腐らないつるつるとした、美しい「タマゴ」。
虫のくわない「野菜」や「果物」。
それを口にする、私たち人間の「からだ」のなかは、いったい
どうなっているのでしょうか?
1974年から1975年にわたり
朝日新聞に連載された長編小説(この「扱い」には賛否両論あるようです...笑)。
「農薬」、「水銀」、「排気ガス」などによる
土壌汚染、水質汚染、そして、大気汚染。
人間が「文明の利器」を発明し、便利でうわべだけの綺麗な暮らしを
求めすぎた故の「産業副産物」。
女性からの視点により、描かれた本書「複合汚染」は、
私たちの暮らしに、寄り添うよう潜み、
いまだ解決の糸口さえ見つからない、「黒い恐怖」である、と警告しています。
◇◇◇◇◇
公害について、私がそれを主題とした小説を書こうとして準備に入ったのは十三年前のことであった。まず外国の資料から集めにかかるのが、こういうときの私の癖で、化学の発達が容易ならない事態を全地球的に惹き起していることを深く知るにつれて私は緊張した。
◆
「私は合成殺虫剤をいっさい使ってはならないと主張しているのではない。私たちは有毒な、そして生物学的に影響する可能性のある化学物質を、それらの及ぼす危害について、ほとんど、あるいは、まったく無知な人びとの手に無差別に渡してしまったということを、あえて主張したいのだ」日本におけるBHC農薬は、いきなり農家の人たちに、その及ぼす危害について何も知らせず、無差別どころか強制的に押しつけられたといっていい。
◆
日本は今や公害によって世界一の先進国になってしまった。すでに人体実験はやっているし、引き続き実験はネズミやウサギでなく私たち自身をモルモットとして行われていることを、外国人は笑いながら指摘してくれるのである。
◆
四万種にものぼる毒性化学物質に囲まれながら、人間がまだ絶滅しない理由は、鳥と違って雑食だからである。御飯におかずがついているから、日本人はまだ生きている。すべての食物連鎖の終着駅は人間の口であるのに。
◆
第一が農薬を一切使わない農家。第二が農薬は使うけれど少量にする農家。第三が従来のように農薬を使う農家。農協の幹部といえども昔の軍隊のように一斉に第一方式に向かわせることができない。総ては一人々々の農民の自由意思による決定にまかせている。買う側にいる私たちは、そこのところをよくわきまえなければならない。
◆
農業の近代化というのは、耕作機械と、化学肥料と、殺虫剤から除草剤にいたる各種農薬という、三種の大がかりな併用だった。
◆
「土が死んでるって、たとえばどういうことですか」「たとえばよ、分かりやすく言えば、ミミズのいねえ土のことだな。硫安かければよ、ミミズは即死すっから。ミミズがいねえとよ、土が堅くなって、どうにもなんねえす。土が死ぬことは、早く言えばミミズが死んだっちことだな」土とミミズ。例外はもちろんあるけれど、ふつうのミミズは、農土を豊かにするために決定的に重要な生物である。
◆
化学肥料の驚異的発達も、農薬の飛躍的な進歩も普及も、どちらも戦争と密接な関係がある。どういう過程を踏んで、今日の土を死なせる化学肥料や、人間を損う農薬を人々が使うに至ったか、歴史を振返って、よく考えてみたいと思う。
◆
種子島の渡来当時、火薬の製造は、硫黄と木炭と硝石の混和であったが、当時の日本は鉱石の豊かな産出国であって、金、銀、銅、鉄は不自由がなかったのに、硝石と水銀だけはどこを掘っても出て来ない。なんという皮肉なことだろう。今では水銀は田園にも海にも湖沼にも夥しく散在して私たちを悩ませているし、硝石は硫安と並ぶ化学肥料として、農地のバクテリアを駆逐してしまったのに、明治以前の日本では、硝石と水銀は輸入に頼るしかなかったのだ。
◆
江戸時代の火薬と堆肥を比べると、ここに大きな違いがある。この違いがそのまま現代の化学肥料と堆厩肥(たいきゅうひ)との違いなのだ。くどいようだが、これは火薬と肥料の違いではない。肥料と肥料の違いである。そして化学肥料と火薬の間には、江戸時代の堆肥と火薬のような違いがない。
◆
農家に病人がふえている。ことに今では日本の農業の主力的な働き手である婦人層に、戦前はなかった貧血症が激増している。どこ家の母ちゃんが畠で倒れた。あの家でも母ちゃんが入院したという話をよく聞いた。原因は、まだ分かっていない。科学者は言えないが、私は科学者ではないから、実験結果を待たずに言う。それは何かと何かの、複合汚染であると。農家の方が殺虫剤や除草剤が、口から皮膚から体内に入る危険が大きいので、農村婦人の肉体は随分むしばまれている筈だ。
◆
