『建築の果たす「役割」やその「力」とはなにか』
を考えたみたいと思います。
2007年10月10日初版発行の益子義弘さんの本です。
建築という行為にともなう自身の思索のなかに
どのような「感覚」と「意識」と「手法」をもってその場所(あるいは「空間」)を紡ぐのか、
折々の文章に綴られたものを「紡いで」編纂されている、
建築家・益子義弘さんの「建築原論」ともいうべき一書です。
◆
庭に伸びた木の枝を剪定しようと梯子を掛け、繁る葉陰にもぐりこんだ。枝の股に小さな固まりがある。キジバトの巣だった。そういえば番の鳩が、時々そのあたりを飛び交っていたことを思い出す。あまり巧妙とはいえない造りだけれど、その内側は動物の毛を幾重にも重ねたいかにもやわらかな凹みがある。近所に飼われている犬の抜け毛を集めたようだ。親鳥が卵を生み、ヒナが孵り、そこで育ち、巣立っていったのだろう。鳥たちは本能にインプットされた習いによって、それぞれの環境の中で最も子育てに適うその形をずっと繰り返し作りつづけてきた。いつか種が枝分かれをする遠い時までそれは変わることはないのだろう。人の住まいはそうはいかない。さまざまな人の活動を支える建築もそうだ。遥か遠く距離を持って見れば人間の棲家も建てる空間もどれも同じとも見えるのかもしれないけれど、ぼくらが知る歴史の中でそのありようは多様に変わってきた。人は先天的にでなく後天的な学習を通して、その時々や環境に適う生活の場やそれを支える空間のかたちを探す。本能を離れ、学習という手立てによって知恵と経験を受け継ぎ、時代や環境の移りに適合する場のありようを思考しそれを新たに拓いて来たともいえる。その柔軟さや機敏な対応の仕組みが人間をこの地球世界で優位に立たせた理由かもしれないし、またそうした宿命的に持つ観念性が時には自然の理に反し間違いを犯すもとにもなるのかもしれない。ぼくもそんなひとりとして、建築という専門の領域を通して、今生きる中の人の場の適合のありかを探す。それを迷い迷い考える。ずいぶんと大げさな言い方をしてしまった。でも人誰もがそんな模索を繰り返す永い時の旅人なのだろう。
◆
◇◇◇◇◇
木の落とす陰は、人のために意図されてある空間ではない。木々は自らの欲求で日を浴びて葉を繁らせ、その下に張る根を護るために深い影を宿す。木の下に身を寄せるのは、ぼくらの側の理由によるものだ。寄るな、迷惑だと、木々はそう思っているかもしれない。それでも、たとえば平原に立つ一本の大きな弧樹に、ぼくらは大いなる生命の表象や、そしてまた宿りの安心を見、そこに家の原初的なありようのイメージを重ねる。深々とした葉の覆い。それが生む肉体や心の渇きを癒す陰。それはいかにもぼくらが「家」あるいは「棲家」によせるそのかたちの原形だ。明らかな「場所」の始まりが、そんな「陰のかたち」の中にある。
◆
建築が日々の活動の利便を支え、人々の居場所の安らぎに関わるものであることは言うまでもない。でも、もう少しその存在が持つ深い意味でいえば、あるいはもしもまたさいわいならば、ひとつの建築はそれが立地する土地や一帯に潜在するもの、その場所や環境に隠れて不可視だったものを呼び覚まし、あらためてそれらを人の経験に結ぶことができるのかもしれない。たとえば野に立ち、そこに人の居場所を構想するとき、ただ裸のままで野の環境に向かうよりも、建築という存在を通して、もっと新鮮に一帯の環境を人の経験に結ぶことができるのではないか。バルザックの像との出会いは、そんな物が果たす力への予感や創作につながる視界を拓くきっかけになったように思う。
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気付くというのは人それぞれだ。普段あたりまえのようにあったことことや何気なく見えていたものが、なにかのきっかけで強く気掛かりになる。それを契機に思いを巡らす。ぼくにとっては、その谷あいの稲田の風景もそんな一つだった。
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一帯にはまだ昔からの造りの民家や、その地所の内に複数の蔵が残っていたりする。ほかでも良く見かけるように、ここでも古い家の厚い藁屋根は、今はトタンで包むようにくるまれたぼってりとした奇妙なものになってしまっている。でもあまり手間をかけられなかった古い蔵は、むしろそのままだ。それが一帯の風景を小気味よくひきしめている。
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さまざまな地層を見せる乾いた大地の隆起の中に、時には人の築いた形と見まごうものを見かけるけれど、鋭敏になった嗅覚はすぐさまそれを嗅ぎ分ける。逆に広大な広がりの中でほんのささやかなものであれ、また風化してほとんど自然に帰したものであっても、人の営為の片鱗やその痕跡は強くぼくらの目を引き寄せずにはおかない。
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ごく単純にいえば、人の活動の領域がすべて「囲む」という堅固な空間を伴ってあるということだ。住居にとどまらず、畑地もほかの施設も、周囲の荒れ地に対してそこだけ囲みを強く持ち、その明瞭な境界性が人の意思の存在範囲と自然地とをくっきりと分ける。
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深々としたものの陰。そして体や周囲の一帯から湿り気を取りはらう風のそよぎ。場所に関わるそうした心地をひとつの快適さの理由に置くとき、そこにひとつの空間的な原形がおぼろげに浮かびます。あえて説明するまでもなく、日本の住まいの昔から空間がそんな陰のかたちを原形として、さまざまな美しい細部や場のしつらいを織り上げ洗練させてきたことに思いが及びます。
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陰の持つ力、そして風の通り。なぜそこまでにと現代の私たちの感覚からすれば怪訝に思えるほどかつての日本の空間的なしつらいは空気の流れを閉ざすことを忌み嫌い、固く壁で閉じることを避けてきました。そこに内部の感覚として確かな空間が無いかといえばそうではありません。
