フランク・ロイド・ライトが日本建築へ感化されたという「その本」
題号に「茶の本」という邦名が書かれていますが
もともと
は
ニューヨークで出版されたものを
「洋々塾」
という
岡倉覚三(天心)の弟・由三郎の弟子56人でつくられた
同人会に属していた
村岡博氏(本書訳者)
が
雑誌「亡羊」に訳文として完結した直後
原書から23年(1929年)遅れて、岩波文庫より出版されています
岡倉天心は
「東方の理想」(1903)
「日本の目覚め」(1904)
の
二著とともにこの「茶の本」で世界的に知られた思想家であったのです
岡倉天心は
東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献し
近代日本における美学研究の開拓者であり
英文著作での美術史・美術評論家としての活動とともに
美術家養成といった多岐に渡る啓蒙活動を行なっていましたが
その「才」を当時の日本では
「妬み」や「羨み」
としてしか、捉えられていませんでした
その様子が、福原麟太郎の「解説」に書かれています
『そのころ日本での天心は
美術界の大権威として
また叛旗を翻した陰謀の徒に計られ
自ら校長であった東京美術学校を退き、後を追うた同志の教授たちと
日本美術院を設立し
東洋精神の独立深玄、芸術の神秘尊貴を信奉して
理想に邁進したロマン主義的反骨として知られていた
その思想理念を、天心は日本語の本にはついに書かなかった』
岡倉覚三(天心) Wikipediaより |
ここで『茶の本』から
いくつかの文を「茶室」の章より抜粋して
ライトが日本建築に感化された、その文体を味わいたいと思います
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兼六園の茶室、夕顔亭 Wikipediaより |
茶室(数寄屋)は単なる小家で、それ以外のものをてらうものではない
いわゆる茅屋(ぼうおく)に過ぎない
数寄屋の原義は「好き家」である
後になっていろいろな宗匠(そうしょう)が茶室に対するそれぞれの考えに従って
いろいろな感じを置き換えた
そして
数寄屋という語は「空き家」または「数奇家」の意味にもなる
それは詩趣を宿すための仮りの住み家であるからには
「好き家」である
さしあたって、ある美的必要を満たすためにおく物のほかは
いっさいの装飾を欠くからには
「空き家」である
それは「不完全崇拝」にささげられ、故意に何かを仕上げずにおいて
想像の働きにこれを完成させるからには
「数奇家」である
茶道の理想は
十六世紀以来わが建築術に非常な影響を及ぼしたので
今日
日本の普通の家屋の内部はその装飾の配合が極端に簡素なため
外国人にはほとんど没趣味なものに見える
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茶室の内部 Wikipediaより |
始めて独立した茶室を建てたのは千宗易(せんのそうえき)
すなわち
後に利休という名で普通に知られている
大宗匠で
彼は十六世紀太閤秀吉の愛顧をこうむり
茶の湯の儀式を定めてこれを完成の域に達せしめた
茶室の広さは
その以前に十五世紀の有名な宗匠紹鷗(じょうおう)によって
定められていた
初期の茶室はただ普通の客間の一部分を茶の会のために
屏風で仕切ったものであった
その仕切った部分は「かこい」と呼ばれた
その名は
家の中に作られていて独立した建物ではない
茶室へ今もなお用いられている
数寄屋は「グレイスの神よりは多く、ミューズの神よりは少ない。」
という句を思い出させるような五人しかはいれないしくみの
茶室本部と
茶器を持ち込む前に洗ってそろえておく控えの間(水屋)と
客が茶室へはいれと呼ばれるまで待っている玄関(待合)と
待合と茶室を連絡している庭の小道(露地)とから成っている
茶室は見たところなんの印象も与えない
それは日本のいちばん狭い家よりも狭い
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にじり口(明々庵) Wikipediaより |
正統の茶室の広さは
四畳半で維摩(ゆいま)の経文(きょうもん)の一節によって
定められている
利休のような人たちは全くの静寂を目的とし
露地を作るの奥意は次の古歌の中にこもっていると主張した
見渡せば花ももみじもなかりけり
浦のとまやの秋の夕暮れ