農民が農薬を甘く見ていたのではない、農民は農薬会社と農林省に、まったく甘く見られていたのだ。農薬に関して、最初で最大の犠牲者は農民だった。広々とした大自然に抱かれて、土に親しんでいるお百姓さんが、どうしてこんなに自殺するのか。理由は二つある。第一は農村医学者からあの報告だが、農薬を多用すると、最初に神経系統に影響が現れ、情緒不安定、不眠症という症状が出て、次第々々に自殺願望が強くなるというのである。第二の理由は、農家の生活の急変である。出稼ぎがふえて夫婦関係の安定が崩れた。農薬の多用が、農村に病人をふやしているのも、家庭不和の原因として見逃すわけにはいかない。
◆
農村の土が、火薬と毒ガスの集中攻撃を受け続けているところへ、さらに第二次化学兵器と呼ばれるものが登場する。除草剤のことである。除草剤で丸裸になったマングローブの林をカラー写真で見ると、孫生(ひこばえ)のでない稲株を残した田園とまったく同じ色をしているのに気がつく。私のように農業に従事していない人間でも気がつくことを、農林省の役人は、どうして気がつかないのだろう。不思議でたまらない。
◆
私は、農薬はすべていけないなどとは言っていない。質について理解し、適切な量を、使用方法さえ誤りなく使うのなら、結構だ。誰も虫だらけの米や野菜が食べたいわけではないのだから。しかし日本は、殺虫殺菌剤が、予防薬として使われているのだ。クシャミも熱も出ていない子供にセキ止めや解熱剤をしじゅう飲ませたらどうなるか、ちょっと想像してほしい。まして農薬は毒性物質なのである。
◆
農家の多くは、自家用の野菜や果物類には農薬を使っていない。種々様々な農薬の、どれが危険で、どれが安全か、もうわけが分からないので、自分たちの食物には農薬を一切使わないことにしている。これを知って、「けしからん」と怒る消費者たちには、農家の人々に代って私が答えよう。虫喰いの野菜や果物を買って食べる気になれば、農家の人たちは彼らが食べている野菜を売ってくれますよ。曲がった胡瓜を、まっ直ぐな胡瓜と同じ値段で買うのなら、無農薬野菜は間もなくあなた方の食卓に届くでしょう。
◆
私は日本の厚生省も、農林省も信用していたい。しかしながら次のような文章を読むと、私としては考えこまないわけにはいかないのだ。「①散布された薬剤が、河川、湖沼、海域及び養殖池に飛散または流入するおそれのある場所では、使用せず、これらの場所以外でも、一時に広範囲には使用しないこと」「②散布に使用した器具及び容器を洗浄した水、使用残りの薬液ならびに使用後の空きびん及び空袋は、河川などに流さず、地下水を汚染するおそれのない場所を選び、土中に埋没するなどの方法で処理すること」雨は、確実に農薬とともに土中にしみこみ、やがて地下水となって、河川、湖沼、海域へと流れこむ。こんなことは小学校の子供でも知っている常識だ。
◆
農薬の種類。「効力増強剤、蒸発防止剤、流失防止剤、展着剤」。多くの農薬は複合して用いられている。その相乗効果は、確実に複合汚染になる。
◆
農家に往診に行くと、よくとりたての野菜をもらうことがある。梁瀬先生は、おいしものが大好きだ。もらってきた野菜が、同じ品種でも家によって味が違うのに気がついた。そして、おいしい方の野菜は、台所に何日かおいておいても、おいしくない野菜より日もちがいいことに気がついた。「化学肥料を使った野菜は、まずいんです。堆肥をやっている土から生まれた野菜は、おいしい上に、鮮度が落ちにくい。化学肥料の方は、すぐ腐ります」
◆
梁瀬先生の治療(生活指導)を受けて、地獄の淵から蘇ることのできた農家の人たちは、梁瀬先生を信じた。農薬使用をやめてから、目の疲れがとれる。耳が聞こえてくる。不眠症から開放された。イライラしないから夫婦喧嘩も起こらない。家庭に最も大切な平和が戻ってきた。この人たちは、梁瀬先生を信じた。徐々に健康を取戻した人たちは、今更のように農薬の怖ろしさを知り、愕然とした。
◆
全国に散在している有機農業の人たちの悩みは「農薬を使わない蜜柑は、皮に傷があったり、シミがあったりして売れない。味わってくれれば値打ちが分る筈なのに」「農薬を使わないと、ニラが凋(しお)れると業者が言うのですが、日がたてば野菜は凋れるのが当り前なんです。それが何日たってもピンピンしているニラの方がいい値で売れるのですから」「作るところを見てくれれば、形が悪くても農薬を使っていない方が安心だと分かる筈なんですがねえ」というものが多い。
◆
泥ならば台所の水で洗い落とせるが、農薬の多くは洗っても落とせない。本来なら洗い落とせる筈の天然殺虫剤(除虫菊など)も。効力増強と称して作物に深達あるいは浸透してしまう薬と混ぜて使われている。こうなると、人間にとって有毒な成分は、洗っても、皮を剥いても、煮ても、取り除くことができない。
◆
