表紙は『エレクトリカル・ジャパン』(国立情報学研究所:北本朝展准教授)より
欧米では
「人はまず家庭にあり、その対価を得るために仕事がある」
という社会がありますが
その人々から見ると
休日も忘れて仕事に埋没している日本人のスガタは可怪しく映り、ときに
「ワーカーホリック(仕事中毒)」
などというコトバで表現されています(笑)
さて、建築雑誌6月号
では
日本の建築がいかに
「エネルギーホーリック(電力中毒)」
となっているかをみながら、あの「3・11」の教訓を活かした道筋はつけることができるのかを
検証しています
(追記120810)
建築雑誌8月号に、建築家・野沢正光氏のコメントが掲載されていましたので、収録しておきます
エネルギー生産の手段を問う
建築のその消費エネルギーとの関係を深刻に問われている。そしてそれは今号特集「前言」にあるとおり石油ショック以降ほぼ10年ほどのスパンで繰り返し言われてきたことでもある。3.11を受けて、事態はことのほか深刻である。特集が触れる供給側の緊急事態対応の問題もある。建築側、つまり、消費側の対応も問題を含む。これまで大きなエネルギー供給が暗黙に保障されより多くの消費を期待するメッセージすらあった。柳原氏が言う「すでに発電所をつくってしまったので、それほど必死にならなくてもよいというような雰囲気がここ10年くらい蔓延していた」のだ。この「発電所」とは正確には今回惨事を引き起こした「原子力発電所」のことである。供給側の緊急時の対応も重要であり、消費側の努力も欠かすことができない。ここ10年、そのための合意や技術革新は「それほど必死にならなくてもよい」という雰囲気のなかで進展するべくもなかったのではないか。今号がエネルギーに言及したこと、そして、今回の3.11が引き起こした事態が石油ショック、京都議定書に比してはるかに大きなインパクトが「必死にならなくてもいい根拠であったはずの原発の惨事」によるものであることを確認したい。エネルギー生産の手段の可否についての議論は市民レベルでのものかとも思う、特集が示す通り、われわれは建築というその消費に深くかかわる領域にいるのである。循環可能な社会をインパクトを持って目指すべきであろう。時間を伴うが復旧可能な災害である津波による直接の被災とこれとを混同してはなるまい。
(目次)
《以下、特集部分のみを掲載》
特集
エネルギーホーリック建築
特集前言
建築とエネルギーの「3.11」
第1部 エネルギー 解体新書
座談会 討論 漂流するエネルギー
電力システムの震災状況と今後の課題
「脱石油」のパラドックス―東日本大震災の教訓を踏まえて
暮らしや産業を支えていく都市ガス
世界のエネルギー情勢と建築分野でのエネルギー消費
第2部 建築はいかにエネルギー中毒に陥ったのか
座談会 オフィスビルはなぜエネルギー中毒なのか?
「運用力」でエネルギーを削減せよ
2011年夏、はたして節電はどの程度達成されたか―民政業務建築物の夏期節電実施緊急調査の結果
ゼロ・エネルギーの大都市
住宅はエネルギーに依存し過ぎているのだろうか?
福島県における仮設から復興に向けての住環境形成の実践と考察
応急仮設住宅の温熱環境と改善―アーキテクチャで生活と環境を守る
「パクス・再生エネルギア(再生エネルギー主導によるエネルギー確保と地球環境保全)」の課題
自然エネルギーによる被災地支援―復興からのエネルギーシフトをめざして
(参考)