生であったころ
将来「住宅の設計」と「家具のデザイン」を
生涯の仕事として考えられていれば、いいな
そう、おもっていたそうです。そして、
気がつけば小さな設計事務所で、住宅設計と家具のデザインに明け暮れる
そんな日々が二十年ほど積み重なっていて
その間に書かれた
「作品解説・ルポルタージュ・エッセー・雑文」などが多数。
それらを「雑貨店の店先」のように並べて纏められたものが本書
『普段着の住宅術』
という本です
巻末
に
「素顔の住まいを愛する人、普段着の暮らしの好きな方に読んでいただけたら幸いです」
と
中村好文さんは書かれています
◇◇◇
そんななかで、気付きをメモ的に抜粋......。
❒窓の役割❒
住宅の窓について考えるとき、そもそも、その場所に本当に窓が必要かどうか検討することから始まり、窓の位置と大きさ、そして、その開閉方法の決定には、たっぷり時間をかけたいものである。「フェルメールの光の差し込む窓を」という注文を出した依頼者。この言葉で、窓というものは、自然光を野放しにではなく、充分に制御し、美しく変容させたうえで室内に招じ入れる、という崇高な役割を担っていたことに改めて気づかされることになった。
❒小さな家の間取り❒
この家のサイズはどうやって決めたのかと、質問されることがある。小さな家の間取りを考える上でコツがあるとすれば、その小さな家で起こりうる生活のシーンを頭の中に思い描き、自分自身がそこの住み手となり想像の中で腰を据えて暮してみることに尽きると思う。アイデアも工夫も生活上の不都合も、すべてそのシミュレーションの中に詰まっている。
❒風景の中の家❒
風景の中にどんな建物をどのように据えたらよいか、いつもながらそのことに心を砕く。目立つことよりも、なにげなく風景に溶け込むよう心がけてきた。いつもその家の前を通りかかる人が、ある日、「この家って、なんだかいいね」と、ふと呟くような、そんな家が私の理想なのである。ただの「小さな小屋」、とても建築家が設計した建物に見えないもの。
❒確かな素材❒
依頼者が在庫していた栗の板材を縁甲板に加工し、床に張ったもの。「確かな材料」と言葉で言えばひとことだが、その確かさや魅力が本当に滲みだすまでには、人の手と歳月という、ふたつの雑巾でしっかり磨き込まなければならないらしい。古びたときに美しさを増す素材に囲まれて暮らす豊かさを言葉で語り尽くすのはむずかしい。自然素材は、その効能を声高に言い立てなくとも、ただそれだけで「いいもの」であることを、頭からではなく皮膚感覚として感じるべきものだと思う。
❒堀辰雄の「大和路・信濃路」❒
それだけでも僕はよかつた。何もしないで、いま、ここにかうしているだけでも、僕はたいへん好い事をしているやうな気がした。(中略)僕はけふはもうこの位にして、此処を立ち去ろうと思ひながら、最後にちよつとだけ人間の気まぐれを許して貰ふように、圓柱の一つに近づいて手を撫でながら、その太い柱の真んなかのエンタシスの工合を自分の手のうちにしみじみと味ははうとした。僕はそのときふとその手を休めて、ぢつと一つところにそれを押しつけた。僕は異様に心が踊つた。さうやつてみていると、夕冷えのなかに、その柱だけがまだ温かい。その太い柱の深部に滲み込んだ日の暖かみがまだ消えやらずに残つているらしい。僕はそれから顔をその柱すれすれにして、それを嗅いでみた。日なたの匂いまでそこには幽(かす)かに残つていた......
❒その場所にふさわしく❒
いかに“しっくり据えるか”ということを考えるんです。ただそれは、どんな場所であっても全部目立たせないように馴染ませちゃうということではないんです。例えば、付近が無造作な町並なら、少しはその町並を、美しくできるきっかけというか、刺激になればいいなというような場合もありますから、ある程度、幅のある考え方ですね。大きくは、風土というか、風景や、その場所というものに対する敬愛の念というものが大切だという意識がありますね。
❒家具感覚❒
「まるで大きな家具のようですね」
僕の設計した住宅を見て、そういう感想をもらす人がいます。それもひとりふたりではなくてね、よくそういわれます。本人としてはそんなこと意識してやっているわけではないのに、どうしてでしょうか。結局、僕の設計には建築的に一貫したテーマや方法論らしきものがないせいでしょうね。どうみても空間を家具で作るように手づくりしているようなところがある。まず最初に身近にさわれるモノがあってそれを包む小さな空間があって、それをまた包むもう少し大きな空間があってという具合に次第に家全体ができていく。その空間のなかにいる時の触覚的な感じや生理的な快、不快を非常に大事にしながらやっています。そんなことが、やっぱりどこかに滲み出るんですかね。
◇◇◇
できれば
そんな住宅を
ていねいに作り続けていきたいとおもいます
(中村好文)
建築家・中村好文さんが建築学生であったころ
将来「住宅の設計」と「家具のデザイン」を
生涯の仕事として考えられていれば、いいな
そう、おもっていたそうです。そして、
気がつけば小さな設計事務所で、住宅設計と家具のデザインに明け暮れる
