「かんそうなめくじ(建築家・吉阪隆正)」が
人類や文明
について語っている
「昭和57(1982)年11月15日第一刷」の本です
人類や文明
について語っている
「昭和57(1982)年11月15日第一刷」の本です
五本の脚(や)『まかしとけや(政治)、おんどりゃ(軍事)、たらしこみや(経済)、あらいだせや(洗脳)、背中からでる「や」(相互信頼)』をもった「かんそうなめくじ」はこういいます
「人類がこの地球上のじめじめしたところをだんだんなくしてしまったので、われわれなめくじもこんな風に変態を余儀なくされたのだ」
「われわれは復讐心に燃えているのだが、幸か不幸か人類はバベルの塔を築いて以来仲間割れしているから、まだ総攻撃をかけなくとも自滅する可能性があるので静観しているのだ」
こんな「かんそうなめくじ」の弁からはじまる本書は、高度成長を遂げてきたいまの社会の「行く末」をみごとに「言い当てていた」といえるものになっています。ちょうど30年まえになります
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エネルギー消費量と地球温暖化のこと
みんながバラバラになって領分を守るだけになった時、一体誰が全体のタクトをふるのだ。それもいらないというなら、どうやってバラバラの世界をそのまま崩壊に導かないようにできるのだろう。いやはや、おれもいつのまにか人間側で論を進めてしまった。おれの立場からすれば、早く人類が亡びてくれればいいんだ。あと50年待てばいいという説もある。人類がいまのようにエネルギー使用量を倍々とやっていくと百年後には地面の温度が10度上昇するのだと計算した人がある。すると海の中にあるCO2を定着させていたものが、おだぶつになって放出するそうだ。地表はCO2で包まれると太陽熱は吸収蓄積されやすいから、暑い地球になってしまう。魚なら水温1~2度の上昇で死んじまうが、人間だって、20度もあがればどうなるか。だいいち、極地の氷がまずとけ出すだろうから、海面がどんどん高くなって、陸地はぐんと小さくなるだろう。平野に住んでいる野郎どもあわてることだろうな。ノアの箱舟の用意はできているのかね。すべて宇宙の動きと関係するんだ。
エネルギー資源への妄想と核廃棄物のこと
拡大してしまったのだから。その始末のためゴミ戦争まで発生しつつある。海面に捨てて夢の島を科学のやり方というのは、最初にいろいろな条件をできるだけ単純化し、多くのものを捨象して出発している。ごく限られた条件の中で法則性を見つけ出し、やがて他の法則との相関を探り、徐々に関係範囲を拡大するにすぎない。例外がいつもいっぱいなのだ。この頃では、その例外ばかりを拾って、その法則性も探しているようだが、いつまでたっても、世の中にあるすべての条件を一時に捉えることはできないのだ。ところが、そのように限定した範囲でしか通用しないものを、あたかも全般的なものと錯覚しやすいところに問題が生じるのだ。それのもっともいい証拠は、ゴミの発生だ。ゴミ第一号とでもいえるのが貝塚だ。その時にも科学的な世界像のため、あんな山ができたのだ。その話をしようか。どこの神話でも人間のはじまりは海と陸の境目で生まれたとしている。多分意識し出した時のことをいっているのだろう。科学の芽生えた時のことにちがいない。海辺は食料、特に蛋白質が手に入りやすいことを知ったのだ。干潟に残された海の魚や貝類は拾うだけで得られる。ことに貝類はのろのろしていて捕らえやすい。とにかく食料を得るということは、なまやさしいことではなかったのだから、海が残してくれる貝を見つけたことは大変な恵みで、それに気がついたことは素晴らしいことだったにちがいない。もうこれさえあれば生命の維持は大丈夫と考えたにちがいない。ところが、そこからまちがいがはじまった。いつしか貝さえあればということになり、貝をとる技術を開発し、豊かになったし、時間もあまっていろいろの遊びを考え出したのだが、いつしか貝をとりすぎて、貝の恵みが減った時、人びとは食物とは貝、貝以外を食物とは考えられなくなっていた。そして貝がなくなるとともに人びとも亡びていった。食べかすの貝殻だけを山のように残したのだ。いまの科学技術、その工業化された姿に似たところはないだろうか。