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あの桂離宮などもその全体を見返して見ると、その空間が次々と連なりながらそれらを覆うものの個々の異なるかたちの暗示によって、場の性格が多様に織り込まれていることをはっきりと見て取ることができます。
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床面の段差がもっぱら内部にあって仕組まれる例は、もっと格式や人間関係の序列に厳しい場面に多く見られます。それはかつて強い意味を持って背後に有効に働いた時代の状態を外しても、場所を形作るひとつの方法として今も私たちの感覚に働きかけるものがあるように思います。少し付け加えれば、これらのささやかな段差が心理的な力を発揮するのは床座の低い目線や上足のナイーブな感覚がもとになっていることは明らかでしょう。
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そこにある場所のかたちはただ物理的な空間の性質としてあるのではなく、その背景にある見えない約束事を共有することと共にあるといってよいでしょう。そのような話をここに記した目的はもちろんそうした古来からの知恵や方法に即回帰しようということではなくて、間取ることが空間を区分することと同時に、その区分の仕方にさまざまな人や場所の相互の関係があることを見据えたいと思うからです。もしも場所に関する約束事がその背景としてしっかりある場合は、かすかなそのことの印もそれらの空間や場所を人の居場所として支える強い力を持つでしょうし、ひとつの住居を考える場合においても、家庭や家族の中のそうした約束事の有無によってはずいぶんとその空間のかたちは違ってきます。
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その二つ(「イラン」と「ペルー」)の場所のまったく違う経験をつなぐものは何だろうとあれこれと思いをめぐらせている中で、ふと「トーソー」という言葉が思い浮かぶ。その「トーソー」は、「闘争」と「逃走」。やや言葉の遊びに近いかもしれないのだが、一方は「闘い守る」こと。もう一方はひたすらに相手との距離を取り「逃げる」こと。それはプロテクション(防衛)ということにおいての、一方は「正のかたち」を、そしてもう一方は「負のかたち」をあらわすものでもあるのだろう。そこに二つの対比的な場のありようを分け、またつなぐものがある。
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建築が堅い大地に建つこと。それゆえにある種の安定の表象として、人たちの心の中にも確かな核としても存在してきたことからすれば、それはそうした存在からはあまりにも遠く外れている。たとえば移動する軽い住居の代表例としてはモンゴル草原の遊牧民の家・ゲルもあるけれど、それとて環境は恵み多い確かな不動の大地だ。さらに加えて、その草の家のつくりは、その時の短期間の体験においていえば、夜の気温が零下にまで降下する厳しい気候に対して、ほとんど無力で無防備なものだった。
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ぼくらは建築が人の場に果たす確かなかたち、そのありようをいつも探す。そのことについて言えば、イラン高原の乾いた砂漠に建つ住居の例は比較的わかりやすい。堅牢な物が築くその空間の骨格の強さが、人の場所の確かさと力を自ずと示してもいるからだ。一方、チチカカ湖の水上に浮かぶ島の集落とその家々は、およそ物としての強さを持たない。草の小屋は軽く非力で、外からの力にもまた時の長い経過にも耐えられるものではない。でも、その姿そのままに島の集落も棲家のかたちも、長く引き継がれて数百年という時を経て来ている。もちろんその大きな理由は、他に行くべき場所や住処がなかったという外囲的な事情によるとしても、やはりそこには人を引き寄せる何らかの強い力があるはずだ。その二つのまことに対比的な存在は、ぼくらに人が住む場や空間の強度とは何かを考えさせる。
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住まいの空間や場所の組み立てについてその初期のプランをスケッチしている時、いつもどこかに抜けを持つことをごく自然に考えている。他にわずらわされることのないしっかりと囲まれた場所やそんな空間の持つ確かさに心ひかれながらも、それを完璧に閉じ切ることには生理的に避ける気持ちがはたらいて、その構成の中ではいつの間にかどこかで空間的な抜けの道を探している。
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かつての日本のすまいの開放性を支えていたのは、内と外との境をなす深い軒や広縁だった。この外周を取り巻くあいまいな空間が、家の造作の上ではか弱い障子や薄い板戸を守り、またそうした覆いのもとに明確な用途では呼べない生活の多様な場面や場所の魅力を生んできた。少し大げさに言えば、生活の空間文化の魅力ある多くがこの深い軒下やその周辺にあったといってもよいかもしれない。ガラスがそれを消した。と言うのはやや極単な断定としても、透明な優れたその素材が、視覚的には開放的な空間との類似性をたやすく引き継がせる中で、風雨から守る深い庇やその軒下や縁を機能的には不要とした。環境的な土地の狭小化や家々の混みあいが、あいまいで場所の権利を明確には持たないそうした空間を削らせてゆくという事情もあるだろう。弾力性のある内と外の中間領域がガラス一枚の中に吸収された感もある。
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住まいと風のかかわりをその構成の上で考えようとするとき、その置かれた環境によって判断の仕方がさまざまに変わるのはいうまでもない。恵まれた敷地や十分な戸外の広がりをその周囲に持つ場合と高密度な市街地のごく限られた空間や環境の中とではその対処に仕方はどうあれ違う。工夫が必要なのは後者の場合だし、またそれが今あある一般的な住まいの状況だ。そのような場合に見定めようとする自然の風の向きは、それぞれの場所によって意外に大きな違いがある。だからはじめての土地などでそれを的確に読み取るのはなかなか難しいことではあるけれど、そんな固有さを受けとめることが土地や場所ごとの住まいの個性を生むことを考えれば、それをもとにして住居の骨格を解くことも興味深いことである。