植物学では、酸性の土壌にはスギナが生えることが知られている。そしてスギナには非常に多くのカルシウム分が含まれている。誰も種をまかないのに、大自然はこうして土つくりをしているのだ。
◆
野草の生い繁った畠で、耕転もせずに野菜を植えている人の話をすると「草取りしねえなら、百姓は楽な仕事だな」と農村青年たちは、まず笑い出す。「草がマルチだな」「うん、直射日光を遮って土の中の微生物を活躍させるんだな。地熱も上がる筈だ」「味のことは分かったがよ、形はどうだね」「秋だったせいかもしれないけど、形はてんでんばらばらだった」「それで売れるかね。誰が買うんだね」
◆
「火を見るより明らか」という言葉があるけれども、私は人間と文明との関係について「火を見て」これを明らかにしたいと思う。火を手に入れるまで、人類にはムシ歯がなかった。五十万年前の人骨からムシ歯は発見されたことがないので、そう言われている。だから、ムシ歯というのは、人類最初の文明病なのである。火を持った人間は食物を調理することを覚え、食べる点では大進歩をとげる反面でムシ歯の苦しみを覚えた。だが同時に人間は火によって食べられる問題を解決し、生き物として異常な進化を遂げた。こうして火によって、私たち人間は食物連鎖の終着駅にもなったのである。
◆
「アメリカに雨が降ると日本はどうなる」か。「アメリカがクシャミをすると日本は風邪をひく」食糧事情についても、これは言い得て妙というべきだ。あんまりズバリときまってしまうので、とても笑ってはいられない。「土方ころすに刃物はいらぬ、雨の十日も降ればよい」日本を殺すのにもう原爆はいらない。石油は売らないという一言で、日本の経済はストップしてしまう。小麦は売らないと言われれば、五千万人が飢えて死ぬ。
◆
海水は太陽の熱で蒸発し、空で冷えて雨になり、地上を洗い、岩を砕いて水と土を作りながら再び海に戻る。こうした動きを何億年も繰返すうちに海の中で生物が生れ、彼らのうちの何種類かが陸へぞろぞろと這上るようになる(生物が生れて陸へ這上るまで二十億年以上かかっている)。それと前後して陸には緑が芽生えていただろう。地球を包む大気も、始めは酸素がなかったのだが、植物が炭酸ガスを酸素にかえる働きをするために、空気は何十億年もかかっていまのようになったのだった。大気と土と緑。今日の自然を作りあげたのは、水であった。何十億年もかかって。その水が、今はどうなっているだろうか
◆
日本の厚生省も、農林省も、動物が死んだくらいでは決して驚かない(なんという驚くべきことだろう)。「ところで、誰が死んだんです」「子供のお父さんです。......お父さんがうめきながら吐いたのは数分後で、喉がやけるようだあと言ったそうです。それでライポンFの箱を出して注意書きを読んだところ厚生省実験により衛生上無害であることが証明されていますとあったので、飲んだ本人が、無害と書いてあるのだし、ほんの一口だから大丈夫と言って、口直しに清涼飲料と胃腸薬をちょっと飲んで、眠り直しをしたそうですよ。でも十分もたたないうちに、また吐いて、それから一時間後に......」
◆
マスコミの騒ぎで魚がPCBに汚染されている知識を持たない日本人はなくなったが、新幹線が走っているのはPCBのおかげだという話を知っている人は少ない。それどころかマスコミが書きたてないから、もうPCBは海から消えてなくなったと思いこんでいる人々が多いのだ。「火によって文明開化した人類は、科学によって壊れないもの、腐らないもの、燃えないものうぃ追い求めた結果、夢の化合物としてPCBを発見したんですね」PCBはポリ塩化ビフェニールの略字である。第一に水に溶けない。第二に燃えない。第三に電気を通しにくい。第四に金属を腐食しない。第五に条波圧しにくい。こわれないものである特質が問題になる。......PCBは燃えないので工場の煙突からモクモクと大気へ飛び散る。廃棄物の中のPCBも、焼却炉で燃えずに大気へ混入する。工場の排水口から川や海に流れて行く。
◆
「マスコミが書いているような食糧危機がきたら、都会の人間から餓え死にするのが本来ですね。スイカやメロンばかり作っている農家が農薬で病気になって死ぬより、まともでしょう......どんなに科学が発達したって、人間は土から育った物しか食べられないんですからね。農家がまず健全に生きて、生産する者の強みを自覚して、誇を取戻してくれればと、そればかり願っています」「食糧危機がきたら、都会の人間はどうしたらいいんですか」「買出しに行くんですね。きっと、間もなくそうなりますよ」
◆
