2012-03-10

福島の原発事故をめぐって。

原子力(核のエネルギー)技術の専門家でもなく
特別にユニークなことが書かれているわけでもありませんが
物理教育のはしくれにかかわり科学史に首を突っ込んできた私が
それなりにこれまで考えてきた、そしてあらためて考えた原子力発電に反対する理由です
(本書「あとがき」より)

2011年8月25日初版の本です
あの震災から五ヶ月が経過してから世にでた本
それまで「原子力発電」に関連し、評してこられなかった
日本の科学史家でもあり教育者でもある、山本義隆氏が筆をとられたこの本
簡潔に纏められて(約100ページ単行本)はいますが
いまの「フクシマ」と「日本の原発」のありかたを考えるうえで
またとない「良書」といえるのではないでしょうか

本書を読まれて感じる部分は、人さまざまであるとおもいます
ボクが感じた「点」を以下に記録しておきます

◇◇

東京電力福島第一原発一~四号機が地震によって損傷し
津波により非常用電源が喪失し
冷却機能が失われ、核燃料のメルトダウン(溶融)と水素爆発をつぎつぎ引き起こし
多量の放射性物質が放出され、広範囲に飛散するという
大事故が発生した
それにともなって十万に近い数の人たちが
ほとんど着の身着のままの状態で生まれ育った故郷と
住み慣れた家を後にし
生活の基盤を失われ、いつ帰れるとの展望もなく
長期にわたる避難生活―難民化―を余儀なくされ
さらに多くの人たちが
被曝の恐怖のうちに生活している
子供たちに将来放射能障害が現れるのではないかという危惧は
この先何年も払拭されることはない
何世代にもわたって大切に受けつがれ営々と維持されてきた田畑は汚染され
放置されている
事故現場では、多くの作業員が劣悪な条件下で、ときには命がけにも近い
状態で、懸命に努力しているが、いまなお終息の展望が見えない。
これが「世界第二の経済力」を誇り「技術立国」を謳っていた日本の現実である


日本でも高レベル廃棄物が処理以前のものもふくめて溜まり続けているが
その最終貯蔵地を引き受ける自治体は当然ながらなく
完全に行き詰まっている
榎本聰明
という東京大学工学部原子力工学科を出て
東京電力の副社長と原子力本部長を勤めた人物の二〇〇九年の書
『原子力発電がよくわかる本』
には(次のように)書かれている
高レベル放射性廃棄物の地層処分は、地点選定に数十年、さらに処分場の建設から
閉鎖まで数十年とかなりの長期間を要する事業であるとともに、処分場閉鎖後、数万
年以上というこれまでに経験のない超長期の安全性の確保が求められます。したがっ
て、地層処分事業を円滑に実施するためには、事業の意義やそのしくみについて、各
地方自治体や国民に広く理解、協力を得る必要があり、理解活動がよりいっそう重要
となります
正気で書いているのかどうか疑わしい。「数万年以上」にわたる「超長期の安全性」を
いったい誰がどのように「確保」しうるのだろう
(中略)
世界屈指の地震大国にして有数の火山地帯で、国土には多くの活断層が縦横に走り
豊富な地下水系を有する日本国内に
数万年も安全に保管できる場所がどこにあるというのか
(中略)
ちなみに「理解活動」とはなんのことか
これまでのように、札束の力で「理解」させる「活動」のことなのだろうか


三月一一日の東日本の大震災と東北地方の大津波
福島原発の大事故は、自然にたいして人間が上位に立ったという
ガリレオベーコンデカルトの増長
そして科学技術は万能という一九世紀の幻想を打ち砕いた
今回東北地方を襲った大津波にたいしてもっとも有効な対抗手段が
ともかく高台に逃げろ
という先人の教えであったことは教訓的である
私たちは古来、人類が有していた自然にたいする畏れの感覚を
もう一度とりもどすべきであろう
自然にはまず起こることのない核分裂の連鎖反応を
人為的に出現させ、自然界にはほとんど存在しなかった
プルトニウム

ような猛毒物質を人間の手で作りだすようなことは、本来、人間の
キャパシティーを超えることであり許されるべきではないことを
思い知るべきであろう
◇◇

(目次)

はじめに

一 日本における原発開発の深層底流
一・一 原子力平和利用の虚妄
一・二 学者サイドの反応
一・三 その後のこと

二 技術と労働面から見て
二・一 原子力発電の未熟について
二・二 原子力発電の隘路
二・三 原発稼働の実態
二・四 原発の事故について
二・五 基本的な問題

三 科学技術幻想とその破綻
三・一 一六世紀文化革命
三・二 科学技術の出現
三・三 科学技術幻想の肥大化とその行く末
三・四 国家主導科学の誕生
三・五 原発ファシズム



あとがき

(参考)

山本義隆 Wikipedia

みすず書房

福島原子力発電所 Wikipedia