その他小堀遠州のような人々は
また別の効果を求めた
遠州は庭径の着想は次の句の中にあると言った
夕月夜(ゆうづくよ)海すこしある木の間かな
彼は
影のような過去の夢の中になおさまよいながらも
やわらかい霊光の無我の境地に浸って
渺茫(びょうぼう)たるかなたに横たわる自由をあこがれる新たに目ざめた
心境をおこそうと思った
こういう心持ちで客は黙々としてその聖堂に近づいて行く
もし武士ならばその剣を軒下の刀架にかけておく
茶室は至極平和の家であるから
客は低くかがんで
高さ三尺ぐらいの狭い入り口(にじり口)からにじってはいる
席次は待合で休んでいる間に定まっているので
客は一人ずつ静かにはいってその席につき
まず
床の間の絵または生花に敬意を表する
主人は
客が皆着席して部屋が静まりきり
茶釜にたぎる湯の音を除いては、何一つ静けさを破るものもないようになって
始めてはいってくる
茶釜は美しい音をたてて鳴る
特殊のメロディーを出すように茶がまの底に鉄片が並べてあるから
これを聞けば、雲に包まれた滝の響きか
岩に砕くる遠海の音か竹林を払う雨風か
それともどこか遠き丘の上の松籟(しょうらい)かと思われる
日中でも室内の広宣は和らげられている
傾斜した屋根のある低いひさしは日光を少ししか入れないから
天井から床に至るまですべての物が落ち着いた色合いである
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茶室や茶道具がいかに色あせて見えても
すべての物が全く清潔である
部屋の最も暗いすみにさえ塵(ちり)一本も見られない
もしあるようならばその主人は茶人とはいわれないのである
茶人に第一に必要な条件は
一は拭き、ふき清め、洗うこと
に
関する知識である
払い清めるには術を要するから
金属細工はオランダの主婦のように無遠慮にやっきとなって
はたいてはならない
花瓶(かびん)からしたたる水はぬぐい去るを要しない
それは露を連想させ
涼味をおぼえさせるから
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高台寺遺芳庵 Wikipediaより |
茶人たちのいだいていた
清潔
という考えをよく説明している利休についての話がある
利休はその子紹安(じょうあん)が露地を掃除し水をまくのを見ていた
紹安が掃除を終えた時
利休は「まだ充分でない。」と言ってもう一度しなおすように命じた
いやいやながら一時間もかかってから
むすこは父に向かって言った
「おとうさん、もう何もすることはありません。庭石は三度洗い石灯籠(いしどうろう)や
庭木にはよく水をまき蘚苔(こけ)は生き生きした緑色に輝いています
地面には小枝一本も木の葉一枚もありません。」
「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」
といって
その茶人はしかった
こう言って利休は庭におり立ち一樹を揺すって
庭一面に秋の錦(にしき)を片々と黄金、紅の木の葉を散りしかせた
利休の求めたものは清潔のみではなくて
美と自然とであった
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「好き家」
という名は
ある個人の芸術的要求にかなうように作られた建物という意味を含んでいる
茶室は茶人のために作ったものであって茶人は茶室のためのものではない
茶室はある個人的趣味に適するように建てられるべきだということは
芸術における最も重要な原理を実行することである
芸術が充分に味わわれるためには
その同時代の生活に合っていなければならぬ
それは後世の要求を無視せよというのではなくて
現在をなおいっそう楽しむことを努むべきだというのである
また
過去の創作物を無視せよというのではなくて
それをわれらの自覚のなかに同化せよというのである
「空き家」
という言葉は
道教の万物包涵(ほうかん)の説を伝えるほかに
装飾精神の変化を絶えず必要とする考えを含んでいる
茶室はただ暫時美的感情を満足さすためにおかれる物を除いては
全く空虚である
人はいろいろな音楽を同時に聞くことはできぬ
美しいものの真の理解はただある中心点に注意を集中することによって
のみ
できるのであるから
かくのごときわが茶室の装飾法は
現今西洋に行われている装飾法
すなわち屋内がしばしば博物館に変わっているような装飾法とは趣を異にしている