マスキーという上院議員の提案した「七〇年改訂大気清浄法」が、暮も押し迫って成立した。議員の名をとって、この法律はマスキー法呼ばれている。マスキー法は環境として大気の基準、つまり自動車、飛行場、船舶の排気ガスや、燃料添加物の規制の他に、建物や工場の大気汚染物質放出から騒音規制まで、広範囲に及ぶものであるのだが、自動車に関しては次のような厳しい三ヶ条であった。①七五年型車およびそれ以降の車は、一酸化炭素と炭化水素を七〇年規制基準の十分の一以下にすること。②七六年型車およびそれ以降の車は、窒素酸化物を七一年平均排出量の十分の一以下にすること。③「①②」の基準値は五年もしくは五万マイル走行の間、保証されること。アメリカの自動車業界もショックを受けたらしいが、日本の自動車会社は騒然としてマスキー法の成立を見ていた。
◇◇◇◇◇
『フランス人の友人が、日本に帰る前に、この映画だけは絶対見ていけとすすめる。私はそのひとには大変世話になっているので、「はい、行きましょう、なんという映画ですか」「カシマ・パラダイスです」「えっ、日本のこと?」「そうです。でもフランス人が作った映画で、今だいひょうばんなんですよ」映画の冒頭は、青い稲田の上をヘリコプターが低空飛行して、まっ白い煙を噴霧している光景で始まり、私は映画館の椅子から思わず腰を浮かしていた。日本語のナレーションが、フランス語になって字幕に現れると、客席に詰ったフランス人たちが声をあげて笑い出した。私は胸が押し潰されるようだった。パリの人たちは、日本には美しい空も美しい海もなくなっていることを知っているのだろうか。二十一世紀の日本が自然と人間の調和だなどと考えることもできないと嘲笑しているのだろうか。万博のパビリオンが、めくるめくように交錯して映し出された後で、画面は再び農村に移り、今度は田植の風景点描である。万博の頃ならDDTはまだ禁止されていない。あのヘリコプターで空中散布していたのは、DDTだろうか、BHCのだろうか、と考えているうちに、田んぼの畦道がクローズアップされ、ひょうきんな顔をした蛙が一匹、ピョンピョンと飛び出してきた。その蛙は、そのままの速度で水田に勢よく飛びこんだ。ポチャンと水音をたてて飛び込んだ蛙は、水田の中で二回はねたが、水から顔を上げて喉をぷーとふくらませると、そのまま四肢がすーッと伸びてしまった。客席は水をうったように鎮まり返った。いつまでも動かない蛙の背中に、苗代から運ばれてきた小さな苗束が投げつけられたが、蛙は身動きもしない。そのすぐ傍で黙々と手も休めずに田植を続ける男女の姿が、なんの説明もなく、いつまでも映写されていた。蛙が溺死する水田―。私は躰が総毛だつようだった。友だちが私にこれを見ろと言った理由が、やっと分った。しかし私ははらはらしながらも画面を見詰めずにはいられなかった。多分撮影用に旧式な手植えをやってみせているのだろうけど、きっと本当は田植機を使ってやっていたのだろうけど、と私は心の中で呟き続けていた。蛙が死ぬような水に膝まで浸って、よくこの人たちは病気にならないでいるものだ。いや、肝臓や腎臓が弱っている人たちが農村にいっぱい出ている理由は、百万言の説明よりこの映画を見るだけで充分ではないだろうか。田んぼに飛びこんだ蛙は、なぜ死んだのか―。映画では鹿島灘に大企業のコンビナートが屹立し、工場排水が滔々と海に吐き捨てられていた。農地であったところには、夜になるとトルコ風呂が怪しげなネオンサインを一斉に輝かせる。ラストシーンはその中の一軒をクローズアップしたものだった。英語でKASHIMA PARADISEという文字が地獄の使者のように私の前に迫り、そして止った。』
賢明な方々は、通産省が勇断を下してストック・ポイント・システムに切りかえて生産者と消費者の距離を縮めれば、厚生省と農林省が抱えている問題の多くは解決されることにお気づきだと思います。これは、政治家のなすべき仕事であって、一介の作家ごときが論じる段階のものではないと考えます。どういう方々の手に、この本は届くのでしょうか。私は、あとは祈りたいという気持でいます。(昭和50(1975)年6月)
文学という武器をもって、
もっとも直接的に人類を破滅に向かわせかねない
自然科学、技術、そして経済、政治に対して敢然と歯向い、
ストップをかけようとした。
人間を愛する文学者として
なすべき喫緊事を有吉佐和子は為した。
それがこの『複合汚染』である(解説より)。
(目次)
複合汚染
あとがき
解説 奥野健男
(参考)
複合汚染
複合汚染 Wikipedia
有吉佐和子 Wikipedia
奥野健男 Wikipedia
DDT Wikipedia
BHC Wikipedia
(拙ブログ関連記事)
taka_raba_ko The Unknown History of Shirakawago
虫のくわない「野菜」や「果物」。
それを口にする、私たち人間の「からだ」のなかは、いったい
どうなっているのでしょうか?