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かつての住まいには実にたくさんの隙間があった。自然材の暴れや建具の狂いを通して否応なく内外の空気が通い、またそうでなくしてもそうした素材自身が絶えず呼吸もした。それが家を腐りから守り長持ちさせた原因でもあったろう。これに対して、現代の住まいの造りに求められているひとつは高い気密性だ。日々の活動の適度な快適さとのバランスにおいて、そのためのエネルギーの消費をおさえることは現代の大きな課題だ。ただ、この高気密性をそのことに絞って追うあまり住まいが次第に閉鎖性を強め、その挙句にこうした処置をただ機械的な装備や操作に頼るというのでは話は主客転倒してしまう。冗談ではなく、国の建築基準法も、住まいのエネルギーの省資源化という大儀のもとにではあれ、閉じの強い住まいを前提にした機械換気の義務付けなどを、ばかばかしくも全国一律に定めたりしてもいる。風は内外の関わりを考えるきっかけとしてのひとつの例である。家々が孤立した存在でなく界隈に所属し周辺と共にあるという中で、またこの固有な気候性の中で、内外の自然な関わりを持つ住まいのありようを探したい。
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ライズリー邸やパーマー邸に見届けるもののひとつは、空間の内懐の深さが住まいの安心の感覚にとっていかに大切かということ。それは必ずしも空間の絶対量の大きさでや奥深さによるものではなくて、人の居場所の的確な重心のありかと空間的なプロポーションの自在な判断によって、これが得られるもののようだった。このどちらの住宅にもその中心にしっかりとした石組みの暖炉があって、それが生活と構造的な双方の骨格の核となっている。
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生活を拘束しない住居。住み手の自由を拡張するもの。言葉の上でそれは大きな魅惑を持っている。それを建築や住空間という実体に重ねて考える時、そのひとつのありようはこれを極力無色、無限定な場として仕組むことかも知れない。でもそれもまだ言葉の上だけでの話で、実際にそのような純粋無垢な空間は現実にはあり得ない。そしてこの種の応答のくりかえしは、空間への目線を次第に抽象的な地平に向かわせもし、主体であるはずの人の存在の極めて希薄な場を形作らせかねない。ライトの拓いた住宅作のいくつかに触れて、あらためて感じるのは、生活の実際に肉薄しこれを秩序ある感覚を持つ空間に昇華することにおいて果たしたこの建築家の大きさであり、そのことによってなお艶やかに生き続ける生活のありようについてだった。それを支えているのが人の居場所の豊かな骨格性であり、その骨格を具現化する上で、柔軟なディテールの存在があることだった。
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「場所を置く」あるいは「確かな場所を個々に刻む」...。建築の構成や構築の確かさもさることながら、そのことをこの(フィリップ・エクセター・アカデミー)図書館を巡って最も強く印象を深く感じとる。そのことは、しばらく以前から建築を考えるこちらの意識の底にずっとあって、だからそれを映すようにこの建築を見、心魅かれるのかも知れない。
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作品と空間の形質に共通して感じ取るのは、やわらかな幾何学に秩序づけられた居場所の確かな感覚のように思う。言葉の説明ではむずかしいその充足の感覚は、それこそが建築が人たちに果たす究極の命題なのだろう。時々は建築やその空間を訪ねながら、もう一度そこに戻り身を置きたいと思うような場所との出会いは少ない。そんな身に溜めた実感が、やがてそれぞれの取り組みの中に発芽するかもしれない。
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北の国の低い角度から射す陽光が、建築という空間の操作を通してその場所に居るぼくらをやわらかく包む。陽光は、丈の低い側廊の床を照らし、跳ね返って、明褐色の丈の高い砂壁の空間を満たす。その頂部の、幾何学には乗らないカーブを描く天井の形が、光を映して人を包みこむ。
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建築は個人の創意によってのみよく造られるものではなく、その時代の持つ力によって創られるとはかねてからよく言われることである。でもそれは、個人の構想の持つ力を低位に置くということではなくて、その社会や時代の空気が透徹した個人の目線やイマジネーションを通してひとつの統一を得、それが現実の場所や空間のかたちに昇華されるところに建築の世界があるということなのだろう。
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チャールズ・ムーアやドンリン・リンドンほかのMLTWチームが設計したジョブソン邸は、その平面を見る限りにおいてはまことに空疎な取り留めない空間であるかのように見える。しかし、生活の内側やその内圧から風船を膨らませたような印象をもつその平面図(ひとつの思考)は、結局そうした場へのまなざしの中から生まれてきたものであったのであろう。一体の空間の中で、人と人との適度な距離や関係を、そして、人を寄せる場としての魅力をいくらかのアルコーブに刻むことで、その全体の家としての骨格が生み出されたものなのであろう。
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吉村順三先生のお墓は生前その地をこよなく愛された軽井沢の一角にある。旧軽のふもとの墓地に据えられたお魚マークの彫られた墓石に向かうと、その正面に遠く浅間山が見える。浅間山は今も時折り鳴動し、空高く噴煙を吹き上げる。そんな浅間山の姿が、吉村順三という存在に向けた想像の芯に重なる。その山の姿はなだらかでやさしく、そして内に熱く激しい力を秘めている。
