さっき、父ちゃんが
なあユウイチ
私(うち)がボケたけん
父ちゃんが
現れたとなら
ボケるとも
悪か事ばかりじゃ
なかかもしれん
人間、誰しも歳を重ねていくうちに
いいことも
わるいことも
「人生」という歴史となって、積み重なってくるものです。
人の一生
「生きる」という苦しみ、
「老いる」という苦しみ、
「病める」という苦しみ、
「死逝く」という苦しみ、
これらの「苦しみ」は平等に誰しもの身へと、降り掛かってきます。
そんな「苦しみ」にどうむきあってゆくのか、
そんな「苦しみ」とどうつきあってゆくのか、
この「苦しみ」を苦しみとせずに、どう考えどう生きてゆくのか。
それがその後の
その人の生き方・暮らし方となり、その考え方によっては随分と変わってくるようにも思えます。
この
『ペコロスの母に会いに行く』
は
筆者・岡野雄一さんの実母のことが描かれています。
岡野さんが描かれるこの『ペコロス......』は、決して卑屈になったりしないで
「歳を重ねてきた母」
への正直な気持ちで向き合った「讃歌」ともとらえることのできる、
そんな「本」となって、私たちに語り掛けてきてくれるように思います。
◇◇◇◇◇
老い果てた女のかわいらしさ。生きることの切なさ。
わたしは心を揺さぶられ、会う人ごとにペコロスさんやみつえさんの話をしていたものです。しばらくしてご本人に会えました。アメリカ生まれの子どもらを連れて、長崎の原爆記念資料館を見に行ったついでに、旧知のアジサカコウジさんに連絡したら宴会しましょうということになりまして、人が集まり、いや、長崎というとこはまるで梁山泊みたいなとこだと。その中にペコロスさんがいて、歌を歌った。漫画のまんまのかたでした。そのときペコロスさんがわたしに言ったそうです。「親を施設に預けてるから、介護しているとは言えないんです」と。そしたらわたしが返したそうです。「それもまた介護です」と。実は酔っぱらってて、何も覚えていません。「そのことばが、3・11以降もずっと、心のエネルギーになっています」とペコロスさんがメールで言ってました。いいええ、ペコロスさん。わたしはまったく同じことについて、同じように、あなたのマンガに励まされているのです。施設に住む親に会いに行く。親をみつめてマンガに描く。子の知り得ない親の人生を想像する、何を感じたか、そのときどんな顔をしていたか。そしてそれをマンガに描く。その過程に、どれだけの息子の思いがつまっていましょう。その上、3・11以降、ペコロスさんは長崎人としての思いがむくむくと強くなり、長崎に生まれて生きた、原爆を経験した、そのとき死んだ、あるいは生きのびた人々の、生をみつめる力にみがきがかかっている。わたしは、ペコロスさんに、マンガのおもしろさだけではない、介護の修羅場を生き抜くものとしての同志のような思いを抱いたのです。人には人の老い方がある。生き方がある。死に方がある。そして、人には人の介護のかたちがある、と(「生きる切なさ」伊藤比呂美 より抜粋)。
◇◇◇◇◇
(目次)
ペコロスの母に会いに行く
エンドレスシアター春
エンドレスシアター夏
エンドレスシアター秋
エンドレスシアター冬
不穏解消の処方箋
閑話休題
褒美と罰
豚が鳴く
ハゲ頭活用法
母の目の青い小箱
母の会話
ひまご
縫う母
爪を切る
一章・ちゃぶ台のある家
カンレキぞぉ
受話器
もったいなか想い出
母のつぶやき
僕の祈り
母の祈り
消臭一家
まちがいなか
ママの想い出
バカどんが
切れた母
山をつくる
治っとる
ごあいさつ
お見舞いの時間
ラブレター
母の見舞い
二章・母、ひと回り
命がすれ違う
ひと回り
米寿の祝い
進水式の想い出
歳月の風
遠い日のひだまり
三章・母、少女になる
春の夢
半夏雨
訪う人
みつえとちえこ
最後のあいさつ
四章・父、来る
あちゃぱー
父、詫びる
寄り添う人
詫びる人
父の背
生きとこうで
父来る
再び父来る
五章・父母の旅
ランターン
花火
市場
父母の旅
中通りを抜けて
背中の児
浮かぶ影
エッセイ
クレーン・ハーバー
つばなれ
雪の日の郵便屋さん
遠い日のひだまり
横断歩道のあちらとこちら
夜声八丁
天使の視線
空からの視線
刊行に寄せて「生きる切なさ」
詩人・伊藤比呂美
登場人物紹介
あとがき
初出一覧
(参考)