1974年から1975年にわたり
朝日新聞に連載された長編小説(この「扱い」には賛否両論あるようです...笑)。
「農薬」、「水銀」、「排気ガス」などによる
土壌汚染、水質汚染、そして、大気汚染。
人間が「文明の利器」を発明し、便利でうわべだけの綺麗な暮らしを
求めすぎた故の「産業副産物」。
女性からの視点により、描かれた本書「複合汚染」は、
私たちの暮らしに、寄り添うよう潜み、
いまだ解決の糸口さえ見つからない、「黒い恐怖」である、と警告しています。
◇◇◇◇◇
公害について、私がそれを主題とした小説を書こうとして準備に入ったのは十三年前のことであった。まず外国の資料から集めにかかるのが、こういうときの私の癖で、化学の発達が容易ならない事態を全地球的に惹き起していることを深く知るにつれて私は緊張した。
◆
「私は合成殺虫剤をいっさい使ってはならないと主張しているのではない。私たちは有毒な、そして生物学的に影響する可能性のある化学物質を、それらの及ぼす危害について、ほとんど、あるいは、まったく無知な人びとの手に無差別に渡してしまったということを、あえて主張したいのだ」日本におけるBHC農薬は、いきなり農家の人たちに、その及ぼす危害について何も知らせず、無差別どころか強制的に押しつけられたといっていい。
◆
日本は今や公害によって世界一の先進国になってしまった。すでに人体実験はやっているし、引き続き実験はネズミやウサギでなく私たち自身をモルモットとして行われていることを、外国人は笑いながら指摘してくれるのである。
◆
四万種にものぼる毒性化学物質に囲まれながら、人間がまだ絶滅しない理由は、鳥と違って雑食だからである。御飯におかずがついているから、日本人はまだ生きている。すべての食物連鎖の終着駅は人間の口であるのに。
◆
第一が農薬を一切使わない農家。第二が農薬は使うけれど少量にする農家。第三が従来のように農薬を使う農家。農協の幹部といえども昔の軍隊のように一斉に第一方式に向かわせることができない。総ては一人々々の農民の自由意思による決定にまかせている。買う側にいる私たちは、そこのところをよくわきまえなければならない。
◆
農業の近代化というのは、耕作機械と、化学肥料と、殺虫剤から除草剤にいたる各種農薬という、三種の大がかりな併用だった。
◆
「土が死んでるって、たとえばどういうことですか」「たとえばよ、分かりやすく言えば、ミミズのいねえ土のことだな。硫安かければよ、ミミズは即死すっから。ミミズがいねえとよ、土が堅くなって、どうにもなんねえす。土が死ぬことは、早く言えばミミズが死んだっちことだな」土とミミズ。例外はもちろんあるけれど、ふつうのミミズは、農土を豊かにするために決定的に重要な生物である。
◆
化学肥料の驚異的発達も、農薬の飛躍的な進歩も普及も、どちらも戦争と密接な関係がある。どういう過程を踏んで、今日の土を死なせる化学肥料や、人間を損う農薬を人々が使うに至ったか、歴史を振返って、よく考えてみたいと思う。
◆
種子島の渡来当時、火薬の製造は、硫黄と木炭と硝石の混和であったが、当時の日本は鉱石の豊かな産出国であって、金、銀、銅、鉄は不自由がなかったのに、硝石と水銀だけはどこを掘っても出て来ない。なんという皮肉なことだろう。今では水銀は田園にも海にも湖沼にも夥しく散在して私たちを悩ませているし、硝石は硫安と並ぶ化学肥料として、農地のバクテリアを駆逐してしまったのに、明治以前の日本では、硝石と水銀は輸入に頼るしかなかったのだ。
◆
江戸時代の火薬と堆肥を比べると、ここに大きな違いがある。この違いがそのまま現代の化学肥料と堆厩肥(たいきゅうひ)との違いなのだ。くどいようだが、これは火薬と肥料の違いではない。肥料と肥料の違いである。そして化学肥料と火薬の間には、江戸時代の堆肥と火薬のような違いがない。
◆
農家に病人がふえている。ことに今では日本の農業の主力的な働き手である婦人層に、戦前はなかった貧血症が激増している。どこ家の母ちゃんが畠で倒れた。あの家でも母ちゃんが入院したという話をよく聞いた。原因は、まだ分かっていない。科学者は言えないが、私は科学者ではないから、実験結果を待たずに言う。それは何かと何かの、複合汚染であると。農家の方が殺虫剤や除草剤が、口から皮膚から体内に入る危険が大きいので、農村婦人の肉体は随分むしばまれている筈だ。
◆
農民が農薬を甘く見ていたのではない、農民は農薬会社と農林省に、まったく甘く見られていたのだ。農薬に関して、最初で最大の犠牲者は農民だった。広々とした大自然に抱かれて、土に親しんでいるお百姓さんが、どうしてこんなに自殺するのか。理由は二つある。第一は農村医学者からあの報告だが、農薬を多用すると、最初に神経系統に影響が現れ、情緒不安定、不眠症という症状が出て、次第々々に自殺願望が強くなるというのである。第二の理由は、農家の生活の急変である。出稼ぎがふえて夫婦関係の安定が崩れた。農薬の多用が、農村に病人をふやしているのも、家庭不和の原因として見逃すわけにはいかない。