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雑談に似た講義の中で、先生は建築は見る対象としてあるものよりも、そこで人々がさまざまな「時を過ごすもの」であることを熱心に語られた。建築の「見学」が往々にして際立つ部分の記憶にとどまり、ただ心騒がしく終わってしまうという経験はよくあることである。「時間」の欠けたそうした経験は、どうしても印象が物の構成の側に偏るのは仕方がないことだけれど、そのように建築が理解されることの間違いを先生は諭されたのかもしれない。
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一般に吉村順三の建築への取組みは、人々の日々の生活に向けられた温かな目線やそれを具体的化する上での透徹した合理の姿勢において語られ評価されもする。記録された平易な言葉の数々も多くはそのことによっている。
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吉村順三の仕事とその創作の性質を見る時、人々の日々の日常の具体性に焦点を当てたその取り組みは、そこにこそ人々の生の喜びを支える大切な地平があることに対しての強い確信に裏付けされたものであったろうし、「デグニティ」というひとつの言葉をきっかけにして、そのことの芯がいくらか解るような気がしたという言い方は、そんな想像を基にしてのことなのである。
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おおらかな遠くの風景と人の結び。陽の運びと共にある場所の明暗や陰影。山を駆下る北の烈風や寒気からの守り。気持ちをほどく木々の細部、一枚の葉。一人の場所、二人の場所、大勢の集まり。そして、日々織り成される場所の多様。
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ぼくらはぼくらの現実から思考し、自分たちの生活の根や自然に照らして建築のありかを探せばよいこと。それが大きな世界にもつながるのかもしれないというかすかな予感といくらかの期待。共に都心育ちの、それなりに雑漠とした街に執着もあるぼくらが、まことに人気の乏しい雑木林の一角に居を定めるには、土地とのいくらかの縁とそんな理由が後押しもした。
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資力があるわけではないから、大きな木は植えられない。凍てる冬も夏の日照りもただ耐えて、そんな木々の自然な育ちをひたすら待った。やがてエゴやシデの幼木が草を越え背丈を伸ばして、少しずつ陰を広げて行く。
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自生の木々の強さなのだろう。実生から芽生えたエゴやシデ類が大樹に育って土地を覆う。強い日照りに慌てて植えた細いケヤキも、いつのまにか腕を廻しても両手の先が届かない太さになった。乾いていた土地に湿り気も増す。
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それぞれの小さな家も、時と共にいくらかの増築や手入れが必要になる。子供たちが成長するにつれて共通の庭の役割も少し薄くなった。立体的なワンルームのような最初の家は、そのもとの骨格を中心に空間を膨らませ、二番目の家は共通の庭を割って場所を広げる。もともと良材を使えたわけではない木細の家も、雨ざらしの個所を除けば意外に傷みは少ない。やはり水を切る軒や庇が大事なこと、木の材も呼吸ができることが大事なのだとあらためて思う。家はその空間の物の組み立てが支えると同時に、住むことの内圧や日々の息吹が支えているのだろう。
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この土地の安定期に入ったかに見える木々たちがもう静かかといえば、そうでもない。木々は残るわずかな陽射しの空間を一時でも早く占拠しようとして枝をのばし、勝つ木、負けん気の木、負けてしまう木、まあ、日々見るその細部はまことに騒がしい。こちらはそんな木々の争いを裁きなだめつつ、今は住まいの都合で枝をバサバサ切り落としている。野生との付き合いは、やはりそう生易しくはないようだ。
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建築の果たす役割やその力はなんだろうと、さまざまな現実の事象との出会いや創作の時々で考える。建築はその依頼者があって創作が成立するものだから、とりあえずはその都度の要請や期待に沿って答えに値する物や空間の存在に想像をめぐらす。また、一方、そのような具体的で個別の機会をきっかけとして、その底にある人に共通した建築の意味や力を探りたいと思う。ぼくらが少しばかり飛翔できるのは、そんな地平と想像に向かう時だ。
◇◇◇◇◇
を考えたみたいと思います。
2007年10月10日初版発行の益子義弘さんの本です。
建築という行為にともなう自身の思索のなかに
どのような「感覚」と「意識」と「手法」をもってその場所(あるいは「空間」)を紡ぐのか、
折々の文章に綴られたものを「紡いで」編纂されている、
建築家・益子義弘さんの「建築原論」ともいうべき一書です。
◆
庭に伸びた木の枝を剪定しようと梯子を掛け、繁る葉陰にもぐりこんだ。枝の股に小さな固まりがある。キジバトの巣だった。そういえば番の鳩が、時々そのあたりを飛び交っていたことを思い出す。あまり巧妙とはいえない造りだけれど、その内側は動物の毛を幾重にも重ねたいかにもやわらかな凹みがある。近所に飼われている犬の抜け毛を集めたようだ。親鳥が卵を生み、ヒナが孵り、そこで育ち、巣立っていったのだろう。鳥たちは本能にインプットされた習いによって、それぞれの環境の中で最も子育てに適うその形をずっと繰り返し作りつづけてきた。いつか種が枝分かれをする遠い時までそれは変わることはないのだろう。人の住まいはそうはいかない。さまざまな人の活動を支える建築もそうだ。遥か遠く距離を持って見れば人間の棲家も建てる空間もどれも同じとも見えるのかもしれないけれど、ぼくらが知る歴史の中でそのありようは多様に変わってきた。人は先天的にでなく後天的な学習を通して、その時々や環境に適う生活の場やそれを支える空間のかたちを探す。本能を離れ、学習という手立てによって知恵と経験を受け継ぎ、時代や環境の移りに適合する場のありようを思考しそれを新たに拓いて来たともいえる。その柔軟さや機敏な対応の仕組みが人間をこの地球世界で優位に立たせた理由かもしれないし、またそうした宿命的に持つ観念性が時には自然の理に反し間違いを犯すもとにもなるのかもしれない。ぼくもそんなひとりとして、建築という専門の領域を通して、今生きる中の人の場の適合のありかを探す。それを迷い迷い考える。ずいぶんと大げさな言い方をしてしまった。でも人誰もがそんな模索を繰り返す永い時の旅人なのだろう。
