昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠に案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。
茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持ちは、何とも云えない。
「陰翳礼讃」の冒頭にでてくる一文です。昔、子供の頃夏休みに、田舎の家に泊りがけで出掛けるとこのような体験をする「空間」がそこにありました。さすがに「電気のないつくり」ではなかったけれども、糞尿は側の畑へ「肥」として使われていたような、そんな「厠」だったのを記憶しています。そして、夜ともなれば「蚊帳」を吊り、そのなかで雑魚寝をしていました。柱や天井が黒く塗られていた室内は「仄暗く」いらぬ想像を掻き立てる、なんとも「ミステリアス」な土の匂いのする空間がそこにありました。この「陰翳礼讃」は現在、昼も夜も関係なく「明るく」なった私たちの暮らしが本当に「豊か」になったのか?「見えすぎるもの」をいったん、見えなくなるような「工合」にして人間本来が持っている感覚を研ぎ澄ませて「見えてくるもの」を考えよう......と問い掛けて来ているようにおもいます。
愚痴は愚痴として、
西洋人と比べてどのくらい損をしているかと云うことは、
考えてみても差し支えあるまい。
ここで、谷崎潤一郎の考える「陰翳」のこと、少し抜粋しておきたいとおもいます。
◇◇◇◇◇
◆或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であること、蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。◆もやもやとした薄暗がりの光線を包んで、何処から清浄になり、何処から不浄になるとも、けじめを朦朧とぼかして置いたほうがよい。◆西洋人は食器などにも銀や鋼鉄やニッケル製のものを用いて、ピカピカ光る様に研き立てるが、われわれはあゝ云う風に光るものを嫌う。却って表面の光が消えて、時代がつき、黒く焼けて来るのを喜ぶ。◆われわれは一概に光るものが嫌いと云う訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りのあるものを好む。それは濁りを帯びた光なのである。◆日本の漆器の美しさは、(蠟燭の灯のような)ぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。その穂のゆらゆらとまたたく蔭にある膳や椀を視詰めていると、それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを持ったつやが、全く今までとは違った魅力を帯びだして来るのを発見する。◆金蒔絵は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろいろの部分がときどき少しずつ底光りするのを見るように出来ている。◆漆器の椀のいいことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。◆その羊羮の色あいも、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、味に異様な深みが添わるように思う。◆炊きたての真っ白な飯が、ぱっと蓋を取った下から湯気を吐きながら、一と粒一と粒真珠のようにかがやいているのを見る時、日本人なら誰しも米の飯の有り難さを感じるであろう。かく考えて来ると、われわれの料理が常に陰翳を基調とし、闇と云うものと切っても切れない関係にあることを知るのである。◆われわれが住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。◆美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを餘儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生まれているので、それ以外に何もない。◆太陽光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側を附けたりして一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。◆何か眼の前にもやもやとかげろうものがあって、視力を鈍らせているように感ずる。却って闇に弾ね返されながら、明暗の区別のつかぬ昏迷の世界を現じつつあるからである。◆もう全く外の光が届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕方の地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。◆能楽が歌舞伎のように近代の照明を用いたとしたら、それらの美感は悉くどぎつい光線のために飛び散ってしまうであろう。舞台を昔ながらの暗さに任してあるのは、必然の約束に従っている訳であって、建物なども古ければ古い程いい。床が自然のつやを帯びて柱や鏡板などが黒光りに光り、梁から軒先の闇が大きな吊り鐘を伏せたように役者の頭上に覆いかぶさっている。◆昔から日本のお化けは脚がないが、西洋のお化けは脚がある代わりに全身が透きとおっていると云う。われわれの空想には常に漆黒の闇があるが、彼等は幽霊をさえガラスのように明るくする。◆われわれの先祖は、明るい大地の上下四方を仕切ってまず陰翳の世界を作り、その闇の奥に女人を籠らせて、それをこの世で一番色の白い人間と思い込んでいたのであろう。◆どうも近頃のわれわれは電燈に麻痺して、照明の過剰から起る不便と云うことに対しては案外無感覚になっているらしい。お月見の場合なんかはまあ孰方でもいいけれども、待合、料理屋、旅館、ホテルなどが、一体に電燈を浪費し過ぎる。夏など、まだ明るいうちから点燈するのは無駄である以上に暑くもある。◆
◇◇◇◇◇
損をし続けないため(笑)に、潤一郎はこのような提案をしています。
尤も私がこう云うことを(陰翳礼讃で)書いた趣意は、
何等かの方面、たとえば
文学藝術等にその損を補う道が残されていはしまいか
と思うからである。
私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、
せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。
文学という殿堂の
檐を深くし、
壁を暗くし、
見え過ぎるものを闇に押し込め、