◆
農村の土が、火薬と毒ガスの集中攻撃を受け続けているところへ、さらに第二次化学兵器と呼ばれるものが登場する。除草剤のことである。除草剤で丸裸になったマングローブの林をカラー写真で見ると、孫生(ひこばえ)のでない稲株を残した田園とまったく同じ色をしているのに気がつく。私のように農業に従事していない人間でも気がつくことを、農林省の役人は、どうして気がつかないのだろう。不思議でたまらない。
◆
私は、農薬はすべていけないなどとは言っていない。質について理解し、適切な量を、使用方法さえ誤りなく使うのなら、結構だ。誰も虫だらけの米や野菜が食べたいわけではないのだから。しかし日本は、殺虫殺菌剤が、予防薬として使われているのだ。クシャミも熱も出ていない子供にセキ止めや解熱剤をしじゅう飲ませたらどうなるか、ちょっと想像してほしい。まして農薬は毒性物質なのである。
◆
農家の多くは、自家用の野菜や果物類には農薬を使っていない。種々様々な農薬の、どれが危険で、どれが安全か、もうわけが分からないので、自分たちの食物には農薬を一切使わないことにしている。これを知って、「けしからん」と怒る消費者たちには、農家の人々に代って私が答えよう。虫喰いの野菜や果物を買って食べる気になれば、農家の人たちは彼らが食べている野菜を売ってくれますよ。曲がった胡瓜を、まっ直ぐな胡瓜と同じ値段で買うのなら、無農薬野菜は間もなくあなた方の食卓に届くでしょう。
◆
私は日本の厚生省も、農林省も信用していたい。しかしながら次のような文章を読むと、私としては考えこまないわけにはいかないのだ。「①散布された薬剤が、河川、湖沼、海域及び養殖池に飛散または流入するおそれのある場所では、使用せず、これらの場所以外でも、一時に広範囲には使用しないこと」「②散布に使用した器具及び容器を洗浄した水、使用残りの薬液ならびに使用後の空きびん及び空袋は、河川などに流さず、地下水を汚染するおそれのない場所を選び、土中に埋没するなどの方法で処理すること」雨は、確実に農薬とともに土中にしみこみ、やがて地下水となって、河川、湖沼、海域へと流れこむ。こんなことは小学校の子供でも知っている常識だ。
◆
農薬の種類。「効力増強剤、蒸発防止剤、流失防止剤、展着剤」。多くの農薬は複合して用いられている。その相乗効果は、確実に複合汚染になる。
◆
農家に往診に行くと、よくとりたての野菜をもらうことがある。梁瀬先生は、おいしものが大好きだ。もらってきた野菜が、同じ品種でも家によって味が違うのに気がついた。そして、おいしい方の野菜は、台所に何日かおいておいても、おいしくない野菜より日もちがいいことに気がついた。「化学肥料を使った野菜は、まずいんです。堆肥をやっている土から生まれた野菜は、おいしい上に、鮮度が落ちにくい。化学肥料の方は、すぐ腐ります」
◆
梁瀬先生の治療(生活指導)を受けて、地獄の淵から蘇ることのできた農家の人たちは、梁瀬先生を信じた。農薬使用をやめてから、目の疲れがとれる。耳が聞こえてくる。不眠症から開放された。イライラしないから夫婦喧嘩も起こらない。家庭に最も大切な平和が戻ってきた。この人たちは、梁瀬先生を信じた。徐々に健康を取戻した人たちは、今更のように農薬の怖ろしさを知り、愕然とした。
◆
全国に散在している有機農業の人たちの悩みは「農薬を使わない蜜柑は、皮に傷があったり、シミがあったりして売れない。味わってくれれば値打ちが分る筈なのに」「農薬を使わないと、ニラが凋(しお)れると業者が言うのですが、日がたてば野菜は凋れるのが当り前なんです。それが何日たってもピンピンしているニラの方がいい値で売れるのですから」「作るところを見てくれれば、形が悪くても農薬を使っていない方が安心だと分かる筈なんですがねえ」というものが多い。
◆
泥ならば台所の水で洗い落とせるが、農薬の多くは洗っても落とせない。本来なら洗い落とせる筈の天然殺虫剤(除虫菊など)も。効力増強と称して作物に深達あるいは浸透してしまう薬と混ぜて使われている。こうなると、人間にとって有毒な成分は、洗っても、皮を剥いても、煮ても、取り除くことができない。
◆
植物学では、酸性の土壌にはスギナが生えることが知られている。そしてスギナには非常に多くのカルシウム分が含まれている。誰も種をまかないのに、大自然はこうして土つくりをしているのだ。
◆