そんな日々が二十年ほど積み重なっていて
その間に書かれた
「作品解説・ルポルタージュ・エッセー・雑文」などが多数。
それらを「雑貨店の店先」のように並べて纏められたものが本書
『普段着の住宅術』
という本です
巻末
に
「素顔の住まいを愛する人、普段着の暮らしの好きな方に読んでいただけたら幸いです」
と
中村好文さんは書かれています
◇◇◇
そんななかで、気付きをメモ的に抜粋......。
❒窓の役割❒
住宅の窓について考えるとき、そもそも、その場所に本当に窓が必要かどうか検討することから始まり、窓の位置と大きさ、そして、その開閉方法の決定には、たっぷり時間をかけたいものである。「フェルメールの光の差し込む窓を」という注文を出した依頼者。この言葉で、窓というものは、自然光を野放しにではなく、充分に制御し、美しく変容させたうえで室内に招じ入れる、という崇高な役割を担っていたことに改めて気づかされることになった。
❒小さな家の間取り❒
この家のサイズはどうやって決めたのかと、質問されることがある。小さな家の間取りを考える上でコツがあるとすれば、その小さな家で起こりうる生活のシーンを頭の中に思い描き、自分自身がそこの住み手となり想像の中で腰を据えて暮してみることに尽きると思う。アイデアも工夫も生活上の不都合も、すべてそのシミュレーションの中に詰まっている。
❒風景の中の家❒
風景の中にどんな建物をどのように据えたらよいか、いつもながらそのことに心を砕く。目立つことよりも、なにげなく風景に溶け込むよう心がけてきた。いつもその家の前を通りかかる人が、ある日、「この家って、なんだかいいね」と、ふと呟くような、そんな家が私の理想なのである。ただの「小さな小屋」、とても建築家が設計した建物に見えないもの。
❒確かな素材❒
依頼者が在庫していた栗の板材を縁甲板に加工し、床に張ったもの。「確かな材料」と言葉で言えばひとことだが、その確かさや魅力が本当に滲みだすまでには、人の手と歳月という、ふたつの雑巾でしっかり磨き込まなければならないらしい。古びたときに美しさを増す素材に囲まれて暮らす豊かさを言葉で語り尽くすのはむずかしい。自然素材は、その効能を声高に言い立てなくとも、ただそれだけで「いいもの」であることを、頭からではなく皮膚感覚として感じるべきものだと思う。
❒堀辰雄の「大和路・信濃路」❒
それだけでも僕はよかつた。何もしないで、いま、ここにかうしているだけでも、僕はたいへん好い事をしているやうな気がした。(中略)僕はけふはもうこの位にして、此処を立ち去ろうと思ひながら、最後にちよつとだけ人間の気まぐれを許して貰ふように、圓柱の一つに近づいて手を撫でながら、その太い柱の真んなかのエンタシスの工合を自分の手のうちにしみじみと味ははうとした。僕はそのときふとその手を休めて、ぢつと一つところにそれを押しつけた。僕は異様に心が踊つた。さうやつてみていると、夕冷えのなかに、その柱だけがまだ温かい。その太い柱の深部に滲み込んだ日の暖かみがまだ消えやらずに残つているらしい。僕はそれから顔をその柱すれすれにして、それを嗅いでみた。日なたの匂いまでそこには幽(かす)かに残つていた......
❒その場所にふさわしく❒
いかに“しっくり据えるか”ということを考えるんです。ただそれは、どんな場所であっても全部目立たせないように馴染ませちゃうということではないんです。例えば、付近が無造作な町並なら、少しはその町並を、美しくできるきっかけというか、刺激になればいいなというような場合もありますから、ある程度、幅のある考え方ですね。大きくは、風土というか、風景や、その場所というものに対する敬愛の念というものが大切だという意識がありますね。
❒家具感覚❒
「まるで大きな家具のようですね」
僕の設計した住宅を見て、そういう感想をもらす人がいます。それもひとりふたりではなくてね、よくそういわれます。本人としてはそんなこと意識してやっているわけではないのに、どうしてでしょうか。結局、僕の設計には建築的に一貫したテーマや方法論らしきものがないせいでしょうね。どうみても空間を家具で作るように手づくりしているようなところがある。まず最初に身近にさわれるモノがあってそれを包む小さな空間があって、それをまた包むもう少し大きな空間があってという具合に次第に家全体ができていく。その空間のなかにいる時の触覚的な感じや生理的な快、不快を非常に大事にしながらやっています。そんなことが、やっぱりどこかに滲み出るんですかね。
◇◇◇
(目次)
「小屋」から「家」へ
MITANI HUT
三谷さんの家
生活の機微に対する観察力と想像力をもって.....
コルビュジエの「UNE PETITE MAISON」
NISHIHARA HAUS
製図道具の老兵たち
箱型の建築をめぐって
抽斗壁 指物から建築へ
一緒に暮らす家具たち
PINE HOUSE
旅の愉しみ
私家版住宅用語辞典
新井薬師の住宅
風土、風景、生活に寄り添うかたち
手ざわりの想像力(イマジネーション)
あとがき/初出一覧
(参考)