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◇◇◇◇◇
木の落とす陰は、人のために意図されてある空間ではない。木々は自らの欲求で日を浴びて葉を繁らせ、その下に張る根を護るために深い影を宿す。木の下に身を寄せるのは、ぼくらの側の理由によるものだ。寄るな、迷惑だと、木々はそう思っているかもしれない。それでも、たとえば平原に立つ一本の大きな弧樹に、ぼくらは大いなる生命の表象や、そしてまた宿りの安心を見、そこに家の原初的なありようのイメージを重ねる。深々とした葉の覆い。それが生む肉体や心の渇きを癒す陰。それはいかにもぼくらが「家」あるいは「棲家」によせるそのかたちの原形だ。明らかな「場所」の始まりが、そんな「陰のかたち」の中にある。
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建築が日々の活動の利便を支え、人々の居場所の安らぎに関わるものであることは言うまでもない。でも、もう少しその存在が持つ深い意味でいえば、あるいはもしもまたさいわいならば、ひとつの建築はそれが立地する土地や一帯に潜在するもの、その場所や環境に隠れて不可視だったものを呼び覚まし、あらためてそれらを人の経験に結ぶことができるのかもしれない。たとえば野に立ち、そこに人の居場所を構想するとき、ただ裸のままで野の環境に向かうよりも、建築という存在を通して、もっと新鮮に一帯の環境を人の経験に結ぶことができるのではないか。バルザックの像との出会いは、そんな物が果たす力への予感や創作につながる視界を拓くきっかけになったように思う。
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気付くというのは人それぞれだ。普段あたりまえのようにあったことことや何気なく見えていたものが、なにかのきっかけで強く気掛かりになる。それを契機に思いを巡らす。ぼくにとっては、その谷あいの稲田の風景もそんな一つだった。
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一帯にはまだ昔からの造りの民家や、その地所の内に複数の蔵が残っていたりする。ほかでも良く見かけるように、ここでも古い家の厚い藁屋根は、今はトタンで包むようにくるまれたぼってりとした奇妙なものになってしまっている。でもあまり手間をかけられなかった古い蔵は、むしろそのままだ。それが一帯の風景を小気味よくひきしめている。
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さまざまな地層を見せる乾いた大地の隆起の中に、時には人の築いた形と見まごうものを見かけるけれど、鋭敏になった嗅覚はすぐさまそれを嗅ぎ分ける。逆に広大な広がりの中でほんのささやかなものであれ、また風化してほとんど自然に帰したものであっても、人の営為の片鱗やその痕跡は強くぼくらの目を引き寄せずにはおかない。
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ごく単純にいえば、人の活動の領域がすべて「囲む」という堅固な空間を伴ってあるということだ。住居にとどまらず、畑地もほかの施設も、周囲の荒れ地に対してそこだけ囲みを強く持ち、その明瞭な境界性が人の意思の存在範囲と自然地とをくっきりと分ける。
◆
深々としたものの陰。そして体や周囲の一帯から湿り気を取りはらう風のそよぎ。場所に関わるそうした心地をひとつの快適さの理由に置くとき、そこにひとつの空間的な原形がおぼろげに浮かびます。あえて説明するまでもなく、日本の住まいの昔から空間がそんな陰のかたちを原形として、さまざまな美しい細部や場のしつらいを織り上げ洗練させてきたことに思いが及びます。
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陰の持つ力、そして風の通り。なぜそこまでにと現代の私たちの感覚からすれば怪訝に思えるほどかつての日本の空間的なしつらいは空気の流れを閉ざすことを忌み嫌い、固く壁で閉じることを避けてきました。そこに内部の感覚として確かな空間が無いかといえばそうではありません。
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あの桂離宮などもその全体を見返して見ると、その空間が次々と連なりながらそれらを覆うものの個々の異なるかたちの暗示によって、場の性格が多様に織り込まれていることをはっきりと見て取ることができます。
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床面の段差がもっぱら内部にあって仕組まれる例は、もっと格式や人間関係の序列に厳しい場面に多く見られます。それはかつて強い意味を持って背後に有効に働いた時代の状態を外しても、場所を形作るひとつの方法として今も私たちの感覚に働きかけるものがあるように思います。少し付け加えれば、これらのささやかな段差が心理的な力を発揮するのは床座の低い目線や上足のナイーブな感覚がもとになっていることは明らかでしょう。