野草の生い繁った畠で、耕転もせずに野菜を植えている人の話をすると「草取りしねえなら、百姓は楽な仕事だな」と農村青年たちは、まず笑い出す。「草がマルチだな」「うん、直射日光を遮って土の中の微生物を活躍させるんだな。地熱も上がる筈だ」「味のことは分かったがよ、形はどうだね」「秋だったせいかもしれないけど、形はてんでんばらばらだった」「それで売れるかね。誰が買うんだね」
◆
「火を見るより明らか」という言葉があるけれども、私は人間と文明との関係について「火を見て」これを明らかにしたいと思う。火を手に入れるまで、人類にはムシ歯がなかった。五十万年前の人骨からムシ歯は発見されたことがないので、そう言われている。だから、ムシ歯というのは、人類最初の文明病なのである。火を持った人間は食物を調理することを覚え、食べる点では大進歩をとげる反面でムシ歯の苦しみを覚えた。だが同時に人間は火によって食べられる問題を解決し、生き物として異常な進化を遂げた。こうして火によって、私たち人間は食物連鎖の終着駅にもなったのである。
◆
「アメリカに雨が降ると日本はどうなる」か。「アメリカがクシャミをすると日本は風邪をひく」食糧事情についても、これは言い得て妙というべきだ。あんまりズバリときまってしまうので、とても笑ってはいられない。「土方ころすに刃物はいらぬ、雨の十日も降ればよい」日本を殺すのにもう原爆はいらない。石油は売らないという一言で、日本の経済はストップしてしまう。小麦は売らないと言われれば、五千万人が飢えて死ぬ。
◆
海水は太陽の熱で蒸発し、空で冷えて雨になり、地上を洗い、岩を砕いて水と土を作りながら再び海に戻る。こうした動きを何億年も繰返すうちに海の中で生物が生れ、彼らのうちの何種類かが陸へぞろぞろと這上るようになる(生物が生れて陸へ這上るまで二十億年以上かかっている)。それと前後して陸には緑が芽生えていただろう。地球を包む大気も、始めは酸素がなかったのだが、植物が炭酸ガスを酸素にかえる働きをするために、空気は何十億年もかかっていまのようになったのだった。大気と土と緑。今日の自然を作りあげたのは、水であった。何十億年もかかって。その水が、今はどうなっているだろうか
◆
日本の厚生省も、農林省も、動物が死んだくらいでは決して驚かない(なんという驚くべきことだろう)。「ところで、誰が死んだんです」「子供のお父さんです。......お父さんがうめきながら吐いたのは数分後で、喉がやけるようだあと言ったそうです。それでライポンFの箱を出して注意書きを読んだところ厚生省実験により衛生上無害であることが証明されていますとあったので、飲んだ本人が、無害と書いてあるのだし、ほんの一口だから大丈夫と言って、口直しに清涼飲料と胃腸薬をちょっと飲んで、眠り直しをしたそうですよ。でも十分もたたないうちに、また吐いて、それから一時間後に......」
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マスコミの騒ぎで魚がPCBに汚染されている知識を持たない日本人はなくなったが、新幹線が走っているのはPCBのおかげだという話を知っている人は少ない。それどころかマスコミが書きたてないから、もうPCBは海から消えてなくなったと思いこんでいる人々が多いのだ。「火によって文明開化した人類は、科学によって壊れないもの、腐らないもの、燃えないものうぃ追い求めた結果、夢の化合物としてPCBを発見したんですね」PCBはポリ塩化ビフェニールの略字である。第一に水に溶けない。第二に燃えない。第三に電気を通しにくい。第四に金属を腐食しない。第五に条波圧しにくい。こわれないものである特質が問題になる。......PCBは燃えないので工場の煙突からモクモクと大気へ飛び散る。廃棄物の中のPCBも、焼却炉で燃えずに大気へ混入する。工場の排水口から川や海に流れて行く。
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「マスコミが書いているような食糧危機がきたら、都会の人間から餓え死にするのが本来ですね。スイカやメロンばかり作っている農家が農薬で病気になって死ぬより、まともでしょう......どんなに科学が発達したって、人間は土から育った物しか食べられないんですからね。農家がまず健全に生きて、生産する者の強みを自覚して、誇を取戻してくれればと、そればかり願っています」「食糧危機がきたら、都会の人間はどうしたらいいんですか」「買出しに行くんですね。きっと、間もなくそうなりますよ」