さまざまなシステムの網目がいっぱい張りめぐらされていて、それにのっかって生活が成り立っている。そのシステムがほとんど人工的につくられたものだし、人工的に維持されているものだ。あらゆる計画がそれを前提に進められている。そのために豊かさを満喫しているのだが、それを維持するために消費している何かがあるにちがいない。それが切れた時、一切は止まる。止まった時、人びとは生きる方法を見失って亡びるだろう。その後に残されるのは何だろう。鉄屑の山か、プラスチックの山か。現代貝塚だ。あるいは、その前に屑の山のために住む所がなくなるかもしれない。それほどに物の消費はつくっている。だが、それくらいでおさまらない時がくるだろう。原子力の廃棄物を、どう始末するのだ。鉱山のボタ山よろしく積み上げてすむだろうか。そこから食料は得られない。いまの日本人は食えないものばかりつくって、世界中に売り、食料ととり換えている。狭い土地にうようよと人間がいるのだから、直接食料生産ができない、自給できないということなのだろうか。食料とは、ほとんどが太陽の恵みの変形されたものなのだが、それをどうして大切にしなくなってしまったのか。和することと、別することをさえわきまえなくなってしまったのだろうか。そういうのを「カンショを窺い知らない」というのだろう。同じ巣に二室設けて雌雄がそれぞれに住むという鳥に見ならうことだ。
自然と文明の利器のこと
自然と文明の利器のこと
壁と開口部は人間関係の物質化にほかならない。人びとが和する時と、別する時との矛盾する要求を解決するために、物的な装置を設けるのだ。これが大変うまく解決されて、すぐにわかる時、それを美しいと人は呼ぶらしい。それは太陽がよく当たる所と、日蔭をほしい所との関係にもあてはまるだろう。かならずしも壁と開口部でなくても、屋根のある、なしとしてもいいのだ。そのほどよいあん配があって、和と別が乗り越えられるのである。(中略)同じ場所が暖かくあってほしいと願い、また涼しくなってくれと、クルクルと矛盾した要求を出し、それを一つの装置でまかなおうというのが建築の課題といえないか。(中略)自然界はもっともっと厳しい、人間にいわせると厳しい世界なのだ。その中へ友愛を持ち込もうというのだから、これこそ人間が人工的につくれる最大の難事かもしれない。その難事を完成した時、人類の任務は終わるのだろう。永遠にそこに到達しないほうが、人類としては存続ができていいのだともいえる。無限に近づく努力が生き甲斐というものか。だいぶ陽は傾いてきた。真赤な大きな円盤が「かんそうなめくじ」の発音を、さも笑っているかのように見えた。いいたいだけのことをいったら彼は黙るだろう。いったことは何のたしにもならなくても、吐き出せばすむというものだ。ここにまたゴミが生じた。しかし他のゴミより始末はよさそうで、しかし、またすごいかかわりを発生させてしまうかもしれない。それをまた解きほぐす仕事ができるのだ。
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(目次)
かんそうなめくじの弁 1966年 日本万博に期待する
五本目の脚/不信の逆手
日本の都市・世界の都市
世界平和は相互理解から/私のヨーロッパ歴史解釈/文化人類学からの比較/住居形態からの比較/先進国日本
かんそうなめくじの弁 1971年 月は西から東に向かう
五年目にまた/ツーテンジャックのルール/一次元の世界をつくる馬鹿/いのちのためのくらしの害/知恵を働かすほど困るようになる/一度にひとつしかできないこと/月は西から東に向かうこと
大学と国際交流 ― 個人体験を通じて
親が国際交流の仕事に従事している時の子供の立場/留学生/遠征/招聘、交流/国際会議/建築の分野で/ツーリスト・ビューロー
かんそうなめくじの弁 1976年 五本目の脚
変身/日出づる方を大切にせよ/科学は限定された世界像/知と別の友愛
わが住まいの変遷史
誕生の前後/幼年期の頃/少年期頃のテリトリー/ジュネーブのお屋敷で/下宿時代/1945年5月25日焼失/同居から単居まで/もう一つの経験/「薩摩会館」での二年間/アルゼンチンでの二年間/百人町の改装と拡大/ボストンでの転機
兄のこと 川久保よし子
かんそうなめくじの妻 大いに語る 1982年 吉阪ふく
あとがきにかわって 三宅豊彦
(参考)