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そこにある場所のかたちはただ物理的な空間の性質としてあるのではなく、その背景にある見えない約束事を共有することと共にあるといってよいでしょう。そのような話をここに記した目的はもちろんそうした古来からの知恵や方法に即回帰しようということではなくて、間取ることが空間を区分することと同時に、その区分の仕方にさまざまな人や場所の相互の関係があることを見据えたいと思うからです。もしも場所に関する約束事がその背景としてしっかりある場合は、かすかなそのことの印もそれらの空間や場所を人の居場所として支える強い力を持つでしょうし、ひとつの住居を考える場合においても、家庭や家族の中のそうした約束事の有無によってはずいぶんとその空間のかたちは違ってきます。
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その二つ(「イラン」と「ペルー」)の場所のまったく違う経験をつなぐものは何だろうとあれこれと思いをめぐらせている中で、ふと「トーソー」という言葉が思い浮かぶ。その「トーソー」は、「闘争」と「逃走」。やや言葉の遊びに近いかもしれないのだが、一方は「闘い守る」こと。もう一方はひたすらに相手との距離を取り「逃げる」こと。それはプロテクション(防衛)ということにおいての、一方は「正のかたち」を、そしてもう一方は「負のかたち」をあらわすものでもあるのだろう。そこに二つの対比的な場のありようを分け、またつなぐものがある。
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建築が堅い大地に建つこと。それゆえにある種の安定の表象として、人たちの心の中にも確かな核としても存在してきたことからすれば、それはそうした存在からはあまりにも遠く外れている。たとえば移動する軽い住居の代表例としてはモンゴル草原の遊牧民の家・ゲルもあるけれど、それとて環境は恵み多い確かな不動の大地だ。さらに加えて、その草の家のつくりは、その時の短期間の体験においていえば、夜の気温が零下にまで降下する厳しい気候に対して、ほとんど無力で無防備なものだった。
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ぼくらは建築が人の場に果たす確かなかたち、そのありようをいつも探す。そのことについて言えば、イラン高原の乾いた砂漠に建つ住居の例は比較的わかりやすい。堅牢な物が築くその空間の骨格の強さが、人の場所の確かさと力を自ずと示してもいるからだ。一方、チチカカ湖の水上に浮かぶ島の集落とその家々は、およそ物としての強さを持たない。草の小屋は軽く非力で、外からの力にもまた時の長い経過にも耐えられるものではない。でも、その姿そのままに島の集落も棲家のかたちも、長く引き継がれて数百年という時を経て来ている。もちろんその大きな理由は、他に行くべき場所や住処がなかったという外囲的な事情によるとしても、やはりそこには人を引き寄せる何らかの強い力があるはずだ。その二つのまことに対比的な存在は、ぼくらに人が住む場や空間の強度とは何かを考えさせる。
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住まいの空間や場所の組み立てについてその初期のプランをスケッチしている時、いつもどこかに抜けを持つことをごく自然に考えている。他にわずらわされることのないしっかりと囲まれた場所やそんな空間の持つ確かさに心ひかれながらも、それを完璧に閉じ切ることには生理的に避ける気持ちがはたらいて、その構成の中ではいつの間にかどこかで空間的な抜けの道を探している。
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かつての日本のすまいの開放性を支えていたのは、内と外との境をなす深い軒や広縁だった。この外周を取り巻くあいまいな空間が、家の造作の上ではか弱い障子や薄い板戸を守り、またそうした覆いのもとに明確な用途では呼べない生活の多様な場面や場所の魅力を生んできた。少し大げさに言えば、生活の空間文化の魅力ある多くがこの深い軒下やその周辺にあったといってもよいかもしれない。ガラスがそれを消した。と言うのはやや極単な断定としても、透明な優れたその素材が、視覚的には開放的な空間との類似性をたやすく引き継がせる中で、風雨から守る深い庇やその軒下や縁を機能的には不要とした。環境的な土地の狭小化や家々の混みあいが、あいまいで場所の権利を明確には持たないそうした空間を削らせてゆくという事情もあるだろう。弾力性のある内と外の中間領域がガラス一枚の中に吸収された感もある。
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住まいと風のかかわりをその構成の上で考えようとするとき、その置かれた環境によって判断の仕方がさまざまに変わるのはいうまでもない。恵まれた敷地や十分な戸外の広がりをその周囲に持つ場合と高密度な市街地のごく限られた空間や環境の中とではその対処に仕方はどうあれ違う。工夫が必要なのは後者の場合だし、またそれが今あある一般的な住まいの状況だ。そのような場合に見定めようとする自然の風の向きは、それぞれの場所によって意外に大きな違いがある。だからはじめての土地などでそれを的確に読み取るのはなかなか難しいことではあるけれど、そんな固有さを受けとめることが土地や場所ごとの住まいの個性を生むことを考えれば、それをもとにして住居の骨格を解くことも興味深いことである。
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かつての住まいには実にたくさんの隙間があった。自然材の暴れや建具の狂いを通して否応なく内外の空気が通い、またそうでなくしてもそうした素材自身が絶えず呼吸もした。それが家を腐りから守り長持ちさせた原因でもあったろう。これに対して、現代の住まいの造りに求められているひとつは高い気密性だ。日々の活動の適度な快適さとのバランスにおいて、そのためのエネルギーの消費をおさえることは現代の大きな課題だ。ただ、この高気密性をそのことに絞って追うあまり住まいが次第に閉鎖性を強め、その挙句にこうした処置をただ機械的な装備や操作に頼るというのでは話は主客転倒してしまう。冗談ではなく、国の建築基準法も、住まいのエネルギーの省資源化という大儀のもとにではあれ、閉じの強い住まいを前提にした機械換気の義務付けなどを、ばかばかしくも全国一律に定めたりしてもいる。風は内外の関わりを考えるきっかけとしてのひとつの例である。家々が孤立した存在でなく界隈に所属し周辺と共にあるという中で、またこの固有な気候性の中で、内外の自然な関わりを持つ住まいのありようを探したい。