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マスキーという上院議員の提案した「七〇年改訂大気清浄法」が、暮も押し迫って成立した。議員の名をとって、この法律はマスキー法呼ばれている。マスキー法は環境として大気の基準、つまり自動車、飛行場、船舶の排気ガスや、燃料添加物の規制の他に、建物や工場の大気汚染物質放出から騒音規制まで、広範囲に及ぶものであるのだが、自動車に関しては次のような厳しい三ヶ条であった。①七五年型車およびそれ以降の車は、一酸化炭素と炭化水素を七〇年規制基準の十分の一以下にすること。②七六年型車およびそれ以降の車は、窒素酸化物を七一年平均排出量の十分の一以下にすること。③「①②」の基準値は五年もしくは五万マイル走行の間、保証されること。アメリカの自動車業界もショックを受けたらしいが、日本の自動車会社は騒然としてマスキー法の成立を見ていた。
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『フランス人の友人が、日本に帰る前に、この映画だけは絶対見ていけとすすめる。私はそのひとには大変世話になっているので、「はい、行きましょう、なんという映画ですか」「カシマ・パラダイスです」「えっ、日本のこと?」「そうです。でもフランス人が作った映画で、今だいひょうばんなんですよ」映画の冒頭は、青い稲田の上をヘリコプターが低空飛行して、まっ白い煙を噴霧している光景で始まり、私は映画館の椅子から思わず腰を浮かしていた。日本語のナレーションが、フランス語になって字幕に現れると、客席に詰ったフランス人たちが声をあげて笑い出した。私は胸が押し潰されるようだった。パリの人たちは、日本には美しい空も美しい海もなくなっていることを知っているのだろうか。二十一世紀の日本が自然と人間の調和だなどと考えることもできないと嘲笑しているのだろうか。万博のパビリオンが、めくるめくように交錯して映し出された後で、画面は再び農村に移り、今度は田植の風景点描である。万博の頃ならDDTはまだ禁止されていない。あのヘリコプターで空中散布していたのは、DDTだろうか、BHCのだろうか、と考えているうちに、田んぼの畦道がクローズアップされ、ひょうきんな顔をした蛙が一匹、ピョンピョンと飛び出してきた。その蛙は、そのままの速度で水田に勢よく飛びこんだ。ポチャンと水音をたてて飛び込んだ蛙は、水田の中で二回はねたが、水から顔を上げて喉をぷーとふくらませると、そのまま四肢がすーッと伸びてしまった。客席は水をうったように鎮まり返った。いつまでも動かない蛙の背中に、苗代から運ばれてきた小さな苗束が投げつけられたが、蛙は身動きもしない。そのすぐ傍で黙々と手も休めずに田植を続ける男女の姿が、なんの説明もなく、いつまでも映写されていた。蛙が溺死する水田―。私は躰が総毛だつようだった。友だちが私にこれを見ろと言った理由が、やっと分った。しかし私ははらはらしながらも画面を見詰めずにはいられなかった。多分撮影用に旧式な手植えをやってみせているのだろうけど、きっと本当は田植機を使ってやっていたのだろうけど、と私は心の中で呟き続けていた。蛙が死ぬような水に膝まで浸って、よくこの人たちは病気にならないでいるものだ。いや、肝臓や腎臓が弱っている人たちが農村にいっぱい出ている理由は、百万言の説明よりこの映画を見るだけで充分ではないだろうか。田んぼに飛びこんだ蛙は、なぜ死んだのか―。映画では鹿島灘に大企業のコンビナートが屹立し、工場排水が滔々と海に吐き捨てられていた。農地であったところには、夜になるとトルコ風呂が怪しげなネオンサインを一斉に輝かせる。ラストシーンはその中の一軒をクローズアップしたものだった。英語でKASHIMA PARADISEという文字が地獄の使者のように私の前に迫り、そして止った。』
賢明な方々は、通産省が勇断を下してストック・ポイント・システムに切りかえて生産者と消費者の距離を縮めれば、厚生省と農林省が抱えている問題の多くは解決されることにお気づきだと思います。これは、政治家のなすべき仕事であって、一介の作家ごときが論じる段階のものではないと考えます。どういう方々の手に、この本は届くのでしょうか。私は、あとは祈りたいという気持でいます。(昭和50(1975)年6月)
文学という武器をもって、
もっとも直接的に人類を破滅に向かわせかねない
自然科学、技術、そして経済、政治に対して敢然と歯向い、
ストップをかけようとした。
人間を愛する文学者として
なすべき喫緊事を有吉佐和子は為した。
それがこの『複合汚染』である(解説より)。
(目次)
複合汚染
あとがき
解説 奥野健男
(参考)
複合汚染
複合汚染 Wikipedia
有吉佐和子 Wikipedia
奥野健男 Wikipedia
DDT Wikipedia
BHC Wikipedia
(拙ブログ関連記事)
taka_raba_ko The Unknown History of Shirakawago