無用の室内装飾を剥ぎ取って
みたい。それも軒並みとは云わない、
一軒ぐらい
そういう家があってもよかろう。
まあどう云う工合になるか、試しに
電燈を消してみる
ことだ。
◆或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であること、蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。◆もやもやとした薄暗がりの光線を包んで、何処から清浄になり、何処から不浄になるとも、けじめを朦朧とぼかして置いたほうがよい。◆西洋人は食器などにも銀や鋼鉄やニッケル製のものを用いて、ピカピカ光る様に研き立てるが、われわれはあゝ云う風に光るものを嫌う。却って表面の光が消えて、時代がつき、黒く焼けて来るのを喜ぶ。◆われわれは一概に光るものが嫌いと云う訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りのあるものを好む。それは濁りを帯びた光なのである。◆日本の漆器の美しさは、(蠟燭の灯のような)ぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。その穂のゆらゆらとまたたく蔭にある膳や椀を視詰めていると、それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを持ったつやが、全く今までとは違った魅力を帯びだして来るのを発見する。◆金蒔絵は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろいろの部分がときどき少しずつ底光りするのを見るように出来ている。◆漆器の椀のいいことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。◆その羊羮の色あいも、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、味に異様な深みが添わるように思う。◆炊きたての真っ白な飯が、ぱっと蓋を取った下から湯気を吐きながら、一と粒一と粒真珠のようにかがやいているのを見る時、日本人なら誰しも米の飯の有り難さを感じるであろう。かく考えて来ると、われわれの料理が常に陰翳を基調とし、闇と云うものと切っても切れない関係にあることを知るのである。◆われわれが住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。◆美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを餘儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生まれているので、それ以外に何もない。◆太陽光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側を附けたりして一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。◆何か眼の前にもやもやとかげろうものがあって、視力を鈍らせているように感ずる。却って闇に弾ね返されながら、明暗の区別のつかぬ昏迷の世界を現じつつあるからである。◆もう全く外の光が届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕方の地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。◆能楽が歌舞伎のように近代の照明を用いたとしたら、それらの美感は悉くどぎつい光線のために飛び散ってしまうであろう。舞台を昔ながらの暗さに任してあるのは、必然の約束に従っている訳であって、建物なども古ければ古い程いい。床が自然のつやを帯びて柱や鏡板などが黒光りに光り、梁から軒先の闇が大きな吊り鐘を伏せたように役者の頭上に覆いかぶさっている。◆昔から日本のお化けは脚がないが、西洋のお化けは脚がある代わりに全身が透きとおっていると云う。われわれの空想には常に漆黒の闇があるが、彼等は幽霊をさえガラスのように明るくする。◆われわれの先祖は、明るい大地の上下四方を仕切ってまず陰翳の世界を作り、その闇の奥に女人を籠らせて、それをこの世で一番色の白い人間と思い込んでいたのであろう。◆どうも近頃のわれわれは電燈に麻痺して、照明の過剰から起る不便と云うことに対しては案外無感覚になっているらしい。お月見の場合なんかはまあ孰方でもいいけれども、待合、料理屋、旅館、ホテルなどが、一体に電燈を浪費し過ぎる。夏など、まだ明るいうちから点燈するのは無駄である以上に暑くもある。◆
◇◇◇◇◇
損をし続けないため(笑)に、潤一郎はこのような提案をしています。
尤も私がこう云うことを(陰翳礼讃で)書いた趣意は、
何等かの方面、たとえば
文学藝術等にその損を補う道が残されていはしまいか
と思うからである。
私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、
せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。
文学という殿堂の
檐を深くし、
壁を暗くし、
見え過ぎるものを闇に押し込め、
無用の室内装飾を剥ぎ取って
みたい。それも軒並みとは云わない、
一軒ぐらい
そういう家があってもよかろう。
まあどう云う工合になるか、試しに
電燈を消してみる
ことだ。
(目次)
陰翳礼讃
懶惰の説
恋愛及び色情
客ぎらい
旅のいろゝ
厠のいろゝ
解説 吉行淳之介
(参考)
陰翳礼讃 Wikipedia
谷崎潤一郎 Wikipedia
ほんとうを云うともうその町には
螢がいなくなったのである。近年遊覧客が殖え、
旅館などが競うて大廈高楼を建て、
町が繁昌するに従って、
年々少くなって行った。
なぜかと云うのに、
螢は賑やかな場所を嫌う。
殊に電燈の光を何よりも嫌うのである。
(「旅のいろいろ」より)
そして
文明の進歩とともに、
仄暗い場所は
どんどん少くなってゆく......。
(参考)
陰翳礼讃 Wikipedia
谷崎潤一郎 Wikipedia
ほんとうを云うともうその町には
螢がいなくなったのである。近年遊覧客が殖え、
旅館などが競うて大廈高楼を建て、
町が繁昌するに従って、
年々少くなって行った。
なぜかと云うのに、
螢は賑やかな場所を嫌う。
殊に電燈の光を何よりも嫌うのである。
(「旅のいろいろ」より)
そして
文明の進歩とともに、
仄暗い場所は
どんどん少くなってゆく......。