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ライズリー邸やパーマー邸に見届けるもののひとつは、空間の内懐の深さが住まいの安心の感覚にとっていかに大切かということ。それは必ずしも空間の絶対量の大きさでや奥深さによるものではなくて、人の居場所の的確な重心のありかと空間的なプロポーションの自在な判断によって、これが得られるもののようだった。このどちらの住宅にもその中心にしっかりとした石組みの暖炉があって、それが生活と構造的な双方の骨格の核となっている。
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生活を拘束しない住居。住み手の自由を拡張するもの。言葉の上でそれは大きな魅惑を持っている。それを建築や住空間という実体に重ねて考える時、そのひとつのありようはこれを極力無色、無限定な場として仕組むことかも知れない。でもそれもまだ言葉の上だけでの話で、実際にそのような純粋無垢な空間は現実にはあり得ない。そしてこの種の応答のくりかえしは、空間への目線を次第に抽象的な地平に向かわせもし、主体であるはずの人の存在の極めて希薄な場を形作らせかねない。ライトの拓いた住宅作のいくつかに触れて、あらためて感じるのは、生活の実際に肉薄しこれを秩序ある感覚を持つ空間に昇華することにおいて果たしたこの建築家の大きさであり、そのことによってなお艶やかに生き続ける生活のありようについてだった。それを支えているのが人の居場所の豊かな骨格性であり、その骨格を具現化する上で、柔軟なディテールの存在があることだった。
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「場所を置く」あるいは「確かな場所を個々に刻む」...。建築の構成や構築の確かさもさることながら、そのことをこの(フィリップ・エクセター・アカデミー)図書館を巡って最も強く印象を深く感じとる。そのことは、しばらく以前から建築を考えるこちらの意識の底にずっとあって、だからそれを映すようにこの建築を見、心魅かれるのかも知れない。
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作品と空間の形質に共通して感じ取るのは、やわらかな幾何学に秩序づけられた居場所の確かな感覚のように思う。言葉の説明ではむずかしいその充足の感覚は、それこそが建築が人たちに果たす究極の命題なのだろう。時々は建築やその空間を訪ねながら、もう一度そこに戻り身を置きたいと思うような場所との出会いは少ない。そんな身に溜めた実感が、やがてそれぞれの取り組みの中に発芽するかもしれない。
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北の国の低い角度から射す陽光が、建築という空間の操作を通してその場所に居るぼくらをやわらかく包む。陽光は、丈の低い側廊の床を照らし、跳ね返って、明褐色の丈の高い砂壁の空間を満たす。その頂部の、幾何学には乗らないカーブを描く天井の形が、光を映して人を包みこむ。
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建築は個人の創意によってのみよく造られるものではなく、その時代の持つ力によって創られるとはかねてからよく言われることである。でもそれは、個人の構想の持つ力を低位に置くということではなくて、その社会や時代の空気が透徹した個人の目線やイマジネーションを通してひとつの統一を得、それが現実の場所や空間のかたちに昇華されるところに建築の世界があるということなのだろう。
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チャールズ・ムーアやドンリン・リンドンほかのMLTWチームが設計したジョブソン邸は、その平面を見る限りにおいてはまことに空疎な取り留めない空間であるかのように見える。しかし、生活の内側やその内圧から風船を膨らませたような印象をもつその平面図(ひとつの思考)は、結局そうした場へのまなざしの中から生まれてきたものであったのであろう。一体の空間の中で、人と人との適度な距離や関係を、そして、人を寄せる場としての魅力をいくらかのアルコーブに刻むことで、その全体の家としての骨格が生み出されたものなのであろう。
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吉村順三先生のお墓は生前その地をこよなく愛された軽井沢の一角にある。旧軽のふもとの墓地に据えられたお魚マークの彫られた墓石に向かうと、その正面に遠く浅間山が見える。浅間山は今も時折り鳴動し、空高く噴煙を吹き上げる。そんな浅間山の姿が、吉村順三という存在に向けた想像の芯に重なる。その山の姿はなだらかでやさしく、そして内に熱く激しい力を秘めている。
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雑談に似た講義の中で、先生は建築は見る対象としてあるものよりも、そこで人々がさまざまな「時を過ごすもの」であることを熱心に語られた。建築の「見学」が往々にして際立つ部分の記憶にとどまり、ただ心騒がしく終わってしまうという経験はよくあることである。「時間」の欠けたそうした経験は、どうしても印象が物の構成の側に偏るのは仕方がないことだけれど、そのように建築が理解されることの間違いを先生は諭されたのかもしれない。
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一般に吉村順三の建築への取組みは、人々の日々の生活に向けられた温かな目線やそれを具体的化する上での透徹した合理の姿勢において語られ評価されもする。記録された平易な言葉の数々も多くはそのことによっている。
