2012-03-09

青い閃光「東海臨界事故」の教訓。

1999年9月―原子力「安全神話」は すでに崩壊していた!

2000年中央公論新社刊単行本「青い閃光―ドキュメント東海臨界事故」

文庫化されたものです

死者2名をだしたわが国初の「臨界事故」
その原因は何だったのか?
東電は、原子力安全委員会は、政治家はどう動いたのか?

このときの事故の報道は、次のように報道されていました

【ニューヨーク・タイムズ】
隠蔽体質を持つと非難されがちな日本政府は(中略)東海村で何が起きたのかを
すみやかに情報公開しなければならない

【南ドイツ新聞】
日本の大衆は、原子力以外にエネルギー源はなく
原子力発電は環境に優しく
安全であるという政府の言葉を、その反対のできごとが示されるまでは信じる
傾向にある

12年前に発刊されているこの本
次の目次にざっと目を通してみると、現在のことをまるで書いたような
そんな錯覚さえ覚えます

(目次)

1 恐怖の青い光
出現した裸の原子炉/混乱の序章/解き放たれた暴れ竜/「住友」の末流、JCO
続いていた臨界/中性子の恐怖

2 猛威をふるう暴れ龍
村長の長い一日/原子力城下町、東海村/錯綜する対策本部
世界を駆けめぐった「臨界事故」/三一万人、屋内退避へ

3 決死の終息作戦
臨界を止めろ/決死隊突入/総力戦の被ばく治療/人影の消えた街
被ばく調査に住民殺到/解除された屋内退避

4 深刻な後遺症
犯人は一ミリ・グラムだった/燃えさかる風評被害/損害賠償の行方/衝撃を受けた原子力政策
嘘をつかれ続けた原子力事故/落日の技官王国、科技庁

5 事故の原因は何か
本格化する事故調査/事故原因/経済圧力の影で
原子力防災法の成立/ついに出た犠牲者/茨城県警、捜査に乗り出す

6 世紀末の試練を越えて
事故調査報告書まとまる/揺らぐ技術大国/問われる原子力安全委員会
世紀末の日本と原子力/原子力再生への課題

あとがき

参考書籍・資料

そして「フクシマ」は起こった―文庫版あとがきにかえて


茨城県東海村石神外宿(いしがみとじゅく)2600にある
核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起こった臨界事故

原因は
「臨界防止を考慮していない形状の沈殿槽にウラン(16.6kg)を含む溶液を入れた」
ことによるもので、有名だ
そこには会社側の「利潤追求」による「人員削減」と「工程短縮」が
あったとされています
また
「原子力事故に備えた国や地方自治体の原子力防災計画も形式的な
机上プランのまま放置されがちで、国が主導して本格的な住民の避難訓練」

行なわれていなかったようです

このときの事故でいちばん多く被ばくを被った「大内久さん」(83日後死亡)は
広島・長崎に投下された原子爆弾の爆心地から
数百メートルはなれた屋外で被曝した量(17シーベルト)
に相当する高い値であったといいます

なぜ
このようなことが繰りかえされるのでしょうか
本書ではそのことを次のように、指摘しています
『わが国の原子力開発が、その初期の段階から持っていた
「軍事利用」と「平和利用」のうち
ことさらに「平和利用」を強調し、軍事の面を覆い隠してきた体質』
があるということ
また「理念重視」に陥った科技庁、動燃は「経済性」の視点については
無頓着であるということ
原子力委員会が設置する「長期計画策定会議・第一分科会」でも
(1)文明論的視点
(2)国民の信頼の確保
(3)安全と安心の確保
(4)原子力と立地地域性との共生
など、もっともらしい内容が挙げられていますが、いかに
「原子力というものが扱いにくく事態は厳しいか」
ということがこれらの項目からもみてとれるのです

本書文庫版のあとがきにかえて『そして「フクシマ」は起こった』には
昨年の3・11からの現地の様子や、国民に対する政府内閣の動き
そして
マスコミ報道に対する警鐘など様々な視点からの考察がなされています
その文末に
この『青い閃光「東海臨界事故」の教訓』が文庫化された
本意が書かれていますので、最後にその一文をご紹介しておきます

『この本が、生命力の強い中公文庫の仲間入りを果たしたことは本当にうれしい。
チェルノブイリ原発事故について学ぼうとする人が
広島・長崎の被曝について書かれた本にたどり着くように
この「青い閃光」が福島第一原子力発電所事故を知ろうとする人たちに
読み継がれるようになればと願う』

2012年1月25日初版の本です

(参考)

株式会社 ジェー・シー・オー 東海事業所

ジェー・シー・オー Wikipedia

東海村JCO臨界事故 Wikipedia