ことがわかるだろう
一個の傑作品でも絶えずながめて楽しむには多大の鑑賞力を要する
「数寄屋」
は
わが装飾法の他の方面を連想させる
茶室においては
自己に関連して心の中に全効果を完成することが客各自に任されている
禅の考え方が世間一般の思考形式となって以来
極東の美術は均斉ということは完成を表すのみならず
重複を表すものとしてことさらに避けていた
意匠の均等は想像の清新を全く破壊するものと考えられていた
このゆえに
人物よりも山水花鳥を画題として好んで用いるようになった
人物は見る人みずからの姿として現れているのであるから
茶室においては重複の恐れが絶えずある
室の装飾に用いる種々な物は
色彩意匠の重複しないように選ばなければならぬ
生花があれば草花の絵は許されぬ
丸い釜を用いれば水さしは角張っていなければならぬ
黒釉薬(くろうわぐすり)の茶わんは黒塗りの茶入れとともに用いてはならぬ
香炉や花瓶を床の間にすえるにも
その場所を二等分してはならないから、ちょうどそのまん中に置かぬよう注意せねばならぬ
少しでも室内の単調の気味を破るために
床の間の柱は他の柱とは異なった木材を用いねばならぬ
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松花堂の露地 Wikipediaより |
茶室は簡素にして俗を離れているから
真に外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂である
ただ茶室においてのみ人は落ち着いて美の崇拝に身をささげることができる
十六世紀日本の改造統一にあずかった政治家やたけき武士(もののふ)にとって
茶室はありがたい休養所となった
今日は工業主義のために
真に風流を楽しむことは世界至るところますます困難になって行く
われわれは今までよりもいっそう茶室を必要とするのでは、なかろうか
(目次)
はしがき
訳者のことば
改版に際して
第一章 人情の碗
茶は日常生活の俗事の中に美を崇拝する一種の審美的宗教すなわち茶道の域に達す
茶道は社会の上下を通じて広まる
新旧両世界の誤解
西洋における茶の崇拝
欧州の古い文献に現れた茶の記録
物と心の争いについての道教徒の話
現今における富貴権勢を得ようとする争い
第二章 茶の諸流
茶の進化の三時期
唐(とう)、宋(そう)、明(みん)の時代を表す煎茶(せんちゃ)、抹茶(ひきちゃ)、淹茶(だしちゃ)
茶道の鼻祖陸羽
三代の茶に関する理想
後世のシナ人には、茶は美味な飲料ではあるが理想ではない
日本においては茶は生の術に関する宗教である
第三章 道教と禅道
道教と禅道との関係
道教とその後継者禅道は南方シナ精神の個人的傾向を表わす
道教は浮世をかかるものとあきらめて、この憂き世の中にも美をみいだそうと努める
禅道は道教の教えを強調している
精神静慮することによって自性了解(じしょうりょうげ)の極致に達せられる
禅道は道教と同じく相対を崇拝する
人生の些事(さじ)の中にも偉大を考える禅の考え方が茶道の理想となる
道教は審美的理想の基礎を与え禅道はこれを実際的なものとした
第四章 茶 室
茶室は茅屋(ぼうおく)に過ぎない
茶室の簡素純粋
茶室の構造における象徴主義
茶室の装飾法
外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂
第五章 芸術鑑賞
美術鑑賞に必要な同情ある心の交通
名人とわれわれの間の内密の黙契
暗示の価値
美術の価値はただそれがわれわれに語る程度による
現今の美術に対する表面的の熱狂は真の感じに根拠をおいていない
美術と考古学の混同
われわれは人生の美しいものを破壊することによって美術を破壊している
第六章 花
花はわれらの不断の友
「花の宗匠」
西洋の社会における花の浪費
東洋の花卉栽培
茶の宗匠と生花の法則
生花の方法
花のために花を崇拝すること
生花の宗匠
生花の流派、形式派と写実派
第七章 茶の宗匠
芸術を真に鑑賞することはただ芸術から生きた力を生み出す人にのみ可能である
茶の宗匠の芸術に対する貢献
処世上に及ぼした影響
利休の最後の茶の湯
注
解説 福原麟太郎
(参考)
※品切重版未定(岩波文庫検索で著者名「岡倉覚三」で検索すると概要は読めます)
※品切重版未定(岩波文庫検索で著者名「岡倉覚三」で検索すると概要は読めます)