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吉村順三の仕事とその創作の性質を見る時、人々の日々の日常の具体性に焦点を当てたその取り組みは、そこにこそ人々の生の喜びを支える大切な地平があることに対しての強い確信に裏付けされたものであったろうし、「デグニティ」というひとつの言葉をきっかけにして、そのことの芯がいくらか解るような気がしたという言い方は、そんな想像を基にしてのことなのである。
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おおらかな遠くの風景と人の結び。陽の運びと共にある場所の明暗や陰影。山を駆下る北の烈風や寒気からの守り。気持ちをほどく木々の細部、一枚の葉。一人の場所、二人の場所、大勢の集まり。そして、日々織り成される場所の多様。
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ぼくらはぼくらの現実から思考し、自分たちの生活の根や自然に照らして建築のありかを探せばよいこと。それが大きな世界にもつながるのかもしれないというかすかな予感といくらかの期待。共に都心育ちの、それなりに雑漠とした街に執着もあるぼくらが、まことに人気の乏しい雑木林の一角に居を定めるには、土地とのいくらかの縁とそんな理由が後押しもした。
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資力があるわけではないから、大きな木は植えられない。凍てる冬も夏の日照りもただ耐えて、そんな木々の自然な育ちをひたすら待った。やがてエゴやシデの幼木が草を越え背丈を伸ばして、少しずつ陰を広げて行く。
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自生の木々の強さなのだろう。実生から芽生えたエゴやシデ類が大樹に育って土地を覆う。強い日照りに慌てて植えた細いケヤキも、いつのまにか腕を廻しても両手の先が届かない太さになった。乾いていた土地に湿り気も増す。
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それぞれの小さな家も、時と共にいくらかの増築や手入れが必要になる。子供たちが成長するにつれて共通の庭の役割も少し薄くなった。立体的なワンルームのような最初の家は、そのもとの骨格を中心に空間を膨らませ、二番目の家は共通の庭を割って場所を広げる。もともと良材を使えたわけではない木細の家も、雨ざらしの個所を除けば意外に傷みは少ない。やはり水を切る軒や庇が大事なこと、木の材も呼吸ができることが大事なのだとあらためて思う。家はその空間の物の組み立てが支えると同時に、住むことの内圧や日々の息吹が支えているのだろう。
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この土地の安定期に入ったかに見える木々たちがもう静かかといえば、そうでもない。木々は残るわずかな陽射しの空間を一時でも早く占拠しようとして枝をのばし、勝つ木、負けん気の木、負けてしまう木、まあ、日々見るその細部はまことに騒がしい。こちらはそんな木々の争いを裁きなだめつつ、今は住まいの都合で枝をバサバサ切り落としている。野生との付き合いは、やはりそう生易しくはないようだ。
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建築の果たす役割やその力はなんだろうと、さまざまな現実の事象との出会いや創作の時々で考える。建築はその依頼者があって創作が成立するものだから、とりあえずはその都度の要請や期待に沿って答えに値する物や空間の存在に想像をめぐらす。また、一方、そのような具体的で個別の機会をきっかけとして、その底にある人に共通した建築の意味や力を探りたいと思う。ぼくらが少しばかり飛翔できるのは、そんな地平と想像に向かう時だ。
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(目次)
まえがき
1 場所の素景-風景との出会い
・木陰の力
・バルザックの像が拓いた視界
・山寺/地の形と人の意思の刻み
・影の所在/ひと叢の杉の森と鳥居
・自然の連続性と知の文節性
・知の痕跡・やわらかな幾何学
・強い囲み/イランへの旅
・仮像の島
2 場所の生成-空間の区分
・空間のやわらかな区分
陰の力・空間の濃度と場所の暗示・覆いの暗示・床の暗示・距離の演出・場所の関係
・空間と場の区分の二つのかたち/強固な壁と遠い距離
プロテクションの優位・プロテクションのかたち・場の遮断性・空間と場の強度ということ
・空間の二つの透明性
ガラスと空気、二つの透明さの間・内と外の境の意識、境のデザイン・風の復権、空気のデザイン
3 場所の骨格-構築された場所
・居場所の骨格/F・L・ライト
・確かな場所/L・カーン
・居場所のやわらかな充足/A・アアルト
・チャペルという場所から
・アメリカの草の根の住居
・日常性の尊厳/吉村順三
4 場所を紡ぐ-新たな風景へ
・風景を解き、そして風景に返す/金山の火葬場
・生活の多様と風景を結ぶ/箱根の家
・場所を織る・そして山荘に至る/明野の家
・植物との共棲・時の堆積/新座の三件の家
あとがき
1 場所の素景-風景との出会い
・木陰の力
・バルザックの像が拓いた視界
・山寺/地の形と人の意思の刻み
・影の所在/ひと叢の杉の森と鳥居
・自然の連続性と知の文節性
・知の痕跡・やわらかな幾何学
・強い囲み/イランへの旅
・仮像の島
2 場所の生成-空間の区分
・空間のやわらかな区分
陰の力・空間の濃度と場所の暗示・覆いの暗示・床の暗示・距離の演出・場所の関係
・空間と場の区分の二つのかたち/強固な壁と遠い距離
プロテクションの優位・プロテクションのかたち・場の遮断性・空間と場の強度ということ
・空間の二つの透明性
ガラスと空気、二つの透明さの間・内と外の境の意識、境のデザイン・風の復権、空気のデザイン
3 場所の骨格-構築された場所
・居場所の骨格/F・L・ライト
・確かな場所/L・カーン
・居場所のやわらかな充足/A・アアルト
・チャペルという場所から
・アメリカの草の根の住居
・日常性の尊厳/吉村順三
4 場所を紡ぐ-新たな風景へ
・風景を解き、そして風景に返す/金山の火葬場
・生活の多様と風景を結ぶ/箱根の家
・場所を織る・そして山荘に至る/明野の家
・植物との共棲・時の堆積/新座の三件の家
あとがき
(参考)